伎留太神社


伊勢国朝明郡
三重県三重郡切畑579
(林道ではあるが通行困難な箇所は無し)
(駐車スペース有り)

■延喜式神名帳
伎留太神社の比定社

■祭神
苅田姫命
[配祀] 大山咋命 素盞鳴命


「八風峠」と称される、伊勢国朝明郡(現在の菰野町)と近江国愛知郡(えちのこほり、現在の東近江市黄和田)とを結ぶ峠の東側、山中に鎮座する社。山村集落「切畑」の、さらに人里離れた所に位置します。標高260mほど。
◎「八風峠」は標高940mの急峻な山越えとなりますが、かつてはかなりの往来があったとか。「伊勢風土記」逸文には、神武天皇の勅を受けた天日別命が国津神である伊勢津彦神に国譲りを迫り、伊勢津彦神は「八風(強風)」が起きることを証明に東国へ去ることになりました。これが峠名の由来となっています。
この神話は伊勢津彦神が風の神とされていたことによるもの。「伊勢」の地名由来ともなった神。
現在は「八風峠」から麓まで整備された広い道路が通っていますが、かつては当社前を通っていたのではないかと考えています。
◎当社創建由緒等は伝わっていないようです。紐解く手がかりは主祭神の苅田姫命。若狭国遠敷郡に鎮座する苅田比売神社(記事未作成)や、備中国小田郡の在田神社(未参拝)でも祀られます。
在田神社によると阿知使主(アチノオミ)を始祖とし、坂上苅田麻呂の裔であると。また「鉄鉱や水銀採掘の犬一族の神」であると社頭案内に掲げているとのこと。
◎阿知使主は後漢霊帝の裔と称し、応神天皇の御宇に百済から17県の人夫を率いて日本に帰従した渡来系氏族。大和国高市郡の「檜隈(ひのくま)」を拠点にしました(氏神の於美阿志神社が鎮座)
後裔である坂上犬養・苅田麻呂・田村麻呂が武門として朝廷に仕えています。中でも田村麻呂が征夷大将軍として蝦夷征討で活躍したことで有名。犬養の代は大和国高市郡の國府神社周辺を拠点としていたとされます。
◎一族は陸奥国を始め拠点を全国に広げていきますが、うち「鉄鉱や水銀採掘の犬一族」が鉱床を求めて当地に移ったのであろうと推されます。なお鈴鹿山脈を挟み反対側、南西方向の甲賀郡に田村神社(記事未作成)が鎮座します。こちらでは田村麻呂が祀られており、一族の分布が見てとれます。
◎御巫清直は「伊勢式内社検録」内で、「切畑村」内には「天神社・牛頭天王社・山神社」の三社が存在するが「天神社」を式内社 伎留太神社の比定社として推しています。結局比定されたのは牛頭天王社。
◎元氏子さんと、当地に百年近くお住まいのそのお母さまより確かな情報を頂きました。
「山神社」については「切畑の集落から石段を上がる途中にあります。車で石鳥居まで上がってから少し徒歩で下ると右手にある」とのこと。
「天神社」については車道を100m余り下ったところにかつて存在したようです。炭焼窯跡があり、その隣に小川に架かる橋が「天神橋」という名残を留めるものであるとのこと。
◎明治四十二年に多比鹿神社に合祀されたものの、戦後復社しています。


2~3台程度の駐車スペース有り。「切畑」集落内を抜けると対向困難な林道が続きます。民家は無いので林業の車がごく稀に通る程度かと思います。


神が鎮まるに相応しい静謐な空気感が漂います。


ご本殿は覆屋の中にとても慎ましく鎮まっていました。

狛猿でしょうか。