國府神社(高取町)


大和国高市郡
奈良県高市郡高取町下土佐ナマコ山402
(一の鳥居横にP有り、ただし近隣住民が停めるためほぼ使用不可)

■祭神
応神天皇
[配祀] 天児屋根命 事代主命


大和国「総社」の有力な候補地の一つ。
◎「国府」は現在でいう県庁所在地のようなもの。室町時代のものと思われる扁額に「國府宮」と書かれているものが昔は拝殿にあったらしく、それが大和国総社と言われる所以。
また国府近くには守護神として八幡神が祀られていますが、当社ご祭神は紛れもなく該当。
◎現在は大和国の中でもどちらかというと過疎地。また古代においても飛鳥の都からは離れており、付近には式内社もありません。纏向でもなければ、葛木(葛城)でもなく、当地に国府があったなどとは俄には信じ難いところですが。
◎「御厩(みやま)」、「舞台」、「松笠(馬司からの転化か)」などの地名が残ることもその比定の根拠。さらに大和志には「國府神社在土佐村」と書かれていることや、坂上田村麻呂の祖父が大和守(やまとのかみ)に任命されますが、その故郷が当地であったということもその一つ。
当地以外には
・御所市長柄(葛城山の東麓)
・御所市掖上(葛城山の東麓)
・橿原市の久米町から丈六辺り(畝傍山南部)
・橿原市の東池尻町から西池尻町(天香山東部)
・香芝市
などが挙げられています。以上は国立民俗博物館の「古代の国府研究」によるもの。なお平城京遷都後は大和郡山市今国府町(いまごちょう)に遷されたようです。
以上の6候補地の中では、古代の都市の発展具合からもっとも可能性が低いようにも思われますが、最有力候補は当地。
付近には集落ができており、さらに残った地にも住宅開発が進んでいるため、国府跡が発見される可能性はほとんど無さそう。また当社も非常に荒んでおり、時代の変遷を否応なしに感じさせられます。


この丘陵すべてがご神域。これだけ見ると巨大古墳のようにも思えますが、航空写真で見る限りは長細い円形、前方後円墳の様相ではありません。

一の鳥居は丘陵の西側。


ご本殿は二柱のように見えます。




こちらは社殿裏側(東側)。反対側に一の鳥居があるとは知らずに、ずっとこちらから参拝していました。

こちらが裏参道、鍵はかかっておらず進入可。