高市御縣坐鴨事代主神社 (岡えびす神社)


大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村岡1024
(P無し)


「奈良県立万葉文化館」から石舞台古墳方面へ向かう、ちょっとした街道風に整備された道沿いに鎮座する社。
◎創建由緒等は伝わっていないようです。遡られるもっとも古いものは、石灯籠に刻まれる文化七年(1810年)の銘。
◎当地は北は飛鳥坐神社から飛鳥寺を経て、途中に治田神社(岡寺)の一の鳥居、そして石舞台古墳へと。古くからの商店もいくつか見られ、古来より街道であったように見受けられます。商売繁盛を祈りえびす神(事代主神)が祀られているのは、しごく一般的なこと。
◎ところが問題は「高市御縣坐鴨事代主神社」という社名。連想されるのは式内大社 高市御縣坐鴨事代主神社。現在は河俣神社に比定されています(木葉神社説、鴨公神社説も有り)。
◎「出雲国造神賀詞」に、「大名持命が皇御孫命の鎮まります国を大倭国と申して、己の和魂を八咫の鏡に取り付けて、倭の大物主櫛甕玉命と名を称えて大御和の神奈備(「三輪山」 大神神社)に鎮座させ、己の御子、阿遅須伎高孫根命の御魂を葛木の鴨の甘奈備(高鴨神社)に鎮座させ、事代主命の御魂を宇奈提(河俣神社)に鎮座させ、賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の甘奈備(飛鳥坐神社)に鎮座させ、皇御孫命の守護神と貢りおいて、八百丹杵築宮鎮まり座しき」とあります。
事代主命は「宇奈提(うなて)」ということですが、これは河俣神社が鎮座する「雲梯町(うなてちょう)」に比定するのが妥当かと。したがって当地には比定しかねます。
想像を逞しくするなら、おそらく洪水等で社殿等を流失していた式内大社 高市御縣坐鴨事代主神社を、同じ事代主命を祀る当社にて一時期復興させたのではないかと。当地は飛鳥坐神社の南ほど近い地でもあるため。


2~3分以内なら社前にちょっと停め置けなくもないかと…。