波多岐神社


伊賀国阿拜郡
三重県伊賀市土橋752
(P有)

■延喜式神名帳
波多伎神社の比定社
[境内社 宇都可神社] 宇都可神社の論社

■旧社格
郷社

■祭神
大鷦鷯尊
[境内社 宇都可神社] 大物主命 大己貴命 罔象女命 高皇産霊命 建御名方命 源朝臣満仲公 源朝臣頼光公 源朝臣頼信公 源朝臣頼義公 源朝臣義家公
[境内社 府中神社] 須佐之男命 軻遇突智命 大地主命 塞神 木花開耶姫命 大山祇命 火産霊命 天津國玉命


伊賀市の中央を横断するJR関西本線の、佐那具駅西側に鎮座する社。背後は400m超の山。伊賀国一ノ宮の敢國神社の御神体山である「南宮山」と正対します。
◎当社は伊賀国三ノ宮と称されます。一ノ宮は敢國神社、二ノ宮は小宮神社(記事消失したようです)または須智荒木神社とも。
当地はかつて「府中村」と称されたらしく、伊賀国府推定地。
◎創建由緒等は伝わっていないようです。「三重県神社誌」は古老伝として、「旗木」のように真っ直ぐで屈曲しない樫木が林立していた、その「旗木」が「波多伎」となったと。附会とも取れそうな内容ですが。
◎ご祭神は大鷦鷯命(第16代仁徳天皇)。白馬に乗った天皇像を御神体としているようですが、祀られる由緒はまったく不明。
「和名抄」は当地を「阿拜郡服部国府」と記しています。服部半蔵など伊賀者の忍者として知られます。「服部」のルーツは機織ではないかという説も。社名の「波多」と地名の「服部」、これはもう秦氏を連想せずにはいられません。個人的にはその秦氏が奉斎した社である可能性も考えています。
◎境内社 宇都可神社は論社であるもののこちらも式内社。波多岐神社ご本殿の右脇殿(向かって左脇)として鎮座。かつては背後の山中に鎮座していたようですが、参拝の便が悪いため江戸時代に当社境内に遷されたとのこと。かなり難峻な地にあったとのこと(詳細地不明)。
これについて「三重県神社誌」は、安政六年(1859年)の地震により当社の近くまで崩れ落ちて来たとしています。六年には大地震の記録は無く、これは長年に渡り群発した「安政の大地震」の余震によるものかと思います。
◎創建については「三国地誌」という書において
、天武天皇二年(673年)とされています。由緒等は不明。ご祭神は大物主命一座で、大己貴命以下の九座は明治の合祀令によるもの。
なお内保の宇都可神社も論社として挙げられています。そちらも創建由緒、ご祭神も不詳な点が多く、式内社比定も含めてどちらもよく分かっていないというのが現状。
◎他に府中神社という境内社が、波多岐神社ご本殿の左脇殿(向かって右脇)として鎮座。瑞垣内であり、こちらはどうにも社殿の確認はできません。明治の合祀令により多くの近隣社を合祀した上に当社に合祀されています。



JR関西本線沿いの道路脇に立つ一の鳥居。





向かって左に見えているのが宇都可神社。右の府中神社はいろいろな角度から試してみたものの見えません。