宇都可神社


伊賀国阿拜郡
三重県伊賀市内保1099
(P無し、駐車は下部写真参照)

■延喜式神名帳
宇都可神社の論社

■旧社格
村社

■祭神
(不明)


伊賀市北端、滋賀県甲賀市との県境付近「内保」、農村集落内の丘陵地に鎮座します。
◎明治の合祀令により豊田神社に合祀され、現社は旧社地で復社させたもの。合祀先の豊田神社は近隣の27社(25社という資料も)を合祀し、玉瀧神社と改称しています。
◎創建については不詳。「三重県神社誌」は「宇都可里内保記」という書を引き、当地を訪れた聖徳太子が白髪の翁に尋ねると、「我宇都可七代の苗裔宇摩志阿斯許備比古遅神次代天常立神變(変)宇都可翁」と言い、太子は「通山宇都可大明神」として奉斎したとしています。
ただしこの記述については不審な点有り。用明天皇六年としているものの、在位は二年のみ。
◎この「通山宇都可大明神」について、東方10km近くに鎮座する油日神社がかつて「通山大明神」と称されていたことと関連がありそうです。そちらは「油日岳」を御神体山とする社、「通山」というのは「油日岳」の可能性が考えられます。さらに言うなら柘植(都介)氏との関わる可能性も。「ツゲ山」が「ツウ山」へと転訛したなどとするのは考え過ぎでしょうか。
また都介氏が移住する前は出雲族が居住していたのではないかとも考えています(詳細はいずれ記事として起こします)
◎宇摩志阿斯許備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)は造化三神の次に生まれた神。また次代の天常立神(國常立神)を合わせた五柱は「別天神(ことあまつかみ)」。ともに記紀に神名が顕されるのみで、神格等は神名から推し量る以外は不明。何故に唐突にこれらの神が持ち出されたのかは分かりません。
◎境内はそこそこに維持管理がなされているようですが、ご本殿は閉ざされており、直接拝することは叶いません。


白い車が駐車した場所。短時間の参拝ならこちらで問題無さそうです。




「通山社」と刻まれています。