矢合神社 (長浜市中野町)
(やわいじんじゃ)


近江国浅井郡
滋賀県長浜市中野町1427
(「虎御前山」全体のP有り)

■延喜式神名帳
矢合神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
葦那蛇迦神


織田信長が浅井長政を攻めるために砦を築いたとされる「虎御前山」の尾根筋に鎮座する社。
◎「虎御前山」は虎姫(虎御前、下部写真参照)に因む山名。正式名は「八相山(はっそうざん)」、また通称「中野山」とも。標高224mの低山。
尾根上には木下秀吉、柴田勝家、丹羽長秀などの名だたる武将の陣地跡がずらり。また足利尊氏と弟の足利直義の合戦の場であったとも。神域はほとんど破壊されたものと想像されます。元亀元年(1570年)までは古来の神殿があったと伝わります。
当社名は「八相山」の訓読「やわい」を由来とするとされています。元始は「やわいやま」だったように思いますが。
◎創建由緒については伝わっていないようです。かつては「八相社」、「八相大明神」と称されていたとのこと。
◎ご祭神の葦那蛇迦神は、葦が茂る水辺を司る神。水利の便が意の如くならないため祀ったとするのは神社庁の祭祀祭礼全国調査。
記にのみ記される神で国忍富神の妻神。別名は八河江比売。近江国甲賀郡の矢川神社などで祀られています。国忍富神は記においては大国主命の孫。出雲国の須佐神社の系譜においては加加夜奈留美命の御子と記されるようです。またこれとは別に天之御影命六世孫とし、娘に彦坐王の妃となった息長水依比売命がいるとも。
◎以上とはまったく異なる説も有り。当地は物部氏の勢力範囲であったとされ、布都努志乃命(経津主命のこと)を祀ったというものも。いずれが正しいのか、或いは祭神替えがなされたのか不明。
「八相山」内には古墳がいくつか築かれていますが、これらも物部氏のものということになるのでしょうか(一本松古墳・北山古墳)。
◎往古より行われてきたとされる弓矢の神事があります。これは当社名にも現れているもの。戦国時代に始まったのでしょうか。境内には弓を引く銅像も(下部写真参照)
◎当社は「八相山」の尾根筋に鎮座しますが、西側眼下には岩上神社が鎮座。浅井姫命を祀っています(→岩上神社)。


駐車場はかなり大きいもの。「虎御前山」内には大型遊具なども設けられていてテーマパーク化してしまっています。

鳥居からご本殿まではおよそ200m。

勾配はかなり緩やか。

山の奥の方の信長等の所縁の史跡や、大型遊具などがあるアスレチック場などは賑わっているものの、当社には誰一人と見向きもせず…。





こちらが矢を引く銅像。



今回はご本殿背後の北山古墳まで訪れました。