須佐神社


出雲国飯石郡
島根県出雲市佐田町宮内730
(P有)

■延喜式神名帳
須佐神社の比定社

■旧社格
国弊小社

■祭神
須佐之男命
[配祀] 稲田姫命 手摩槌命 足摩槌命


「神門川」(現在は「神戸川」)の支流「素鵞川」(現在は「須佐川」)沿い、出雲市南部の山村地に鎮座。四面すべてが山に囲まれた盆地。
◎「出雲国風土記」に「神須佐能哀命詔りたまはく この国は小国といへども国処なり 故れ我が御名は木石につけじと詔らせ給ひて 即ち己命の御魂を鎮め置き給へる所なり 然れば即ち大須佐田・小須佐田を定め給へり 故れ須佐といふ」とあり、当社の創祀由緒となっています。
これは須佐之男命が最後の開拓を行った場面のこと。それまでの慣わし通りに木や石に自身の御魂を鎮めるのではなく、土地そのものに御魂を鎮めようとしたということ。理由は「国処」(良い処という意味か)としか記されていません。「田」としていることから、鉄資源を求めてのことではなく農耕地を求めてのこととなるのでしょうか。あるいは逆の意味に捉え、「須佐田」という地を拠点とした神である故、須佐之男命と名付けられたのかもしれません。
◎旧社地は北方の「宮尾山」にあったとされます。場所は不明ながら、道路を挟んだ北側の山ということになるのでしょうか(下部写真参照)。中世には現社地に遷座されていたとも。
◎社家である須佐氏が代々奉斎してきたのが当社。社伝によると、成務天皇三十年に第17代稻田宮主盆成が「国造」の称号を賜わったとしています。そして代々「須佐国造出雲太郎某」「須佐国造出雲次郎某」と称してきたと。
出雲国の国造は宇迦都久怒に始まる出雲国造家であり、須佐氏の国造というのは実際に存在していないとする見方が趨勢。これはあくまでも当社の社家による伝承であり、他資料には見られないもの。
なお中世以降は出雲国造とすることに憚りがあり、「出」を抜き「雲国造」と称しているようです。
◎「七不思議」なるものがあるといい、須佐之男命が清めた満潮には潮の花を噴くという「塩ノ井」などが挙げられています。

※写真は2012年8月撮影のものです。







こちらが「宮尾山」でしょうか。