矢川神社
(やがわじんじゃ)


近江国甲賀郡
滋賀県甲賀市甲南町森尻70
(P有)

■延喜式神名帳
矢川神社の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
大己貴命
[配祀] 矢川枝姫命


社前を流れる「杣川」はかつて、大和の平城京や東大寺造営の用材の運搬に使われた川。当社すぐ近くの現在の「矢川橋」あたりには「矢川津」があったとされ、用材の集積地であったようです。この辺りには木曽にも比肩するほどの樹木が生い茂っていて、伐り出された用材を一旦「矢川津」に集積。そして「杣川」を下らせて琵琶湖へ、そこから「瀬田川」を下らせて大和へ運んでいたとか。
◎この「矢川津」を守る水神とされたのが「矢川枝姫命」かと思います。「八川江比売」とも表記され、「多くの川の江の比売」(巫女)とも考えられています。長浜市中野の矢合神社などで祀られる神。
別名「葦那陀迦神(アシナダカノカミ)」、葦が茂る水辺の神ということでしょうか。大國主神の孫とされる国忍富神(クニオシトミノカミ)の后とされます。いずれも紀には現されず、記にのみ現される神。実在したというよりも観念的な神なのかもしれません。
須佐神社の社家である須佐氏の系譜では、大國主神の御子神である賀夜奈流美命のさらに御子神が国忍富神とされているとか。系譜の混乱というよりは、秘されたものがあるようにも思います。
◎なお当社は古来より祈雨の対象として知られていたようで、立派な楼門はその由により大和国山邊郡布留郷から寄進されたものであるとのこと。「布留の楼門」と言えば石上神宮(布留社)が連想されますが、そちらは鎌倉末期のもので重要文化財。