◆ 「磐余池」を訪ねて (「吉備池」万葉歌碑浪漫ウォーク)  ~令和三年2/25~



自身のあまりの「ド天然」さは
甘んじて受け入れているつもりで、

日常茶飯事なことと認識していますが、

希に驚愕の大事件が発覚します。



悲劇の皇子として知られる大津皇子。

次期天皇として事実上立太子していたものの、
自分の息子を天皇にしたいと企む鵜野讃良皇后(持統天皇)の黒幕により抹殺された皇子。

「二上山」に葬られたとされ、
母(大田皇女)ゆかりの地である桜井市「吉備」の春日神社には、磐座を御神体としご本殿脇に祀られています。

また姉である大來皇女(初代斎王)が、弟(大津皇子)を哀れんで詠んだとされる
「うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を いろせと吾が見む」という有名な万葉歌

詠まれた舞台はその春日神社辺り。

「二上山」を哀れな「いろせ(弟)」と思うことにしようといった歌。



およそ15年ほどにわたり…

この春日神社を何度も参拝し…
何度もその磐座を拝し…
母(大田皇女)ゆかりの「吉備池」を偲び…

そういえば…
ここから「二上山」を眺めたことがなかった!


驚愕の事件が発覚した瞬間でした。


ドは5つほど要るかな?
「ドドドドド天然…」



きっかけは当ブログでいつもお世話になっているzero_wifeさんのこちらの記事 ↓↓↓
 


 


「磐余池」探索も兼ね


万葉浪漫に浸りつつ久しぶりにうろうろと歩いてみました。



*いつものお堅い記事ではなく、カジュアルに書いていきます。





まずはその春日神社へ。

早くも今年2度目の参拝。




大津皇子を祀る磐座(過去の写真)。




ご本殿から鳥居方向(西)を。

ちょうど真ん中よりごくわずかに右よりかな?




拡大してみました。

くっきりと「二上山」が。




「神風の 伊勢の国にも あらましを 何しか来けむ 君もあらなくに」


伊勢の国に居た方が良かったな…何で帰って来たんやろ…弟もこの世にはおらへんのに…。


伊勢斎王としてお勤めを果たし戻って来た大來皇女が詠んだ歌です。


哀しい…。



南隣に隣接する「吉備池」へ。

南西方向を写しています。




土手に登ると万葉歌碑が現れます(北西角)。




大津皇子のみうた
「もゝつたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲がくりなむ」


よく遊んだ磐余池で鳴く鴨もこれで見納めか…とうとう私は死ぬのか…


ああ哀しい…。



ちなみに「磐余池」はここから南東方向と推測されています。


そして冒頭写真にも同じ万葉歌碑を掲げました。こちらは「東池尻・池之内遺跡」

なぜ2ヶ所も同じ万葉歌碑があるのかというと
橿原市と桜井市の両方にあるから。

「東池尻・池之内遺跡」は「磐余池」の北西端。
「吉備池」は「磐余池」からは離れています。


まだ「磐余池」の場所が分からない頃に立てられた歌碑だと思います。




土手を数十m南へ歩くと
もう一つの万葉歌碑が立っています。


「二上山」を入れて撮ってみました。
家が邪魔やな…




冒頭に記した通り。

「うつそみの…」の歌です。




「吉備池」は横長のおおよそ長方形。

南側の土手に来ました。




仏教施設はどうでもよいのですが…

大來皇女が万葉歌を詠んだのは
この仏教施設の境内からという可能性も。




池は干上がっています。




拡大すると「二上山」がくっきりと。


この場所で大來皇女があの歌を詠んだものかと思うと、とても感慨深く…。

生前からいつも「二上山」を意識して生活していたのだろうと思います。




くっつき虫にやられた…。


全部取るのに30分もかかった…(泣)


全部取れたと思ってたのに
ずいぶんと残ってた…。






やはり大津皇子は
この辺りで自身の最期の歌を詠んだのかも。

写真の方角は南東方向。
「二上山」とは反対の方角。

まだこの時は自身が「二上山」に葬られるとは思っていなかったのでしょう。




地図を載せておきます。


橿原市教育委員会のおバカさん
何で上を南にするんや!!!

分かりにくいがな!!!!!




180度回転した写真を載せておきます。


ちなみに「吉備池」は赤色で記される「東池尻・池之内遺跡」から、北東300mほど離れた所。




「磐余池」北西隅の丘陵地に鎮座する




かつてはこの竹やぶも無く
「磐余池」が一望できたのではないかと思うのです。




お目当ては「月輪石」。

台風で崩壊していた瑞垣などが修復されていたこともあり、改定記事を上げる予定です。




ここに「磐余池」があった…。

「東池尻・池之内遺跡」も改定記事を上げる予定です。




「磐余池」北東隅の稚桜神社へも歩いて。


これまで車で参拝に上がっていましたが
やはり歩くと見える景色が変わるもの。

「磐余池跡」を歩いて確かめました。




ご本殿へ。


あれ?

桜が無い!


老樹なので危険だから伐採されたのかな…。


これでは「稚桜」神社ではなくなる…。




ところどころ改修工事がなされたようです。

こちらも改定記事を上げないと。




この後、三柱神社(橿原市膳夫町)へ車で参拝し
この日はこれで終了!

こちらも改定記事を上げる予定です。