三柱神社 (橿原市膳夫町)


大和国十市郡
奈良県橿原市膳夫町古瀬田104
(参道に駐車可、幅3m以上で100mほどの長さあり、途中に寺が2つほど)

■旧社格
村社

■祭神



「藤原宮」の饗膳を司った膳部氏が居住した「膳夫町(かしわてちょう)」に鎮座。「火」を司る火産霊神と「竃」の神とされる興津比古神興津比売神を祀るという非常に明解な社。
「かしわて」とは、かつて木の葉を皿として用いていたことから。
◎本居宣長の「菅笠日記」に「かしはで村の南のかたはらに森のあるをとへば 荒神の森といふ」とあり、当社または隣接する膳夫寺のことかと考えられています。当社はその仏教施設の鎮守社であったと考えられています。
◎その仏教施設に関して、そちらの案内板には「聖徳太子の妃膳夫姫がその養母古瀬女のボダイ(死後の冥福)のため、寺を建て…」とあります。
膳夫姫については、以下の民話が「三国伝記」(インド・中国・日本の仏教説話集)に伝わっています。「聖徳太子が膳村に行啓した時、太子は芹摘みをしている3人の女性を見た。2人は太子の元へ走り寄って来たが1人は芹を摘み続けていた。理由を尋ねると、赤子の時に棄てられていたのを拾ってくれた養母の恩に報いるためにたくさんの芹を摘みたい。太子を奉迎している余裕はない」と。太子はこの娘を気に入り妃としたとしています。
つまり膳夫姫は膳部氏の裔であり、これが縁で仏教施設が拵えられ、その鎮守社として当社創建に至ったものと思われます。
◎地元の伝承では当社の北、桜井市西之宮に鎮座する三輪神社を男神、当社を女神とし、年に一度逢瀬に行くそうです。

*写真は2018年7月と2021年2月参拝時のものが混在しています。