阿古師神社


志摩国英虞郡
三重県熊野市甫母町609
(駐車、アクセスは下部写真参照)

■祭神
三毛入野命
天照皇大神 大山祇命 蛭子命 倉稲魂命

※ご祭神は三重県神社庁データによる。熊野市教育委員会による社頭案内板は「豊玉姫命 伊勢大神 三毛入野命」。



「二木島湾(にぎしまわん)」を取り囲むように突き出した二つの半島。その先端近くに鎮座するのは北側の半島先が当社、南側の半島先に鎮座するのが室古神社。ともに神武東征に関わる社とされます。
◎神武東征の砌、海中で暴風に遭い漂蕩した皇舟。神武天皇の兄である稲飯命(イナヒノミコト)と三毛入野命(ミケイリヌノミコト)は海神を鎮めるために、相次いで入水します(【書紀抄録】稲飯命と三毛入野命の入水の記事参照)。暴風が収まった後、両命は土民により発見。寄港して二所に奉斎し、稲飯命の御陵を尊崇して産土神として祀ったのが室古神社であり、三毛入野命の御陵を尊崇して産土神として祀ったのが当社であるとのこと。
◎一方で熊野市教育委員会による社頭案内板は、紀の「持統天皇六年(692年)阿胡の行宮において紀伊國牟婁郡の阿古師海部 河瀬磨呂の兄弟が鮮魚を献上したとあるのはこの神社である」と。紀は当然ながら持統天皇の事績が詳に記されていますがそのうちの一文。淡々と記されるのみですが、持統天皇がここに行宮を設けていたことこそが重要ではないかと考えます。
◎当社からまだ先に1㎞進んだ先には「楯ヶ崎」。高さ80m周囲550mに聳える柱状節理は圧巻。神武天皇上陸地という伝承があるものの、これは漂蕩した挙げ句に打ち付けられそうになった場所なのかもしれません。これが二兄が海に身を投じるきっかけとなったのではという想像も。
◎この「二木島湾」を境に伊勢大神が鎮まる志摩国英虞郡と、熊野大神が鎮まる紀伊国牟婁郡が分かれていたとのこと。英虞郡(あごのこおり)から阿古師神社、牟婁郡(むろのこおり)から室古神社という社名となったと伝わります。
◎当地で行われる「二木島祭」が有名。これは二社による例祭で、二艘の艘船が船子漕ぎ競争を繰り広げるもの。伊勢大神と熊野大神が酒を酌み交わした、捕鯨の様子を再現したなど多説あるものの、原初は神武東征譚に端を発したものではないかと考えています。地元の漁民がかつお船で神武天皇を助けに行ったという伝承があるとのこと。



国道311号線に「楯ヶ崎駐車場」があります。ここ以外は駐車不可。

標高は100m余り。海際に鎮座する社なので神社の標高はもちろん0m。時間にして15~20分ほどでしょうか。その先の「楯ヶ崎」へは30~40分程度。20分程度などと記すサイトも見かけますが、走らない限りそのような短時間では不可能です。杖が用意されています。


鯛や鰤の養殖も盛ん。これだけキレイな海水ならさぞかし美味しいものが…。



かつては海から船で着けての参拝だったと思われます。