室古神社


紀伊国牟婁郡
三重県熊野市二木島町67
(アクセス、駐車は下部写真参照)

■祭神
稲飯命
底筒男命
稲倉魂命
*ご祭神は三重県神社庁データによる。熊野市による社頭案内板は「豊玉彦命 熊野大神 稲飯命」。


「二木島湾(にぎしまわん)」を取り囲むように突き出した二つの半島。その先端近くに鎮座するのは北側の半島先が阿古師神社、南側の半島先に鎮座するのが当社。ともに神武東征に関わる社とされます。
◎神武東征の砌、海中で暴風に遭い漂蕩した皇舟。神武天皇の兄である稲飯命(イナヒノミコト)と三毛入野命(ミケイリヌノミコト)は海神を鎮めるために、相次いで入水(【書紀抄録】稲飯命と三毛入野命の入水の記事参照)。暴風が収まった後、両命は土民により発見。寄港して二所に奉斎し、稲飯命の御陵を尊崇して産土神として祀ったのが当社であり、三毛入野命の御陵を尊崇して産土神として祀ったのが阿古師神社であるとのこと。
◎一方で熊野市による社頭案内板はご祭神を豊玉彦命・熊野大神・稲飯命の三柱を宛ています。これは熊野市教育委員会が宛てるところの阿古師神社の「豊玉姫命・伊勢大神・三毛入野命」に対応するもの。
また社記には「神武御東遷の時、風浪の難に遭い皇兄稲飯命、三毛入野命共に海に入りて歿す。土人皇兄の屍をおさめて帰り、之を奉葬す」とあるとしています。
◎この「二木島湾」を境に伊勢大神が鎮まる志摩国英虞郡と、熊野大神が鎮まる紀伊国牟婁郡が分かれていたとのこと。英虞郡(あごのこおり)から阿古師神社、牟婁郡(むろのこおり)から室古神社という社名となったと伝わります。
◎当地で行われる「二木島祭」が有名。これは二社による例祭で、二艘の艘船が船子漕ぎ競争を繰り広げるもの。伊勢大神と熊野大神が酒を酌み交わした、捕鯨の様子を再現したなど多説あるものの、原初は神武東征譚に端を発したものではないかと考えています。地元の漁民がかつお船で神武天皇を助けに行ったという伝承があるとのこと。
◎神域は縄文時代からの複合遺跡で、「千古の杜」と言われます。詳細は資料が見当たらず不明。尾鷲市から熊野市にかけては、海岸沿いで多くの縄文時代の遺跡が発見されています。



駐車場は閉鎖、参拝日は日曜日だったからか地元漁師もほとんどおらず、社前に停め置き長い参道を走って参拝しました。道中の1~2kmほどは狭小道路で普通車はやや困難、運転に自信の無い方は避けられた方がいいかと思います。転回場所はこの先には無く、バックで漁師さん用の駐車場まで戻りました。

参道は100mほどあると思います。

縄文遺跡がある「千古の杜」というのは、奥の樹叢の中なのでしょうか。






二木島湾

対岸の半島。写真中央やや左に阿古師神社が鎮座、は先端の裏側。

上の写真を拡大したもの。

こちらは「楯ヶ崎」を訪れて撮った写真。