畠田神社


伊勢国多気郡
三重県多気郡明和町大字中村1029
(P有)

■延喜式神名帳
畠田神社 三座 の比定社
[合祀社 守山神社] 御山御前神社の論社
[合祀社 石田神社] 石田神社の論社
[合祀社 佐伎栗栖神社] 佐伎栗栖神社 二座 の論社
[合祀社 伊呂上神社] 伊呂上神社の論社
[合祀社 宇氣比神社(内座)] 宇留布都神社の論社
[合祀社 國之御神社] 國之御神社の論社
[合祀社 根倉神社] 櫃倉神社の論社・竹佐々夫江神社の論社・度会郡 萩原神社の論社

■旧社格
村社

■祭神
火之迦具土命 埴安比賣命 豊宇氣比賣命 饒速日命 天忍穂耳命 天津彦根命 活津彦根命 熊野久須毘命 天之穂日命 市杵島姫命 多紀理姫命 多岐津姫命 大日孁命 菅原道眞 大山祇命 蛭子命 品陀和氣命 建速須佐之男命 火産霊命 宇麻志摩治命 伊豆之賣命 入船姫命 宇迦魂命 彌都波能女命 土之御祖命


「祓川」の下流西岸、河口近くに鎮座する社。かつては「櫛田川」の本流は「祓川」でした。
◎由緒書によると、「下御糸」地区11ヶ字の神社がすべて「北藤原」の畠田神社に合祀され、そしてまた「中村」の畠田神社へ遷されたと。「下御糸」地区の24座のうち12座が式内社であったとしています。そのうちの根倉神社は度会郡の萩原神社の論社としても挙げられています。
「中村」というのは、吉野朝時代に伊勢国司 北畠顕能卿が「北藤原」「中藤原」「南藤原」の三村に三座をそれぞれ分祀したというもの。「中村」は「中藤原」のこと。
◎創建由緒等は不明。ご祭神三座について「神名帳考証」は豊宇氣毘売命・火之迦具土神埴夜須毘売神の三座に、「勢陽五鈴遺響」という書は軻具突知命・埴山姫命・稚産霊命の三座に。
これらから土器の製作がなされていたのではないかと考えられること、また五穀豊穣の神が祀られたのではないかと考えられます。
◎三重県神社庁は、「毎年収穫時期には当社拝殿に篤志農家から新穀の稲束(カケチカラ)が奉納されている。また9月25日にはカケチカラ発祥地(多気郡明和町根倉笹笛地区)にて新穀を奉納し、奉告祭を斎行している」とのこと。
これについて「日本遺産 祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」は、「神嘗祭に初穂の稲束を伊勢神宮の内玉垣に掛け、国の永遠の反映を祈る懸税(カケチカラ)行事の発祥の地」としています。
これは倭姫命が伊勢神宮を定めた翌年、鳥が大きな声で鳴くので大幡主命らを遣わし調べたところ、志摩国伊雜の葦原の中に根元は一本ながら千本の穂が実る稀有な稲があり、白い真名鶴が飛んでいたので伊佐波登美神に抜かせて神宮の御前に掛けさせたというもの(伊雜宮の創建説話でも)。 さらに翌年には皇太神宮の北方から真名鶴が飛んで来て日夜鳴いているので調べると、「佐佐牟江宮」 前の葦原に根元一本で穂が八百の穂が実る稲を咥えて鳴いていたので、天照皇大神の御前に掛け、その地に八握穂社を造らせたとあります(以上「倭姫命世紀」より)
◎この八握穂社が後に根倉神社と改称され当社に合祀されています。明治の合祀政策の禍根が残ります。






磐座が座しています。冬至にはこの背後から日が昇るようです。

その磐座がこちら。