伊雜宮
(いざわのみや・いぞうぐう)


志摩国答志郡
三重県志摩市磯部町上之郷374
(大型P有)

■延喜式神名帳
粟嶋坐伊邪波神社 二座 並大 の比定社

内宮別宮 10社の第8位

■その他社格等
志摩国一宮

■祭神
天照坐皇大御神御魂(アマテラシマススメオオミカミノミタマ)


皇大神宮の「別宮」であり、瀧原宮・瀧原竝宮と並び天照大御神の「遥宮(とおのみや)」でもある社。また志摩国一ノ宮とされ式内大社の比定社でもありますが、これらについては別に伊射波神社が論社とされています。
◎「倭姫命世紀」に創建についての記述があります。倭姫命が神宮創建の後、神饌を奉納する「御贄地(みにえどころ)」を探して志摩国を巡行したところ、伊佐波登美命がいた当地を御贄地と選定し創建に至ったとしています。
その際に倭姫命は一羽の真名鶴が激しく鳴いているのに遭遇。従者に確認させますが、もう一羽の真名鶴が稲をくわえて飛んで来て落としたとの報告。もの言わぬ鳥すら田を作ることに驚き、これを伊佐波登美神に命じて稲穂を抜き天照大神に奉納しました。その田を「千田(ちだ)」と名付け隣に建てたのが当社、そして真名鶴を大歳神として祀ったのが佐美長神社であると。
◎この内容については、当社神官が後の時代に加筆修正したとも考えられています。また「旧事本紀大成教」という書には、当社が本来の内宮であると書かれているようです。この書は江戸時代には偽書であると断定されました。ところが当社社叢とされる恵利原の水穴のさらに奥地は「猿田彦の森」と呼ばれ、天照大神が太陽神として君臨する以前に猿田彦大神が太陽神として君臨していたのかもしれないと考えられます。内宮・外宮を含む国家政策として偽書と断定したのかもしれません。
つまるところ当社の創建創祀については不詳と考えざるを得ないようです。
◎他にも竜宮伝承が周辺にいくつか残り、神宝の一つが玉手箱であるというものや、七匹の鮫が当社まで川を遡ってくるので神使としているなど、漁師や海女たちの海洋民族伝承と田の農耕民族伝承とが合わさっています。
◎ご祭神については現在は天照大神一座ですが、中世は伊佐波登美命と玉柱屋姫命が祀られているとされていました。玉柱屋姫命については「西岡家文書」に「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」、「瀬織津姫神天照大神分身在河」とあります。西岡家とは「伊雜宮御師」のこと(伊雜宮の普及活動に当たった人たち)。瀬織津姫に関しては、これまた偽書と名高い「秀真伝(ホツマツタヱ)」に登場する神。
総体的に謎を多く持つ神社。偽書による偽説を上塗り重ねしている可能性もあり、真相は不明とするべきなのでしょうか。
◎当社に隣接して「御料田」があり、「伊雜宮御田植祭」として「磯部の御田(おみた)」神事が行われています。これは国の重要無形文化財に指定されているもの。
◎上記のように恵利原の水穴、そしてその奥地は「猿田彦の森」と称されるところがあり、当社の奥宮ではないかとされています。また「鸚鵡石」と称される巨岩がある麓に「倭姫命の機織場」という伝承地も。さらにすぐ近くの「倭姫命舊跡地」には祭祀跡が発見され、「千田池」の伝承地も。

「和合山」展望台(「鸚鵡岩」頂部)

伊佐波登美命鎮座地


*写真は過去数年にわたる参拝時のものが混在しています。


倭姫命世紀にも登場する「千田」。「伊雜宮の御料田」であり「磯部の御田(おみた)」神事が行われています。