野蔵神社
(のくらじんじゃ)


近江国野洲郡
滋賀県野洲市南桜1
(P無し、道路向かいの御旅所前に寄せて停め置きました)

■祭神
木之花佐久夜比賣命
[配祀] 大山祇神 宇迦御魂神 豊受大神等十一柱


「御上山(三上山)」の南東に寄り添うように聳える「菩提寺山」の南西山裾に鎮座する社。南西山裾には和田神社が鎮座します。
◎社伝によると延暦三年(785年)創建とのこと。それ以外はほとんど伝わっておらず不明。桓武天皇の御宇であり、前年は大和から長岡京へ遷都された年。
和田神社の創建は霊亀元年(715年)と考えられるので、70年後のことであり、既に背後の御神体山(菩提寺山)は仏教施設が建てられ荒らされていたことと思います。
また和田神社の方と、当社に関わった仏教は宗派が異なるらしくおそらくは相容れなかったもの。争っていたのでしょうか。当山を境に野洲郡と甲賀郡に分かれているのは、これが原因ではないかとみています。
なお当社は比叡山延暦寺系の天台宗、和田神社の方は東大寺系の華厳宗というようです。
◎さらに想像を膨らませるのであれば、琵琶湖を挟み「比叡山」とは向かい合う位置、「御上山」は絶対的な不可侵の霊山であるため避け、当山を天台宗の輩が狙ったのではないかと。このことが当社創建に繋がったとみています。
◎この「菩提寺山」はかつて「櫻山」と称されていたらしく、古歌に当山のことが多く詠まれているようです(下部写真参照)。桜の名所として、平安貴族たちの有名な観光スポットの一つだったことが窺えます。木之花佐久夜比賣命が勧請された理由もこのことからと。
◎山頂付近には磐座があるとのこと。いくつかの登山情報を管見したところ、2~3mクラスの巨石が集積しているようです。
「御上山」山頂付近にも磐座が座しています(「御上山」磐座・巨岩奇岩の記事参照)。立地や山容など総合的に判断して「御上山」と「菩提寺山」は対になっていたと捉えるべきで、両山に磐座が据えられた際に、同時だったのかどうかはさておき、互いに意識しあっていたものと考えます。個人的な見解としては、弥生人(或いは縄文人)は両山を雌雄一対として信仰したものと思っています。


幅車1台分以上のスペースがあったので停め置きました。手前が当社御旅所。






眷属神は猿。日吉大社(記事未作成)の影響でしょうか。

奥が「御上山」、手前が「菩提寺山」。