和田神社 (湖南市菩提寺)


近江国甲賀郡
滋賀県湖南市菩提寺1806
(麓の御旅所にP有り、詳細は下部写真参照)

■祭神
素戔嗚命(牛頭天王)


「御上山(三上山)の南東に寄り添うように聳える「菩提寺山」の南東山裾に鎮座する社。
◎創建由緒等に関しては社頭案内板より。
━━奈良時代 第四十五代聖武天皇の御叡願を受けた良辨僧正が歴代天皇の国家鎮護の叡願所として当地に「円満山大般若台院少菩提寺」を建立開基され、また、一山の守護神として三座を勧請鎮座されました。その一座が「祇園天王社」で、当社の始まりです━━と。
◎つまり「菩提寺山」に少菩提寺という仏教施設が創建され、当社はその鎮守社として創建されたとみえます。その仏教施設は明治に廃されています。
なお三座の他の二座については、現状調べきれていないため分かりません。
◎遷座があったようですが、現社地とはさほど離れた所ではなさそうです。現社名となったのは明治期。和田翁という者が当社再興に尽力したからというのがその理由。
◎一方で瑞垣前には「和田明神と神亀の由縁」という案内板とともに、亀の置物が据えられています。
━━「少菩提寺縁起」には、奈良の都の時代、霊亀元年(715)聖者金粛大菩薩(良辨僧正)が金勝山の岩窟にこもって修行をしておられると、北方の山上より輝きを発している光明の出現に感応を受けられた。岩窟を出て、光明に導かれるまま山を下って甲賀大川(野洲川)の南岸に臨み賜うと、一人の翁(素戔嗚命)が忽然と現れられて、"師、光明の奇端を知ろうとなさるならば、我その所に案内しましょう"と申されて、師とともに大川をお渡りになって北側の大岩(亀ヶ淵の亀岩)の所に誘導なされた。この亀ヶ淵の主であって吉祥を招くという不思議な霊力を発揮する神亀であったことになる━━と。
◎仏教らしい大仰さが甚だしい目障りな表現が目に付くものの、それらを削ぎ落とした内容から察するに、当社創建に関わるものと思われます。「亀ヶ淵の亀岩」なる大岩(霊石)が座していて、太古からの信仰の対象であったように見受けられるかと。この霊石の所在については資料が乏しく不明。
◎この「菩提寺山」については、南西側の山裾に鎮座する野蔵神社から「櫻山」「櫻の山」と称されていたことが分かります。万葉集にも多く詠まれた美麗な山容。これは木之花佐久夜比賣命が鎮まることからのものと思われますが、創建由緒は不明。
◎ところが冒頭に示したように、当山は「御上山」を意識して捉えるべきかと考えています。「亀ヶ淵の亀岩」なるものがどういったものか不明ながら、当山の御神体であったのかもしれません。そして遅くとも弥生時代からの信仰があったものと思われ、そこに新興の仏教が被さったものと思います。


駐車場は県道27号線沿い。集落の奥地に鎮座しますが、狭小道路であるためこちらに設けられたようです。

元来は御旅所であるようです。



集会所は無くなり更地と化しています。





奥が「御上山」、手前が「菩提寺山」。