大鹿三宅神社
(おおかみやけじんじゃ)


伊勢国河曲郡
三重県鈴鹿市池田町14
(道路向かいの公園に停められます)

■延喜式神名帳
大鹿三宅神社の論社

■旧社格
村社

■祭神
香山戸神
菅原神 保食神 大山津見神


鈴鹿市郊外、伊勢湾からは2kmほど内陸部の密集した古い集落内に鎮座する社。
◎創建由緒については不明。社伝によると久安三年(1147年)とあるようですが、当社が式内社であったとするとこれは相反するもの。
◎当社は式内社 大鹿三宅神社の論社として挙げられます。「大鹿」は大鹿首が奉斎した社ということ、「三宅」は「屯倉(天皇直轄地)」のこと。
他に神戸石橋町の神舘飯野高市本多神社に合祀された大鹿三宅神社、国府町の三宅神社、三宅町の三宅神社が挙げられています(いずれも未参拝)
◎大鹿首(大鹿氏)は伊勢国有数の氏族。「新撰姓氏録」に「未定 雑姓 右京 津速魂命三世孫天児屋根命之後也」と記されます。
その本貫地は式内社 相鹿上神社の辺り、もう一方は式内社 大鹿三宅神社の辺りと、異なる二説があり意見が別れているようです。いずれも拠点であったとは思いますが。
紀には伊勢大鹿首小熊の娘である菟名子(ウナコ)が敏達天皇妃となり、太姫皇女(フトヒメノミコ)と糠手姫皇女(ヌカデヒメノミコ)をもうけています。伊勢国で唯一天皇系譜と繋がる氏族でした。
◎ところが「神社覈録」はこれを否定。地名を冠しただけであり、当社は三宅連が祖の三宅神を祀る氏社であるとし、この例は多く見られるとしています。
三宅連については複数の系統があるとされますが、こちらは「屯倉」を管理した氏族を指しているものと思われます。
◎ご祭神の香山戸神(香山戸臣神)は、大歳神が天知迦流美豆比売を娶って生んだ神々の一。奥津日子神・奥津比売神大山咋神、庭津日神、阿須波神、波比岐神、香山戸臣神、羽山戸神、庭高津日神、大土神が生まれています。
◎明治には山神社や菅原社など、近隣5社ほどを合祀したようです。