熊野荒坂津神社
紀伊国牟婁郡
和歌山県新宮市三輪崎字峰2300
(P有)
■祭神
神日本磐余彦尊
媛蹈鞴五十鈴媛命 布津主命
神武東征において記される「熊野荒坂津」を当地であるとし、明治百年を記念し昭和四十ニ年に創建された新しい社。
◎紀においての記述は以下の通り。
━━(神武軍は)狹野を越えて「熊野神邑」に到る。そして「天磐盾に」登り進軍させた。(暴風雨に遭い、次男の稲飯命、三男の三毛入野命は海神を鎮めるために、共に入水する) 天皇は皇子の手研耳命と軍を率いて「熊野荒坂津」、亦たの名を「丹敷浦」に至る。そこで丹敷戸畔という者を誅した。その時神が毒を吐いて皆が病んでしまった━━(大意)
◎「狹野」とは現在の「佐野」に比定。「天磐盾」がゴトビキ岩(神倉神社)に比定されるため、「熊野神邑(みわむら)」はその間の「三輪崎」、つまり当地辺りになろうかと考えられています。そして二人の兄が入水したのは北方30kmほどの「二木島湾」に比定。阿古師神社や室古神社がゆかりの社。文脈や伝承等から判断するに「熊野荒坂津」というのは、この「二木島湾」とするのが有力。
なお南方40~50km先の串本町には、「戸畔の森」と称される丹敷戸畔の塚があります(現地未確認)。
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