■ 海石榴市  ~万葉ロマンをぶらりと~ 
(令和二年 9/30)



お昼に上げた八幡神社 登拝探索記事の通り、少々残念な感じで下山。十二神社への参拝が叶ったという収穫はあったものの、少々煮え切らない感じ…。


このままでは帰れない!
日暮まで時間もまだある!
体力も少々残ってる!

車を走らせながらいろいろ考え…

そうだ!もう一度ちゃんと「海石榴市(つばいち)というものを見直そう!…と。





10数年前にさらさら~っと訪れ、
2年ほど前にちょっと歩いてみた程度。

記事にすることすら忘れてたみたい(笑)


ここで「海石榴市(つばいち)とは何か!を。




案内板を載せることでごまかしておきます。
(後ほどちゃんとした記事を上げますので…)

「大いににぎわいました」←ココ重要!


飛鳥時代には都の玄関口として大いににぎわいをみせていた地なのです。

小野妹子が遣隋使から帰国し到着したのもこの地。

また古墳時代には近くで雄略天皇や武烈天皇の宮も営まれています。飛鳥時代には欽明天皇の宮も。

仏教伝来もこの地とされています。




概略はこの辺にして…

まずは歩きました。




歩くのはこんな道。




万葉ロマンの道…もう少し何とかならんのか…

寂れた古代大和好きはそんなことを言いません!




これがいいのです。

これでいいのです。

これこそが大和の万葉ロマンなのです。
共感頂ける方も多いのではないかと思います。




海石榴市観音。

仏教なんぞに関心も何も無いですが
史跡の一つとして抑えておきます。




今頃ですが地図を載せておきます(笑)




「海石榴市」の案内等が設けられている一角。
かつての中心地だった?




大いににぎわっていたのでしょうね~

名残があります。




続いて向かったのは

大神神社 摂社・末社・雑社のうち、未だ参拝できていないのはこの2社のみ。
(参拝済み、記事上げられていない神社を除く)


どうしても参拝しておきたかった社。

2年前に参拝に向かうも、
台風で参道が崩れ断念していたので。




無事に参拝が叶いました。




また「泊瀬川(初瀬川)」に戻り
川縁をトボトボと歩きます。

いや…颯爽と?と書くべき?


いやいや…栄枯盛衰の哀愁を少々感じながら?





「三輪山」の裏側を眺めながら
「泊瀬川」畔を歩くという贅沢。

「三輪山」を愛する方、古代大和を愛する方なら、ご理解頂けるのかも…。




到着したのは欽明天皇 磯城嶋金刺宮

ここも抑えておきたかったところ。



訪れた地そのものの数は少ないけど
気分はとても満足、お腹いっぱい!

いつ終えてしまうか分からない人生、
行けるうちにとことん行っておこうかと思っています。


歩数計は1万5000歩!
久しぶりに歩いたけどまだまだ歩けるな…