☆雄略天皇 泊瀬朝倉宮跡伝承地
「暴君」として名高い第21代雄略天皇ですが…
紀には「大悪天皇」とまで罵られていますが…
天皇(大王)による専制支配を確立していったとも。
その雄略天皇の「泊瀬朝倉宮(はせあさくらのみや)」の伝承地として、白山神社境内が指定されています。
近年、西500m程の脇本遺跡から巨大建造物跡が発見され、そちらの方が有力となりましたが。
河内国「志貴」という説もあり、
こちらも記紀の記述を見れば切って捨てがたいとも言えますが。
他に北東100mほどの「天の森」(現地未確認)や、「岩坂」地区の十二神社の境内地が候補地として挙げられています。
いずれにしても当地出身である故保田與重郎氏が、当地こそがと提唱されました。
その保田與重郎の筆による
「萬葉集發燿讚仰碑」と、万葉集の冒頭の歌の石碑が建てられています。
万葉集 巻1-1、つまり冒頭の歌が雄略天皇の歌。事実かどうかはさておき。
━━籠もよ 美籠もち ふ串もよ 美ふ串もち この丘に菜摘ます子 家告らせ名告らさね そらみつ倭の國は おしなべて吾こそをれ 敷きなべて吾こそませ 我をこそ背●● 告らめ 家をも名をも━━
※●●は「とは」か
「子」はもちろん娘のこと、
当時は名告ることは求婚をOKしたということ。
2行目後半の「そらみつ倭の國は…」は天皇が大和国を支配しているという意味のことを言っているのかと思います。
「先にワシが名告ってろうか」などと
これまた節操のないことをおっしゃってますが(笑)
もちろん、本当に雄略天皇が歌ったものであるのかどうかの問題もありますが。
さて…
このように節操もなく、大して意味のない歌を冒頭に据えるのは、非常に不可解なこと。
雄略天皇の御世は200年程度前のことでもあり
編纂直近の歌だというのならまだしも、
他に冒頭に相応しい歌はあったはず。
「裏の解釈」があるはず!
…と考えるのが賢明かと思っています。
ここではこれ以上は差し控えますが。
*写真は過去数年にわたる参拝時のものが混在しています。