☆和爾下神社古墳


大和国添上郡
奈良県天理市櫟本町櫟本宮山(和爾下神社 上治道天王社境内)
(P無し、一の鳥居を潜りすぐ左の境内社付近にいつも停めています)



和爾下神社(上治道天王)の拝殿・本殿が後円の墳丘上に鎮座する前方後円墳。古墳は南北に築かれ北に前方、南に後円が位置しています。

概要に関しては案内板の写真を掲載することで恐縮ながら割愛。

案内にあるように和爾下神社古墳、東大寺山古墳、赤土山古墳が首長級であり、全部で200基ほどが確認されています。

シャープ天理工場、西名阪国道の建設に伴い発見、調査されていますが、
西名阪国道や付近の宅地開発はさておき、天下のシャープさんのことですし、破壊されずに丁重に遺跡は保存されたと思いたいところ。

失われた古墳や遺跡は数十基程度かな…と想像を。
西名阪国道は磐座、古墳、その他遺跡等を壊滅状態にしたようですが。

当地一帯は和爾氏(和珥氏)の本貫地、その首長墓と考えて間違いないかと思います。

ところがこのワニ氏、実はよく分からない氏族であり、出自等の通説はありません。

「新撰姓氏録」には第五代孝昭天皇の第一子である天足彦国押人命を始祖とする皇別氏族。個人的には実在したと考えているものの、実在していない天皇とされるのが趨勢。姓氏録の記述そのものを信じていいのかどうかの問題もあります。系譜を繋げただけなのかもしれません。

今のところ元海人系氏族とするのが有力でしょうか。何しろ「鰐(ワニ)」ですし。また「ワニ」から事代主神との関連も考えておかなければならないと思います(大神神社の境外摂社である大行事社・摂津国の溝咋神社の参照)。

4世紀後半~6世紀頃が最盛期。第7代孝霊天皇には后を第9代開化天皇には妃を入れています。孝霊天皇后の細媛からは第8代孝元天皇が生まれ、開化天皇妃の姥津媛からは彦坐王が生まれています。

ただし著名人物(神)がいないことが難点かと。出自や事績など素性を知る手掛かりが見当たならないのが実情。海人系と考えられることから、綿津見神を祖神とするとも言われますが。

なお後に春日氏(大春日氏)、柿本氏、小野氏などに改姓し分派していきますが、柿本人麻呂や小野篁、小野妹子、小野道風、小野小町などの著名人が現れています。

石室の天井石が転がっています。寺で悪用されていたのでしょうか。


シャープ天理工場内の案内板。古墳群の位置関係と古墳の向きが分かります。

和爾下神社(上治道天王)の拝殿。後円墳丘上に建てられています。