巨勢山座岩椋神社
(こせやまにますいわくらじんじゃ)


大和国高市郡
奈良県橿原市鳥屋町998
(P無し)

■延喜式神名帳
巨勢山坐石椋孫神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
石椋孫神
天児屋根命
倭彦命


新沢千塚古墳の東方、宣化天皇と皇后の橘仲姫皇女 身狹桃花鳥坂上陵身狹桃花鳥坂墓(桝山古墳)がある鳥屋集落の東端に鎮座。現在は西側に大規模な橿原ニュータウンがあります。鳥居と参道は西側集落の畦道から。
◎元々は身狹桃花鳥坂墓(桝山古墳)の頂にあったものを、明治に陵墓治定されて整備、当地に遷座されたようです。その陵墓の被葬者は倭彦命とされ、現在のご祭神にもみえます。また当地には八王子神社が鎮座していたようですが、形状から当地もまた古墳ではないかと考えています。そのような説は出されていませんが。社名から「巨勢山」と称されていたのでしょうが、巨勢氏が本貫としていた辺りからは相当離れており、理由は不明と言わざるを得ません。
◎当社の創建由緒については、室町時代の「五郡神社記」に詳しく記されています。まずご祭神は「石椋媛神」であるとし、社名も「巨勢山坐石椋媛神社」であると。そして「愚考するに…」という前置きがあるものの、「大物主神が三穂津姫を連れて天高市より巨勢山中に天降り、三穂津姫を娶りて男子を生む。天八現津彦命と号す(亦巨勢津彦命と云ふ)。又妣(なきはは)三穂津姫命永く巨勢山中の石陰に磐石を以て窟を造り拝祭、故に石椋神社と云ふ也」と。つまりご祭神「石椋媛神」は三穂津姫命のことであるとしています。
◎三穂津姫命は高皇産霊神の娘神。書紀の一書に、高皇産霊神が大物主神に対し「汝が国津神を妻としたなら私は汝に異心があると考える、それ故私の娘三穂津姫を妻とする、八百万神を率いて皇孫に永遠に仕え奉れ(大意)」として登場します。記紀ともに記述はこの一点のみ。
◎大和国の村屋坐彌冨都比賣神社や出雲国の三保神社(記事未作成)、丹波国の出雲大神宮などで祀られます。三保神社はおそらくご祭神が間違っていると思われ、出雲大神宮は大物主神を大国主神のこととしてご祭神に加えたものとみられます。従って事実上、村屋坐彌冨都比賣神社のみかと。
◎なお先の「五郡神社記」にみえる「天八現津彦命」についてはまったく不明。当地に元々鎮座していた八王子神が、実はこの神であったのかもしれません。また別名「巨勢津彦命」とありますが、同じ高市郡に鎮座する許世都比古命神社の「許世都比古神」とはまったく異なる神かと思います。
◎以上を概括的に鑑みて、「五郡神社記」の記述を信用するなら三穂津姫命が祀られ、また近くの桝山古墳はその墳墓であった可能性もあるかと考えます。また当社はそもそも葛下郡の巨勢郷辺りに鎮座していた可能性もあるかと。桝山古墳に葬られたため、墳丘頂に遷座されたのではないかと。非常に根拠に乏しい考えではありますが、以上のような可能性もあるかと考えています。
◎なお、もちろんのこと境内には磐座はありません。


もう何度も訪れており、境内はくまなく探索済みで手を合わすのみ。車はニュータウン側のここに停めて駆け足で参拝しています。




こちらが参道のある畦道。

ご本殿から貝吹山を。