☆宣化天皇 身狹桃花鳥坂上陵
☆宣化天皇皇后橘仲姫皇女 身狹桃花鳥坂上陵
(鳥屋ミサンザイ古墳)
(むさのつきさかのえのみささぎ)



大和国高市郡
奈良県橿原市鳥屋町
(駐車場有るもののポールで閉じられ利用不可、参道前に寄せて停め置きしています)



第28代宣化天皇と、その后である橘仲姫皇女の合葬に治定される墳墓。

宣化天皇は、第27代安閑天皇(同母兄)が崩御した際に皇子がいなかったため即位。継体天皇の第2皇子。

69歳で即位、在位はわずか3年間。
高齢、短命であったことから目立った事績はありません。新羅が百済と任那を攻めた時に、大伴狭手彦を防衛に派遣しています。

蘇我氏の礎を築いた蘇我稲目は、次の欽明帝の時から頭角を現しますが、宣化帝の時に大臣に就任しています。また大伴金村と物部麁鹿火を大連にしています。

安閑・宣化天皇と欽明天皇は並立していたという説も根強くありますが。

合葬されている橘仲姫皇女は仁賢天皇の皇女。山頂


御陵は全長138mの前方後円墳、周濠有り。

円筒・朝顔型埴輪が出土。
陵墓は発掘できないはずであり、治定前かもしくは周濠からの出土でしょうか?

5世紀後半から6世紀前半の墳墓とされ、宣化天皇とは数十年の開きがあるようですが。他に丸山古墳を宣化天皇陵とする説も。

そちらは牟佐坐神社の近く。身狭村主青(ムサノスグリアオ)が奉斎したとされる社。「身狭(ムサ」をこの辺りとするなら整合が取れます。


「桃花鳥」で「ツキ」の訓。「ツキ」は桃の花の色をした「トキ」からの転訛とされます。地名の「鳥屋町」はその名残とも言われています。

*写真は2019年3月と2022年6月撮影のものとが混在しています。








すぐ横の民家の庭にも古墳らしきものが。