鳥坂神社 (橿原市鳥屋町)


大和国高市郡
奈良県橿原市鳥屋町17-1
(「白橿幼稚園」側から進入するP有)

■延喜式神名帳
鳥坂神社 二座 靫鍬 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
豊受比咩命


神武東征の大功により道臣命に「宅地(いへどころ)」が与えられたとされる、「築坂邑(つきさかむら)」の伝承地辺りに鎮座する社。「築坂邑傳稱地」碑が北西すぐの路傍に、ひっそりと立てられています。
新沢千塚古墳群の東方に鎮座。宣化天皇と皇后の橘仲姫皇女 身狹桃花鳥坂上陵や、身狹桃花鳥坂墓(桝山古墳)がある「鳥屋」集落の東端に鎮座。現在は西側に大規模な橿原ニュータウンが開発されています。
◎紀の神武天皇即位二年の条、「道臣命に宅地を賜ひて築坂邑に居らしたまひ」とみえるのが当地であると考えられます。新沢千塚古墳群は道臣命の後裔一族、大伴氏のものと思われます。また日本武尊東征に従軍したという武日命の伝承墓は、古墳群の南西端にあるとも(藪に覆われ参拝は困難とのこと)。武日命は道臣命の6代後になるでしょうか(「古屋家家譜」より)。
◎当社はその道臣命が祖神二柱を奉斎したのを始めとする社。つまり神武東征に供奉した道臣命が論功行賞により当地を賜り、高皇産霊神と天忍日命を祀ったものと思われます。これが神名帳にある「二座」ではないかと。
◎ただし宝賀寿男氏(日本家系図学会会長・家系研究会会長)は、大伴氏の始祖を高皇産霊神とはみておらず、本来は安牟須比命(=カグツチ神)であろうとしています。天孫族の祖神である高皇産霊神を始祖とするのは理にかなわず、後世の伝承であろうと。弥生時代に大陸から入植してきた天孫族とは異なり、大伴氏は縄文以前からの原日本人、いわゆるカグツチ神を仰ぐ「山祇族」であるとしています。
◎現在のご祭神は豊受比咩命。江戸時代には天照大神であったようで、いつしか分からなくなっていたご祭神に伊勢の大神を宛てたものでしょうか。室町時代の「五郡神社記」には「左高皇産霊尊、右天押日命也」と記されているとのことで、おそらくはそれ以降に分からなくなったものかと思われます。
◎社名「鳥坂」については、「築坂(つきさか)」あるいは「衝坂(つきさか)」であったものが、桃花が多く生え「桃花鳥坂(つきさか)」とも称され、さらに「桃花」が略され「鳥坂」になったと考えられています。上記の二墓から当地であることが証されるかと思います。
◎なお東隣は同じく神武東征後の論功行賞の下りで、「使ひ大來目、畝傍山西の川邊に居る。今來目邑と號づくは其の縁也」と記される、大來目の後裔一族の久米氏が根拠地としたところ。久米御縣神社や久米寺があります。
上述の宝賀寿男氏は、大伴氏と久米氏がかつて同族であったとし、崇神天皇頃に分岐したとみています。


*写真は2017年夏頃、2019年6月、2023年9月撮影のものとが混在しています。


Pから登ったところにある境内を。2023年参拝時にはコーンでPが塞がれていましたが、自力で除けて参拝。




右手(北方)奥に見えるのは「畝傍山」



古代きっての名門氏族であった大伴氏ですが衰退、慎ましやかなご本殿となっています。

かつての境内社の名残のようです。判読はできません。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。