☆ 築坂邑傳稱地碑 (つきさかむら)



大和国高市郡
奈良県橿原市鳥屋町
(「鳥屋交差点」南西角、セブンイレブン橿原鳥屋町店より東へ200mほど)



紀の神武東征後の即位二年の条に見える「築坂邑」の伝承地。石碑のみが立てられています。

━━(神武天皇即位)二年春二月二日、天皇功行賞を定む。道臣命に宅地を賜はしめる。異の寵を以て築坂邑に居る。亦た使ひ大來目、畝傍山西の川邊に居る。今來目邑と號づくは其の縁也━━

道臣命は大伴氏の祖、大來目は久米氏の祖。大來目は大伴氏に率いられて従軍したと紀には記されています(記は同格に扱う)。
「築坂邑」は詳細地が記されていないものの、この地が後の時代にも「築坂村」と称されていること、「來目邑」の場所がおおよそ推し量られその西隣であることから、現在の「鳥屋町」辺りが該当するものと思われます。

「畝傍山」の西の川辺とは、現在の「高取川」。近くに久米御縣神社や久米寺があります。

なお大伴氏と久米氏はかつて同族であったと考えています。分岐したのは後の崇神天皇の頃でしょうか。
(→ 近いうちに「阿蘇ピンク石」製石棺のテーマ記事にて記していきます)


この伝承碑のすぐ近くに鎮座する鳥坂神社(*現在は記事改定作業中、明日昼の再UPまでリンクに飛びません)が、当地の氏神であったと思われます。
社名「鳥坂」については、「築坂(つきさか)」あるいは「衝坂(つきさか)」であったものが、桃花が多く生え「桃花鳥坂(つきさか)」とも称され、さらに「桃花」が略され「鳥坂」になったと考えられているようです。


石碑の南側から撮影。赤信号になっている背後は「畝傍山」

鳥坂神社境内と右手奥の「畝傍山」



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。