川田神社 (水口町北内貴)


近江国甲賀郡
滋賀県甲賀市水口町北内貴490
(北側から周り込んで社務所横に停めていいかと思います)

■延喜式神名帳
川田神社 二座 並名神大 月次新嘗 の論社

■旧社格
県社

■祭神

天川田奈命
[配祀] 天児屋根命 大己貴命


式内名神大社の論社。同じ「野洲川」沿い上流の土山頓宮に同名社(未参拝)、下流の湖南市にも同名社(未参拝)が挙げられています。
天湯川桁命(アマノユカワタナノミコト)は鳥取氏や美努連の祖神とされています。「新撰姓氏録」には「鳥取 角凝魂命三世孫天湯川桁命之後也」、「美努連 角凝魂命四世孫天湯川桁命之後也」と。河内国の天湯川田神社などで祀られます。また始祖の角凝魂命が鳥取氏が奉斎したとされる和泉国の波太神社宿奈川田神社(白坂神社)などで祀られます。一方美努連は河内国の御野縣主神社などで祀られます。
◎30歳を超えても話すことができなかった垂仁天皇の皇子の誉津別命(ホムツワケノミコト)が話せるようになったのは、天湯川桁命が捕らえた鵠(クグイ)のおかげと紀には記され、その功により「鳥取姓」を賜ったとされます(「もの言わぬホムチワケ皇子のためなら」記事参照)。
天湯川桁命について谷川健一氏は金属鍛治神であるとしています。誉津別命が話せなかったというのは水銀中毒にかかっていたとも。それに対し折口信夫氏は「水の女」説、他に「桁川の川上(ほとり)」を意味するという説も。綿密な民俗学の研究から編み出した谷川氏の説が妥当でしょうか。
◎社伝によると創建は垂仁天皇の御代。倭姫命が天照大神の御霊代を奉じて「甲可日雲宮」に留まった際に、「甲可山直郷に景勝の地があり、鎮座せんと欲する」との神託があり、人を遣わせて川田山に祀らせたのを起源としています。つまり数十の候補地がある元伊勢「甲可日雲宮」の一。



境内背後の山とはなぜか正対するご本殿。

こちらから登拝できそうに思いますが籔化しており、断念しました。