宿奈川田神社 (白坂神社)
(すくなかわたじんじゃ)


河内国大県郡
大阪府柏原市高井田661
(P無し、すぐ横の近鉄高井田駅ロータリーには常時待ち合わせ等の車が駐停車しています)

■延喜式神名帳
宿奈川田神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
宿奈彦根命
高皇産霊命



式内比定社でありながら、現在は非常に寂しい佇まいの社。「大和川」沿いに鎮座し、長い歴史の間に洪水で流されたりなど、遷座があったかと思われます。とかく「地辷り」「洪水」と自然災害で知られる川。すぐ背後は「高井田横穴群」と称される丘陵地。当社の通称は「白坂神社」とされます。
◎創建由緒等に関してはほとんど伝わっておらず不明。当社の起源を探るに「式内調査報告」が詳しく、かつ信憑性が高いかと考えます。概略は以下の通り。
「神名帳」においては天湯川田神社の次に上げられ、社名は同じ「川田」。両社の密接な関連が窺えると。天湯川田神社天湯川田奈命をご祭神としているということは、社名「宿奈川田」も同じくご祭神名を表すと思われると。「大宮大明神末社帳」(1467年)には「当社は白坂大明神と称し、祭神は宿奈彦名命で天湯川田奈命の祖神である」としていると。以上から鳥取氏の氏神として崇拝されていたと推察しています。
天湯川田神社とは当社地より北西500mに鎮座する式内比定社。両社ともに社家は鳥取氏であるとのこと。機織に関わる氏族であるという説と、鍛治氏族である説と二通りありますが(→ 天湯川田神社の記事参照)科戸辺命という風神が祀られているところをみるとやはり鍛治氏族なのかもしれません。宿奈彦名命とはもちろん少彦名命のことであり、天湯川田奈命(天湯河板挙)の子とされます。
◎当社より北北西1km余りに鎮座する二宮神社(ふたみやじんじゃ)が「式内社 宿奈川田神社」の論社として挙げられています。その鎮座地は「字白坂」と呼ばれるとのこと。当社に習合され、本来の「式内社 宿奈川田神社」が取って替わられたとみるべきでしょうか。
◎「河内名所図絵」には、「高井田村東南に在り 土人白坂明神と称す 此地の生土神(産土神)とす」とあります。「白坂」というのは当社背後の「竹原山」の土が白いことからとされます。この「竹原山」というのは、すぐ背後の「高井田横穴群」の丘陵地のことか、或いはもっと背後の山地のことか不明。
なお現社名となったのは明治になってから。現地では「白坂神社」でしか通用しないようです。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


境内に老人クラブの建物があり、境内の清掃もなさっているのをよく見かけます。

神域はかなり狭く、ご本殿もかつての式内社に見合うものではありません。


御神木が桃の木であることからによるもの。

「賤(しず)の女が 川田原に つぶせりも たがために 袖ぬらすらん」藤原俊成

「朝な朝な 立つ秋霧の さもいくかもの 竹原山の 紅葉染めけむ」柿本人麻呂

「竹原の 石井の水や まさるらん 立田の山の 五月雨のころ」藤原俊成