波太神社


和泉国日根郡
大阪府阪南市石田167
(大きなP完備)

■延喜式神名帳
波太神社の比定社

■旧社格
府社

■祭神
角凝命(ツノコリノミコト)
応神天皇


大阪湾と和泉山脈に挟まれた、和泉国の南西端に近い阪南市「石田」集落の南西部山裾に鎮座する社。

◎創建年代は不詳。当社縁起「波太宮八幡宮来由記」によると、往古はこの地区の南にある「桑畑」(社頭掲示板では南、地図で確認すると東)に鎮座。角凝命の三世孫である天湯河板擧命(アメノユカワタナノミコト)が、言葉を発することができない垂仁天皇の誉津別(ホムツワケ)皇子のために鵠(クグイ)という鳥を捕まえ天皇に献上すると話せるようになったという説話があり、その功で鳥取造(トトリノミヤツコ)の姓を賜り鳥取部を定め、居住地に祖神 角凝命を祀ったのが始まりとされています。これは記紀に記される神話に基づくもの(→ 「もの言わぬホムチワケ皇子のためなら」記事参照)
◎「新撰姓氏録」には、「和泉国 神別 鳥取 角凝命三世孫天湯河桁命之後也」とある氏族(他にも記載有り)。始祖は少彦名命。鳥取氏は製鉄鍛冶氏族と考えられます。誉津別皇子は聾唖者であり、これは鉱毒によるものと考えられます。天湯河板擧命の神名は鉄が溶解した様子を表したものであると。また鵠を追いかける様子は、鉱山を求めて鳥取氏が移動した様子を準えたものとする説が有力。
◎「倭名類聚抄」(930年代編纂)に見られる「鳥取」の地名は以下の通り。
*河内国大県郡 … 天湯川田神社金山媛神社など製鉄鍛冶に所縁の神社
*越中国 … 鵠の捕獲伝説地の一
*丹後国竹野郡 … 巨大製鉄工房跡の遠處遺跡有り
*因幡国 … 「鳥取」の地名由来、鵠の捕獲伝説地の一
*備前国 … 赤坂郡「鳥取郷」にスサノオ神が八岐大蛇石上布都御魂神社が鎮座
*肥後国合志郡
以上はごく一例を簡潔にまとめるに留めたもの。その他の一文献や各々の地の周辺までを含めると、鳥取氏と製鉄鍛冶の関連は明らかといっても過言ではないかと考えます。
◎当地に於いては、五十瓊敷入彦命が垂仁天皇の勅命で大刀一千口を作っています(→ 書紀抄録/五十瓊敷命と大刀一千口)。鳥取氏、或いはその前身の鍛冶集団が行ったものと思われます。
◎かつては「鳥取大宮」と称していたようです。現社名の「波太」は旧社地の「桑畑」に由来するとのこと。
◎「鳥取大宮」は天授年間(1375~1381年)に兵火に遭い焼失、現在の地で同じく焼失した当時は八幡宮と称されていた指出森神社を相殿に迎えて再興したと伝わります。
この八幡宮は神功皇后が新羅からの凱旋の折り、武内宿禰が船を鳥取の「玉津浦」(現在の「貝掛の浜」)に繋いで誉田別皇子を懐に入れて海岸で遊んだのにちなんで、この地で皇子を祀ることになったとのこと。
相殿に迎えた八幡宮は旧地「貝掛」にて再建されていますが、当社に於いても従前通りに相殿にて祀られています。
◎ご本殿周りの様子を示す資料が見当たらず不明ながら、ご本殿は「波太宮」と「八幡宮」が同殿内に相並び祀られ、また同じく同殿内の右(向かって左)奥に末社 三神社が鎮座するように思われます。三神社は拝殿の向かって左側から拝することができます。天湯河板擧命・神功皇后・武内宿禰が祀られているとのこと。
◎現在の社殿は再び兵火に見舞われたのを豊臣秀頼が再建したもの。思わず見とれるほどの勇壮で美しい社殿、広い神域。これでも再興時にほとんど収公されたらしいですが。


*写真は2019年2月と2024年4月撮影のものとが混在しています。



20~30台以上停められる駐車場。









一の鳥居側の狛犬。



厳島神社(市杵嶋比売命・国常立命)



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