陽夫多神社
(やぶたじんじゃ)


伊賀国阿拝郡
三重県伊賀市馬場951
(P有、南側から進入)

■延喜式神名帳
陽夫多神社の比定社

■旧社格
県社

■祭神
須佐之男命
[配祀] 五男三女神
[合祀] 天之火明命 火之迦具土神 香香背男神 大物主神 大山祇神 大日孁貴命 宇迦之御魂命 伊邪那伎命 伊邪那美命 速玉之男命 事解之男命 天兒屋根命 蛭子命 菊理比賣命


「天王山(川合山)」を背後にその麓に鎮座する社。拝殿までは平地、ご本殿等は中腹になります。「天王山」には古墳群があります。
◎様々な文献に様々な社名にて登場する社。「陽夫多神社」「籔田社」「川合社」「高松宮(高松神)」「高松祇園社」など。
「川合社」というのは「河合川」と「鞆田川」の合流地点にあることから。「高松宮」というのは松の巨樹があるからというもの。現在、境内には松の高木がありますが、樹齢一千年は超えそうにないもの。「日本三大実録」の八百六十一年の条に「高松神」とみえることから、現在の松のことではないと言えます。古代にも同様の巨樹があったのか、あるいは別の意味か。鳥越憲三郎氏は、「高」を宛てることが多い葛城系の神ではないかとしているそうですが、これだけでは根拠薄弱か。
◎神階の付与を見ると、「陽夫多神」と「高松神」と別個に記されています。つまり二社が鎮座していたということに。当社神官の記した書に、五丁(500m余り)ほど東の「藤山」という地から遷してきたという記述があるらしく、「陽夫多神」はそこにあったのかもしれません。
◎「延喜風土記」には「阿拝郡川合山に神有り籔田明神と号す」とあり、「国造多賀連、これを祀る」と。この「国造多賀連」を近江国から移住してきたとみる向きもあります。当地を支配していたのは阿保氏。
一般に阿保氏は息速別命を祖とする氏族と、於知別命(意知別命)を祖とする氏族の二系統あります。息速別命と於知別命は異母兄弟、いずれも垂仁天皇の皇子。息速別命は垂仁天皇により当地に宮室が設けられました(→ 参考記事 : 「阿保頓宮址」)。そして伊賀国造家を代々世襲しました。一方於知別命が拠点としていたのは近江国。「多賀連」というのはこのことかもしれません。「日本三大実録」では系譜が混同しているようにも思われますが。
◎「陽夫多神」については元の鎮座地(推定地)から、まさしく「川合」であったかと考えられ、水神または農耕神かと思われます。
「高松神」については不明ながら松の巨樹だったのでしょうか。それがいつの間にか牛頭天王となり、須佐之男神へと変遷を遂げたようです。



ここからは駐車場へは行けません。


神楽殿でしょうか、とても立派なもの。





奥の「天王山」には古墳群があります。雨がひどくなったので今回も断念。