☆ 聖武天皇 阿保頓宮阯
(あおとんぐうあと)



伊賀国伊賀郡
三重県伊賀市阿保885-11
(P無し、駐車は下部写真参照)



聖武天皇が行幸の際に豪雨に遭い一夜を明かしたという頓宮跡。中世の頃には伊賀国阿保城ともなり、その史跡でもあります。

天平十二年(740年)に起こった藤原広嗣の乱に恐れをなして、聖武天皇は東国へ避難します。伊賀国・伊勢国・美濃国・近江国へと転々とし山城国の恭仁京へ。その伊勢国通過の際に起こった出来事。

この頓宮跡の西向かいに息速別命墓があります。息速別命は第11代垂仁天皇皇子で、丹波道主王(四道将軍の一人)の娘である薊瓊入媛(アザミニイリヒメ)との間の御子神。幼少時代に「阿保邑」を授けられ、拠点としました。

残念ながら治定違いのようですが、後裔たちは阿保朝臣(阿保君)姓を賜り辺りを広く治めていたようです。伊賀国全体を治めていたという説も有り。そして当頓宮跡にはその息速別命を祀る神祠が鎮座しています。おそらくは阿保氏による手助けがあったのだろうと思われます。

また斎王の頓宮でもあったとされます。伊賀国は大和と伊勢の中間点、宿泊場所としてちょうど良かったのであろうと思います。
倭姫命は息速別命の異母姉妹。何かと都合が良かったということでしょうか。もちろん急な大雨にさらされた聖武天皇にとっても。

*写真は2018年8月頃と2022年7月撮影のものとが混在しています。


車は息速別命墓(右手)の西側に停め置きました。当史跡は墓の反対側に。

こちらが息速別命墓の東向かい。

北入口より。西入口も下部に掲載します。

2分ほどで現地に。

正体不明のもの。農家の方のものなのでしょうか。

こちらは西側入口。こちらも2分ほど。


息速別命を祀る小祠。もう一ヶ所あるそうですが見つけられていません。