石神社 (柏原市太平寺)
(いわじんじゃ)


河内国大県郡
大阪府柏原市太平寺2-19-13
(P有、狭小道路ではあるが特に通行困難な道路は無し)

■延喜式神名帳
石神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
石姫命
[配祀] 石長姫命 熊野権現


生駒山系の南端裾の西側丘陵地、「大和川」に「石川」が合流する要衝に鎮座する社。
◎「石神社」と称されるも、境内には「石(岩)」がまったく見当たりません。代わりに石姫命、石長姫命といった「石」にちなんだ姫神が祀られています。持ち去られたのでしょうか。石姫命、石長姫命共に当地に縁が見出だせず、おそらく社名にちなんで後世に宛てられた神ではないのかと。別に磐之姫命(仁徳天皇の皇后、葛城襲津彦の娘神)とする説も。
◎「三代実録」には貞観九年(867年)に官社に列したとあり、これが文献上遡られる最古のもの。また式内社 石神社の比定社とされます。
◎当地近辺には知識寺という巨大な仏像を有する仏教施設があったとされ、聖武天皇がそちらを訪れた際に感化され東大寺大仏の造営を思い付いたという伝承もあるようです。
その頃より当社が鎮守社として存在、或いは当社の神宮寺としてその施設が存在していたのかもしれません。
◎社名の読みについては「いわ」説と「いし」説などがあり、本来はどちらであったのかは不明。「いわ」の場合は「伊和」も想定する必要があるのかもしれません。そうすると大国主神となるのかと。
◎当社には創建由緒に関わる資料や伝承がほとんど無いようです。拝殿に向かうまでかなりの石段を登る必要があり、古墳の可能性もあるのかと。墳墓内の石室の石が散在していたなどという想像も。
◎石姫命は第27代欽明天皇皇后で宣化天皇の皇女。特に事績等は記紀に見えず詳細は不明。石長姫命大山祇神の娘神。木花咲耶姫ととも天孫瓊瓊杵命に嫁ぐも送り返された神。
◎江戸時代には熊野権現と称されていたようです。「神社覈録」は石神を祀るとしている他、別師木津日子玉手見命(第3代 安寧天皇)とする説もあるようですが根拠は不明。
また山の方は尾根続きの「高尾山」の鐸比古鐸比賣神社 奥宮と同様に、岩盤が剥き出しになっているとの情報もあります。原始はそちらを遥拝する祭祀場であった可能性も。


*写真は2019年1月頃と2022年8月撮影のものとが混在しています。








玉垣内内の境内社前には石が微かに見えました。

大楠は樹齢700~800年ほど、大阪府指定天然記念物に。