濱宮 (奈久佐濱宮)


紀伊国名草郡
和歌山市毛見1303
(P有、鳥居西側50mから進入)

■旧社格
村社

■祭神
[第一殿] 天照皇大神
[第二殿(配祀)] 天懸大神(アマカカスオオカミ) 國懸大神(クニカカスオオカミ)


和歌山市の南西端、「毛見浦(けみうら)」の袂に鎮座する社。西には「和歌山マリーナシティ」、南側は工場群と埋立がなされています。
◎元伊勢「奈久佐濱宮」に比定される社、3年間天照大神の御霊が鎮まったとされます。
豊鋤入姫命は天照大神の御霊を奉じて当地に。すると「琴の浦」の天懸(日前大神)・國懸の二柱の大神も当地に遷ります。このあと天照大神の御霊は「吉備名方濱宮」へ、天懸・國懸の御霊は当地に留まりその後に日前・國懸神宮に鎮まります。
◎一方、日前・國懸の御霊は天道根命(紀伊国造家の祖神)が奉戴し、「加太浦」(加太春日神社か)、「木本」(木本八幡宮)、「琴の浦」(「毛見浦」とも。当社の沖)へと順に遷されたと言います。「琴の浦」では海中岩上に奉祀されたとか。崇神天皇の御代に上述の通り、「琴の浦」岩上から当地へ。この岩は工場群建設埋立により破壊されて現存しません。
◎この天懸神と國懸神は、天照大神と饒速日神ではないかと考えています。またこれには大和王権の思惑がかなりはたらいていると思われます。日前・國懸神宮に鎮まる神とは少々異なるかと(日前・國懸神宮の記事にはご祭神の詳細を記しています)。
◎地元の伝承を丹念に調べ上げ、「名草邑」の古代史を復元させたなかひらまい氏はこれらとはまったく異なる説を上げています。
まず天道根命は架空の存在であり、紀氏は神武東征時に戦った名草戸畔軍の人々が姓を変えたものであると。皇軍(神武東征軍)は名草戸畔軍に敗戦を喫したものの、大和を平定し時代を経るとともに勢力を拡大、当地の支配を目論見創建したのが日前・國懸神宮。日前神宮は紀氏の祖神を祀るとし、國懸神宮は王権側の神を祀る社であると。やはり饒速日神なのでしょうか。ところが目論見通りには進まず、國懸神宮は一旦撤退、日前神宮の方も細々と奉斎が続けられる状態であったと。
◎「琴の浦」に関しては、元々は「名草邑」の人々が祭祀を行っていた場所だったのでしょうか。そこに豊鋤入姫命が巡行したのではないかと。また当社に関しても同様、「名草邑」の人々の祭祀場であったのではないかと考えています。
◎なお神倉山から熊野本宮大社、当社とは一直線で結ばれます。3地点の由緒等の深さを鑑みると、偶然ではないと思います。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


この時の参拝は祭が行われる直前だったようです。











2019年頃、このようなものが新設されていました。