大久保神社 (橿原市大久保町)


大和国高市郡
奈良県橿原市大久保町内垣内245
(P無し、近隣停め置き不可)

■旧社格
村社

■祭神
神倭磐余彦命
媛蹈鞴五十鈴姫命


畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)、通称神武天皇陵の道路を挟んで南東側に西面して鎮座する社。つまり神武天皇陵に背を向ける格好、参拝者は神武天皇陵の方向を向いて拝する格好となります。境内樹叢は橿原神宮外苑に含まれています。
◎ご祭神の二座は橿原神宮と同じ構成。元は天一神(テンイチジン)を祀る神社であったとされ、「天一大明神」と記された江戸初期の湯釜があるとのこと。
「天一神」は「なかがみ」とも呼ばれ、陰陽道の中で「方違え(かたたがえ)」の神であるとされます。一年のうち44日間だけ天から降り四方を巡る神で、地上にいる間はこの神のいる方角を忌むとしています。
◎陰陽道の神であり詳細は不明ながら、「畝傍山」の東北、つまり鬼門の方向に方位神が鎮まっていることに留意する必要があるでしょうか。
この鬼門の位置には神武天皇陵があります。正式陵名には「東北(うしとら)」というのが含まれ、治定の際にこの位置を意識していたことが考えられます。なお真の御陵と考えられる「丸山宮跡」も同じく鬼門の位置。

◎創建年代は不詳。当社の周囲から大窪寺とみられる遺構が発見されており、その鎮守社であったのかもしれません。その仏教施設は天武天皇朱鳥元年(686年)に封戸が授与されたと紀に記されています。
◎現在氏神として奉斎している「大久保町」は、かつて存在した「洞村(ほらむら)」から、大正六年に全村移転してきた町。かつて居住していたのは「畝傍山」北東麓の尾根裾。真の神武天皇陵と思われる「丸山宮跡」を明治の移転まで代々守り抜いてきた村民。神武天皇陵を拵えるにあたり、見下ろす格好になるとされ、余儀なく移転されたという経緯を持ちます。

*写真は2018年8月と2023年3月撮影のものとが混在しています。


神宮外苑道路から1本東側の大久保町内を南北に通る道路沿いから入ります。

奥に微かに鳥居が見えます。











*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。