軽樹村坐神社
(かるこむらにますじんじゃ)


大和国高市郡
奈良県橿原市西池尻町軽古青木178
(P無し、近隣停め置き不可)

■延喜式神名帳
軽樹村坐神社 二座 並大 月次新嘗 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
誉田別命


古くは「軽古邑」(かるこむら)と呼ばれた地に鎮座する社。「畝傍山」の南西麓、「高取川」の西岸の丘陵地の頂に位置します。
「畝傍山」橿原神宮外苑を始め、すぐ側には第3代安寧天皇陵第4代懿徳天皇陵の治定墓築かれ、また多くの式内社が周辺に鎮座する神寂びた地域。
◎数少ない資料から当社に関わる由緒歴史は導き出せそうです。「和州五郡神社神名帳大略注解」という書に、「社家軽我孫公(カルノアビコノキミ)説いて曰く 注進状に軽樹村坐神社二座と載る、彦坐命(ヒコニマスミコト)白髪王(シラカノキミ)古伝に云う、川俣公の祖・彦坐命四世の孫白髪王、数代川俣社に奉仕して功有り、成務天皇の御世に到り、白髪王軽地三千代を賜り、軽我孫公を負う、先祖彦坐命の遺命也。然る後、軽我孫公何某が社を軽樹村に建て之を奉祭、其の時代は知らず」と。つまり軽我孫公から始まる軽氏が、祖神二柱を祀った社であるということ。「川俣社」とは木葉神社(式内大社 川俣神社)のことかと思われます。
◎また「大和志」には「軽樹村坐神社 池尻に属する軽古邑に在り」と記されていて、鎮座地も現社地辺りであっただろうと思われます。ところが江戸時代に消滅していたとされ、八幡宮として復興、その後、現社名となり再復興したとのこと。誉田別神はその時のご祭神。
往時の面影はまったくありませんが、この辺り一帯の神寂びた地域を彩る一社です。

*写真は2018年2月と2021年10月撮影のものとが混在しています。







万葉集にある「天飛ぶや軽社の斎槻 幾世まであらむ陰妻そも」。現在は新しい槻が植樹されています。

3年半ほどの間では、さほど変化は無し。四方が地縄で囲われていました。