宇奈多理坐高御魂神社


大和国添上郡
奈良市法華寺町600
(平城京跡「東院庭園の無料駐車場」から100mほど)

■延喜式神名帳
宇奈太理坐高御魂神社 大 月次相嘗新嘗 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
[中座] 高御魂尊
[東座] 天太玉命
[西座] 思兼命


平城京跡「東院庭園」の東隣に鎮座。タカミムスビ神を祀る社らしく木々に囲まれ、拝殿前にも左右2本ずつの木が並んで生えています。
◎式内大社 宇奈太理坐高御魂神社の比定社であるものの、別に論社とされる穴栗神社があり、なぜか車で30分ほどはかかる横井町。さらに境内社 井栗神社も論社に挙げられています。
◎歴史は複雑で、元々「ウタリの地(当社付近)」にあったらしい(社伝では武内宿禰による勧請) → 廃滅したため穴栗神社近くに遷す → 春日大社境内井栗神社に勧請、後に衰微 → いつの頃か当社に遷座(都が平安に遷ってからか)。
これは古資料等から導き出されたものであり、異説も多くあります。
◎神名帳では祭神一座であり、高御魂尊で問題無いかと思われます。天太玉命と思兼命はともに高御魂尊の御子神なので合わせ祀られたものかと。天太玉命は忌部氏の祖であり、敵対する中臣氏(藤原氏)が圧倒的な権勢を誇る地域では衰退したのかもしれません。
◎持統六年(692年)には「新羅の調(朝貢品)を伊勢、住吉、紀伊、大倭、菟名足の5社に奉じた」と紀にはあります。「伊勢」は伊勢神宮、「住吉」は住吉大社、「紀伊」は日前神宮・國懸神宮か、「大倭」は大和神社、「菟名足」は当社のことと思われます。往古は屈指の大社であったようです。


正面は平城京跡「東院庭園」への入口。左手のこんもりした樹叢が当社。

「東院庭園」