TWICE、デビュー秘話 | K-POPちょっといい話

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TWICEは芸能企画社JYPエンタテインメントがmiss Aの後、2015年に5年ぶりにデビューさせた9人組多国籍ガールズグループだ。チーム名の意味は「良い音楽で一度、素敵なパフォーマンスでもう一度感動をプレゼントする」(目で一度、耳で一度で感動を与える)である。

Mnetのサバイバルプログラム「Sixteen」を通じて9人のメンバー、ナヨン、ジョンヨン、モモ、サナ、ジヒョ、ミナ、ダヒョン、チェヨン、ツウィ(年齢順)が選抜され、現在TWICEメンバーとして活動している。デビュー年度の2015年から現在まで数々の記録爆発的な成長で、現在韓国最高のガールズグループの一つに位置づけられている。

 

TWICEメンバーのJYP入社日と練習生期間は以下のとおり。入社が一番早いジヒョは、ワンダーガールズを経て現在ソロ歌手として活躍しているソンミと同じ日に入社した。また、日本でスカウトされたサナとモモも同じ日にJYPに入社した。ミナはサナ&モモから2年遅れてJYPに入社し、練習生期間1年10ヶ月という短期間でデビューした。

ジヒョ      2005年07月15日  10年4ヶ月

(ワンダーガールズ ソンミと同じ日に入社)

ジョンヨン    2010年03月01日 5年8ヶ月
ナヨン       2010年09月15日 5年2ヶ月
サナ&モモ   2012年04月13日 3年7ヶ月

(サナとモモは同じ日に入社)

チェヨン      2012年06月06日 3年5ヶ月
ダヒョン      2012年07月07日 3年4ヶ月
ツウィ       2012年11月15日 3年
ミナ         2014年01月02日 1年10ヶ月

 

 

それでは、JYPへの入社順にデビューまでの道のりを紹介する。

 

<ジヒョ>


2004年8月19日、両親によって第1回ジュニアネイバー子役スター選抜大会に出て2位になり、これをきっかけにJYPにキャスティングされた(同大会ではEXIDジョンファやPRISTIN̪シヨンも入賞している)。JYPへは2005年07月15日に入社した。これはワンダーガールズ ソンミと同じ日であった。

 

以後ジヒョは、2005年7月から2015年10月までのおおよそ10年以上に渡る練習生生活に耐えた。 練習生生活の中でティエンやリーボックのCFモデルとして出演しながら、この期間中にワンダーガールズとmiss Aのデビュー過程をすべて見守った。 実際SIXTEENが開始されたときmiss Aのメンバーがジヒョと一緒に練習生をしたということで特に声援を送る映像を見ることができる。ジヒョは97ラインである。10年以上練習生生活を過ごしたということは、あまりにも若くしてJYPに入社したことになる。

 

 

 

 

(ワンダーガールズ ソンミ&へリムと)

 

ジヒョはその外見から幼い時より外国人の扱いを受けた。制服を着て明洞に行くと外国語で話しかけられたと言う。

 

2020年4月28日の「TWICE: Seize the Light」製作発表会で、「私が子供の頃外国人のように見えた。周りの方が両親に「芸能人にさせてみよう」と言った。それで両親がオーディションを申し込み、偶然運よくキャスティングされここまで来た」と語った。

 

ジヒョは、2014年JYP次期ガールグループ6MIXのメンバーとしてナヨンやジョンヨンと一緒にデビューが予定されたが、セウォル号惨事でガールズグループをデビューさせることができる雰囲気がなくなった。しばらくして6MIXのメンバーであったセシリアが退社してデビューが再び延期された。そこで当時日本デビューチームにいたサナを連れて来たが、6MIXのリーダーだったレナがJYPとの契約満了後に再契約しないことになった。これによりデビュープロジェクトが失敗に終わり、ジヒョは1年余り待った末SIXTEENに参加することになる。セシリア脱退後の6MIXはジヒョ、ナヨン、ジョンヨン、サナ、ミニョン、レナで構成された。ミニョンはSIXTEENに参加したが落選、レナはJYPを辞め2015年ミスコリア選抜大会へ参加 した。

<ジョンヨン>


幼い時JYPオーディションで落ちた経験があるが、後に再び挑戦し、2010年JYP公開採用6期オーディションでアイビースター賞を受けて入社した。同じ日にSMとJYPで同時に合格のニュースを受けたが、JYPの方により惹かれてJYPに入ったという。インタビューで「JYPの社内の雰囲気がとても気に入りましたか」と聞かれ、「JYPでないところでデビューするということを考えてもみたことがない」と答えた。

 

初めて入社したときは他の練習生と馴染めず、練習時間以外は顔を覆って常にピアノ室にいた。2ヶ月が過ぎて、他の練習生たちと親しくし始めた。年齢帯別に集まって通うJYP練習生に従い、ナヨン、ジヒョ、ミニョンと一緒に生活をした。ジョンヨンはナヨン、ジヒョ、ミニョンらと6MIXのメンバーとしてデビューが予定されていたがセウォル号惨事、メンバー放出などの事件でデビュープロジェクトが失敗に終わった。その不満で会社に出ずにパン屋でアルバイトをして数ヶ月を過ごした。パン屋でのアルバイトが楽しくパンの仕事を専門的に学んでみようと考えた時にJYP側からサバイバルプログラムSIXTEENに参加するように連絡を受け、また会社に戻ってSIXTEENに参加した。

 

ジョンヨンは3姉妹の一番下で、一番上の姉は女優のコンスンヨンである。 ジョンヨンがSIXTEEN出演のために姉と暮らしていたアパートを出る時、「洗濯はしておいたから、ご飯はちゃんと作って食べてね」と手紙を残した。この手紙を見た姉は涙が止まらなかったという。

 

また、祖母について 「おばあちゃんと中学校2年生までの一緒に住んでいた。お母さん、お父さんが共働きをされた。おばあちゃんが私が歌手になるのを見たいと話したが、デビュー前に亡くなった。それが申し訳ない」と語った(TWICE: Seize the Light)

 

 

<ナヨン>


子供の頃に子供モデル大会に出てJYPにキャスティングされたが、母親の反対で実際キャスティングは失敗に終わった。その後、2010年中学3年生のとき家族に内緒でJYP公開採用7期オーディションに受験してオーディション全体2位でJYPに入社した。

 

ナヨンはオーディション全体2位、ソウル総合芸術学校学長賞、スプリススター賞など注目される「エース練習生」であり、アイドル練習生ならほとんど知らない人がいないほど有名だった。練習生時代の2011年にはカジュアルブランド「SPRIS」のモデルに抜擢され、俳優キムスヒョン、T-ARAウンジョンと共演した。ナヨンは練習生時代からYGの練習生だったBLACKPINKジェ二やジスと仲が良かった。

 

2020年4月28日の「TWICE: Seize the Light」製作発表会で、「私は自分が好きでときめくのが何か悩んだ結果、歌を歌って踊っているときが一番幸せだと考えオーディションを受けた」と語った。また、これまで最も暗かった瞬間は?という質問に対して、「最も暗かった瞬間はデビューの前だ。それは未来が不確実でデビューをすることができるかという悩みが多かった。大変だった時間はドキュメンタリーで確認できるように、体が心に沿ってくれない時だ」と語った。


 

<サナ>

 

サナは歌手の夢を叶えるため、小学校6年生だった2009年末からEXILEのダンスアカデミーEXPG大阪支店で3年ほどダンスを学んだ(そのときのインストラクターの一人が現GENERATIONS中務裕太であった※1)。中学3年生の2012年、友人やショッピングをしていた際にJYP関係者にキャスティングされた。一緒に買い物していた友人が韓国と日本のハーフだったのでJYP関係者とサナの間で通訳の役割をしてくれた。当時サナは大韓民国ドラマ「ドリームハイを」熱心に見ていたが、JYPの関係者が見せてくれた所属歌手の写真がすべて「ドリームハイ」の中の登場人物であった。※2

 

※1 2018年2月4日のMステでTWICEとGENERATIONSが共演した際、 中務裕太は「TWICEの皆さんに挨拶に行ったら、昔ダンスを教えてたサナが覚えててくれてて感動」とコメントした。

 

※2 2019年3月30日のTBS「情熱大陸」で、14歳のとき大阪ミナミのなんばウォークで友達とショッピング中にJYPにスカウトされたと語った。

 

 

サナはその次の日に予定されていたJYPグローバルオーディションに参加した。オーディションでは少女時代の「MR.TAXI」を踊ったが、これは後にTWICEメンバーがサナをからかう素材としてしばしば使われる。オーディションに最終合格したが、中学3年という幼い年齢で学業を放棄して他国に渡ることは負担が大きかった。サナの母は2PMのコンサートにサナを連れて行ってコンサートを見ながら何を感じるかと聞いて、サナは自分もこの舞台に立ちたいと答えた。サナの答えを聞いた両親は、練習生入社を許し、サナは同年4月に韓国に渡って行った。

 

2012年4月13日からモモと一緒にJYP練習生生活を始めた。JYPの日本人ガールズグループのプロジェクトに属していたが、JYP次期ガールズグループプロジェクトであった6MIXのメンバーが脱退したとことで、サナが6MIXプロジェクトに合流することになった(ちなみに日本人ガールズグループはリーダーのレンシカが退社したこともあり消滅した)。しかし、デビューを控えて起きたセウォル号惨事とメンバー放出などにより6MIXプロジェクトは失敗に終わり、1年以上待った末SIXTEENに参加することになる。

 

サナは若い年齢で韓国に来たため最終学歴は中学校卒業であった(2012年4月高校入学して2週間後の4月13日韓国でJYP練習生生活を始めた)。2016年1月に日本に帰って学力検定試験を終え、高校卒業資格を取得した2016年2月22日Vアプリで「21歳で高校を卒業しました」と述べた。一緒に放送していたジヒョの言葉によると、デビュー曲の活動が終わった後に夜を明かしながら勉強したようだ。

 

 

<モモ>


モモは3歳の時からダンススタジオに通ってダンスを踊った。大阪に本社を置くSTEP OUTダンススタジオに通っていたが、スタジオの紹介で2008年に韓国の歌手Lexyの「Ma People」ミュージックビデオに出演した。そして、2011年のスーパースターK3 、日本予選の4人組ガールズグループのメンバーとして参加したが残念ながら脱落の苦杯を飲んだ。その後、姉と一緒に公演したダンス動画をYouTubeに上げ、動画を見たJYPの関係者がオーディションを受けるように連絡をしてきた。姉と一緒にオーディションを受けたが、モモが一人だけ合格した後、サナと入国して韓国で練習生生活を開始した。

 

もともとはJYPの日本人ガールズグループプロジェクトに属していたが、色々な事情でプロジェクトが失敗に終わり、サナ、ミナと一緒にSIXTEENに参加することになる。当時からダンスは練習生の中でトップクラスであった。JYP練習生たちが学ぶ基本ダンスの動き40を3ヶ月でマスターして最短記録を立てた。あまりにもダンスの実力が抜群だったため、SIXTEENスタート時はデビュー確定組だった。当時のインタビューでも「ライバルなんていない」という感じで自信満々だった。他の参加者も「モモはデビューだろう」という雰囲気だった。実際にモモが脱落したとき多くの練習生が衝撃を禁じえなかったし、「モモが脱落するなんて。これでは誰も保証できない」という雰囲気のインタビューがたくさん出てきた。

 

 

 

<チェヨン>


幼い時は今よりも浅黒く、混血と誤解された。小学校6年生だった2011年からダンス学院を通ってダンスを学び、2012年JYPでオーディションのオファーを受けて1次審査を通過した後、2次オーディションで最終合格し、6月6日から練習生生活を始めることになった。以後、3年以上の練習生生活を経た後、2015年SIXTEENに参加した。

 

 

<ダヒョン>

 

ダヒョンが小学6年生のときの映像で、教会の賛美歌「Power of Your Love」(1992年の作品 作詞作曲 Goeff Bullock)の「鷲のように飛び立つ(As I wait、I'll rise up like the eagle)」の歌詞に合わせて、腕を大きく伸ばし、頭を振るダンスを披露した。これが鷲ダンスの元祖だ。その映像でダヒョンは若い年齢にふさわしくないファッションセンスとダンスの実力だけでなく、そこに可愛さまで兼ね備えていた。
 

 

中学2年生のころ、一人で振り付けを組んで音楽を編集して、青少年ダンス大会に参加した。そして、ちょうどその場所にいたJYPキャスティング担当者にキャスティングされた。そして、2012年7月7日にJYP練習生となった。


 

<ツウィ>


ツウィはナイトマーケットで働く両親の間で生まれ、忙しい親に代わってベビーシッターの祖母の世話を受けて兄と一緒に成長した。ツウィの両親はナイトマーケットで大規模な事業をしていたが後に整形外科へ投資し業種を転換した。母は投資だけでなく整形外科事務長と呼ばれるようになった。ツウィは医師の娘ではないが、病院経営者の娘である。母親は後にカフェ経営にも乗り出す。

 

ツウィは幼い頃からダンスが好きで、通っていたダンス学院の発表会動画リンクがYouTubeに上がり、JYPスカウトがその動画に出てきたツウィを見て感心したとする。驚くべきことにその映像はツウィの顔がよく見えなかった。しかし、JYPスカウトは台湾に飛んで来て、直接練習するのを見て動画を撮って韓国に送り、韓国の本社でOKサインが出ると、すぐに練習生契約をした。

 

そして中学2年生の時に韓国に来て、練習生生活を開始した。ダンスの実力はダンス学院動画でも特に目立つほどではなかったが、外見があまりにも優れていたので、当然スカウトの対象となった。JYPキャスティング担当者の話によると歌、ダンス、ルックスの3つうちどれかが優れていれば無条件に練習生としてスカウトするという。

 

2020年4月28日の「TWICE: Seize the Light」製作発表会で、「私がダンス学院で踊っていたときに会社のスタッフの方が私をキャスティングされた。両親と相談し、いろいろな経験をしてみて学ぶことも悪くないと思い、韓国行きを決意した。怖いというよりときめいて面白いように思えた。「一度してみましょう」という考えで来た」と語った。

 

 

<ミナ>


ミナは1997年3月24日米国テキサス州サンアントニオで生まれた。英語名はシャロン(Sharon)である。しかし、すぐに日本に戻ったため、ミナは自分の故郷は兵庫県神戸市と紹介する。中学校の時の友達が少女時代のミュージックビデオを見て振り付けに沿って踊る姿を見て、K-POPに興味を持つようになった。2012年1月には、日本の大阪京セラドームで行われたゴールデンディスク授賞式を初めて見た後、BIGBANG、CNBLUEなどの韓流歌手らの日本コンサートを観覧し、韓国にも遊びに行くなど、K-POPに深くはまっていった。そして、日本にあるURIZIPと呼ばれるK-POPダンススクールに登録して、K-POPダンスを専門的に学ぶことになる。そんなある日、母と買い物をしてJYP関係者にキャスティングされ※、JYPグローバルオーディションを受けた。オーディション合格後、学校を退学して、2014年1月2日付JYPに入社し練習生生活を始めた。

 

※ 2019年3月30日のTBS「情熱大陸」で、高2のとき阪急梅田のデパート地下でJYPにスカウトされたと語った。

 

2020年4月28日の「TWICE: Seize the Light」製作発表会で、「両親が韓国へ行くことに反対された。私が「韓国に行きたい。練習生になりたい」と説得して韓国に来た。両親の気持ちを考えると、最後までいなければならないと思った」と語った。また、練習生時代の苦労話として「最初の日に授業を受けたが韓国語が分からなかった。先生が怒ったが、なぜ怒っているのかさえ分からなかった」と語った。

 

 

 

 

<TWICEメンバーがJYP入社日を公開>

 

 

Mnet「Sixteen」で9人のTWICEメンバーが選抜された

 

 

<終わり>