娘もあと2ヶ月で5歳。


NZでは5歳の誕生日を迎えると小学校に入学できる。
他国と比べても1年早くに小学校に入学できるシステムは稀だろう。
義務教育期間は6歳からになる。
5歳の誕生日から6歳までの1年間は、小学校又は幼稚園延長を選択できる。
国の管轄にある幼稚園、保育園、プレイセンターに通う多くの子どもたちは、5歳から小学校に通う子が
ほとんどのため、この年齢の子どもが園に少ない。

娘の学区内の小学校に見学行ってきたが、小学校(お勉強)に慣れる1年間といった様子だった。
日本でいえば年長クラスで、丁寧に国語(英語)+算数をやるっといった感じに思えた。
我が家の目指している教育の方向性とは違った。
また、保護者主体のプレイセンターに通わせていると小学校に通わせる姿が想像できず不自然や違和感が残った。

小学校に通わせることが不自然で違和感?
なぜそう感じたのだろうか?

一番の理由は、そこにいる「人」にあたたかみや人間が本来持っている泥臭さみたいな
感情が気薄に思えたことが不自然や違和感を生み出していた。

私たち夫婦は、長野に1年間移住した後NZクライストチャーチに移住し、義務教育期間中の小学校6年間に焦点を当て必死に学校を探していた。
気づいたら「教育」に執着していたのだ。

人として「本当に大切にしたいこと」をNZクライストチャーチに来て学んだ。
それは、人が本来持っている心を取り戻すことだった。
大袈裟に言えば、隣でバタッと倒れた老人がいたとしたら、以前の私なら誰かに任せて見過ごしていた。
今は進んで助けに行くとキッパリ断言できる。

子どもたちには「自分を愛すること」それだけあれば満点だ。
自分を愛することができれば他者も愛せるからだ。

時間、規制、概念がまだ育っていない娘だからこそシンプルに育てたい。
具体的にどんな子どもに育てたいか?
◯ナウシカのような子どもを育てる
◯見える世界の教えはほとんどなく、見えない世界を可視化し教える

◯親子で育む

◯自然は癒しと学びの宝庫
◯教材は全て自然から調達する
◯自然でない教材は変化変容するもの
◯時間や規制は破っていい
◯ルールはただ一つだけ「自分と他者を愛する心を育んでいるか?」

私は親として、大人として、教育者として、
子どもから学ばせもらい一緒に心と身体を育んでいきたい。

◆ニュージーランドにはホームスクーリング(家庭教育)の制度があり、保護者が教育省に申請をすることで義務教育の年齢の子どもたちでも家庭で正式に教育を受けることができる。また許可を受けると教育費の補助を受け取ることができる。

第一弾【ゲストインスタライブ】

3月16日(土)19:00〜

(テーマ)

①師匠と呼ばれる秘訣

・食事、風邪症状、発熱、掃除、洗濯洗剤、ションプー、化粧水、生理用品など


②「二人の息子は天才」と自負する理由

・移住してからの子ども、家族の変化

・子どもたちへの愛とはなにか

・親の役割は


◆ライブの目的

・ニュージーランドに移住してからの気づきや体験をみんなとシェアしたい。


・私、妻、ゲストなどと一緒に伝えることで、多様な考えや捉え方があることを伝えたい。


・なるべく新鮮な情報やリアルな感情を共有することを意識したい。

https://www.instagram.com/keikato1206?igsh=YmkyNXg3OHVycjhl&utm_source=qr



妻「友人の出産祝い33ドル」


私「今日から家計簿つけるのやめた。」


妻「めんどくさくなったとか?」


私「違う。いよいよお金との向き合い方のラスボスに挑む」

ラスボスとの戦いって、絶対一回では勝てないように設定されている。なぜかって、作り手の気持ちを想像して。緻密に構成されており、やり手側の心情まで組み込まれている。

日本のゲームでいえば映像はどんどん素晴らしくリアルなものになっている。売れているゲームというのは、現代の時代にマッチするストーリーになっている。これこそが作り手の特性を感じる想像力だ。


苦難や困難を乗り越えた先に手に入れたコト・モノ・ヒトって、その分喜び、嬉しさ、達成感がひとしお。だから、ラスボスって人生にいてくれると楽しめる。


私の挑み方

・自分で選択して使うお金なら信用する。

・お金を使うときは、好き,本物、直感、心地よいものにする。

・物を買うときは、商品が本物かを見極める力をつたいから、値札は見ないように心がける。

・お金=作り手と考えているから、相手に投資したり、応援したりするつもりで感謝を込める。そして、お金をいただいたときは、与えることは与えられることと思う。

・エネルギーを入れる。


私「だからこれからは妻が使うお金は全て報告しなくて良いよ。信用、安心、愛があれば大丈夫。」


私「クリアできたら、お金と上手に付き合えている時だから、現実としてお金が目の前に現れる。しっかり見てて」


妻「根拠は?なんかの啓発本にでも書いてあったの?」


私「根拠はないけど、私の体感してきた私の人生の仕組み❤️」


妻「オッケー」


ちなみに私はこれまでお金の管理を細かくやってきた。娘ができてからの5年間は毎月欠かさず家計簿をつけていた。保険なども夫婦ともに個人保険に入り、娘の将来の為の貯金を妻の妊娠中からやるような、将来不安症だった。

そんな私が今はラスボスまでようやくこれたのだ。


*写真は先月の家計簿をまとめたものを妻に報告



◆我が家の例

これだけはやり方はまさに十人十色だ。


どのようなカタチで私がトランスジェンダーであるということを娘にカミングアウトするか?


子どもをもつと決めてから、妻と二人でこのことについてはよく話していた。海外で出版されている、発達段階に合わせたカミングアウトの書籍も読んだ。


私たちが考えていたカミングアウトについて

・とにかく子どもに隠すことは絶対しない。フルオープンにしよう。

・子どもの発達段階に合わせて、タイミング的には、娘の方から質問や疑問が出た時に伝えよう。


私は、娘が3才くらいになったら、お風呂などで私の身体を見て疑問に思うことが出てきた時に、伝えようと思ってその瞬間を待っていた。

しかし,一向に私の身体を見ても気づかないし、全く身体のどこの部位にも興味関心はない様子で過ごしてきた。


ちょうどカミングアウトの2週間前に、身体の仕組みが子ども向けにわかりやすく書かれた本に興味をもちはじめ、それを毎日読んでいた。その本の中に命の始まりで赤ちゃんができるまでのプロセスが書かれた章があった。


そこの章に来た時に、カミングアウトをしようかなと悩んでいた時だった。以前娘に赤ちゃんはどうやってできるの?って聞かれたらことがあったので、本を通して教えたかった。しかし、最後の章だったのでそこまで読めていなかった。


カミングアウト当日

いつものように男子トイレの洋式に二人で入る。ようを足し終わると、小便器を指差し


娘「ここは男の子が入るところだよね。なんでお父さん入らないの?」


私「入りたくないからだよ」


3時間後

スーパーでの帰り道

娘「娘はお母さんのお腹の中から産まれてきたんだよ。」


私「そうだね。娘はお母さんのお腹の中から産まれてきたんだよ。」


娘「お父さんもお腹から産まれてきたの?」


私「そうだよ。娘と一緒だよ。」


娘「お父さんは男の子で産まれてきたんだよ。」


私「お父さんは、生まれてくる時は女の子で産まれてきて、大きくなったら男の子になったんだよ」


娘「そうなの。」


全く驚く様子もなく、なんの疑いもなくすんなり受け止めていた。

私なりにすんなり受け止めた理由を考えてみた。

一つは、男の子、女の子や途中で男女が変わるなどの概念がない。二つ目は、子どもには相手の本当の心が読める力がある。その為、私の中に女性性と男性性があることをなんとなくわかっていた。


自分の身体の仕組みを知るというのは、幼いうちから絶対に必要なことだ。一緒に過ごしていると、難易度の高い質問が多いことがよくわかる。

赤ちゃんはどうやってできるの?

死んだらどこ行っちゃうの?

血ってどこから出るの?

骨って何?

魚のひらひらってなんであるの?

毎日たくさんの質問をされる。

生きていく上で基盤となる質問だ。学校で習うより確実に大切な質問しかない。


その年齢に適した噛み砕いたわかりやすい表現で返答する。

興味のあることは、再び年齢が上がってからまた質問するはずだ。その時はもっと説明に肉付けして話したい。


うちみたいに親に特性のある場合は、親が自分の身体のこと心のことをしっかりと教えることが望ましい。


娘は産まれた時はどうやって性別を分けるか、稀に身体が両性で産まれてくる場合もあることは知らない。

男女の身体の仕組みや、違いも知らない。


こういうことも、娘の発達段階に合わせて教える日も近いだろう。

カミングアウトにフォーカスしていたが,普段から身体と心のことを細かく丁寧に受け答えできれば、なんの疑問も質問もないだろう。そこに当たり前がうまれる。


子どもは大人の本当の心が見える。

見えることを上手に表現できないだけだ。

嘘をついたらすぐ見抜かれる。そしてそこに信頼関係はうまれない。

これを踏まえれば隠したり、良かれと思う嘘もつけないはずだ。


店の心地よさとコーヒーの味はパーフェクトが望ましい。

ここのカフェは2回目だ。直感でここに決めた。ここのカフェに呼ばれた理由がわかった。


それは私がこの先本物を見分けるモノ・コト・ヒトのヒントが隠れていた。


カフェ選びはオーナーそのものが放つエネルギーが全てだと確信した。


私はラッキーなことにエネルギーの高い(軽い)オーナーにオーダーを取ってもらったのだ。まさにご縁。私はこういうチャンスは見逃さず、頭に刻み込むことにしている。


私がレジで並んでいると、客かと思うような身なりと立ち振る舞いで、私にジェスチャー付きで気軽に声をかけてきた。すぐにエネルギーが高いことに気づいた。


1回目に伺った時は、このオーナーはいなかったし、このカフェが心地よくも感じなかった。


直感と行動はセットで動くとたくさんの気づきをもたらしてくれる。

1回目と全く違う。店のエネルギーが凄くて圧倒される。


今日は雨でテラス席は使えないというのもあるが、入り口で並ぶほどの混雑ぶりだ。

平日火曜日の10:00にもかかわらず、客が次々と来ては溢れかえっていた。

客層はリタイヤした老人が目立つが、異常に思えたのは客のパワーだった。


まるで飲み会かのような賑わい。大はしゃぎ。腹の底から出る笑い声。あちらこちらからの話し声が止まらない。


店内の客の声のボリュームといえば、私のオーダーする声を大きくしないと聞こえないくらい。ほんとに飲み会のようだ。


周りを見渡すと、酒を飲んでいる人はいなくコーヒーを飲んでる人がほとんどだ。


私は静かに過ごしたかったので、雨で肌寒かったが、屋根付きのベンチに腰掛けてコーヒーを楽しんでいた。


扉を開けて帰る人のほとんどが、店内の余韻を持ち帰り、歌ったり、それぞれがぺちゃくちゃ話している。

声のボリュームは大きすぎるが、なんの話をしているのかと耳を傾けたくなるリズム音だった。


外から店内をたまに覗くと、立ち話で客と盛り上るオーナーの姿が見えた。

とはいえ、繁盛しているので店員はかなり忙しそうで、オーナー以外はエネルギーが低い。しかし、このオーナーのエネルギーは、店内の客を全て巻き込んでいた。


心なしか鳥たちの声も弾んでいる。

見えないエネルギーは店外にいた私にも届いた。

オーナーの持つエネルギーの発信から、様々な人を巻き込むことで、エネルギーは増幅する。それは店内では収まることはなく、溢れ出たエネルギーは自然や鳥や植物たちにも還元されているようだった。


私は自然に対して何を与えられるだろうか。

ここの国の人たちは、自然や鳥や植物に取って大切な何かを与え続けている気がする。


いつもなら絶対やらないが、最後にオーナーに感謝を伝えようと少し背伸びをした。

カップを下げに店内のドアを開けると、オーナーが私に気づきカップを受け取った。


私がとっさに取った言動と行動は、日本語で手を合わせて「ありがとう」だった。

あれから5年経ち、妻は現在社会が作った教育システムの中で実習している。

試練は必ず本人が乗り越えるものしかやってこないが、再び忘れた頃にやってきて本人を責めるのだ。


私には10年前のあの時と今回の表情が重なって見えたのだ。


妻「明日、ボスに実習休んで勉強したいって伝えたから休みとった」


私「ん?なんか不自然で違和感しかなかった。なんで休み取ったの?実習休むってはじめてじゃない?」


妻「課題が終わらなくて焦る方が良くないでしょ?ボスにもフレキシブルに対応してよいと言われてるから。」


これを伝えることは私にとっても覚悟が必要なことだった。だってクライストチャーチに住めなくなるから。だけど私はそんなことどうでもよかった。

私「実習も課題もどうでもいい。根本がおかしい。そんなに大変なら辞めて日本に帰ろうよ。昨日の疲れている顔は異常に見えたよ。あの顔は身体だけ疲れてるのではなく、心も疲れてるし蓄積されているように見えた。」


妻「寝たから昨日よりはマシじゃない?」


私「そりゃ寝たら少し回復するのが当たり前。私が言いたいのは,毎秒毎瞬でもあの顔になるのはおかしいことだよ。私は口で伝えられるけど、娘は感じていても上手に表現できないんだよ。最近の娘の行動の違い見えてる?帰ってきたらお母さんにべったり、いつもお母さんにってプレゼント作って渡してるよ。私は貴方の負のエネルギーダイレクトに伝わってくるよ。」


妻「そっか。確かに昨日は眠いし学習が進まなくて目がしょぼしょぼしてた。だんだん目がカチカチ変な感じもした。でもほんと寝たらだいぶいいよ」


私「えっ。身体にもろ出てんじゃん。気づけよ。わかった。今回の少しの身体の異常は赤信号だと判断してほしい。話を10年前に戻して悪いんだけど、今あの時と同じ試練が来ているんじゃないかな。もうあんな思いするの嫌だよ。本当にショックだったから、、、」


妻「でもさあと半年だから」


私「10年前も同じこと言ってたよ。あと何日って日めくりカレンダーめくるみたいに。」


妻「今はどうしても課題を提出したい。大学を辞めるつもりもない。どうしたらいい?」


私「わかった。1日最大4時間までって決めて。そして、身体に少しでも変な感じがしたら、散歩しに外に出て。それから、時間を延長しないと課題が終わらないなら諦めて単位落として。自分なら適当に書いてやれば終わるけどね。」


妻「そうだね。たまには適当にやってみる」

私は車で妻を図書館に迎えに行った。妻は実習が終わると4時間くらい図書館に籠り、大学の課題提出の為の学習をしている。


つい最近、妻の心のクリアリングをしていた為,私は毎日妻の変化を観察している。

おかしい。おかしすぎる。クリアリングどころか症状が悪化している。


これは私にとってのネガティブだ。

ネガティブを私なりに定義するならこれだ。

「気づきのメッセージで感謝に変わる。味方のような存在。」


私「表情悪いけどなんかあった?」


妻「眠いし座ってやってるから疲れちゃった」


私「そっか。お疲れ様」

娘は後部座席で寝ていた。妻は寝顔を見ていた。10分ほど車を走らせ家に着く。

娘の寝顔を見たのに関わらず、妻の表情がさらに悪く見える。エネルギーの消耗どころか完全にエナジー切れでアラーム音が鳴っているようだった。


これはまずいな。

思い返してみたら、妻と私が出会ったのは10年前。小学校の教員をしている頃だった。1年生の担任で、私は1年2組、妻は1年3組だった。

第一印象は、背が高くすらっとしていて、可愛いというより、綺麗な人という印象だった。私の手の届く相手ではないというのが最初の気持ちだった。


私はピアノも弾けない、字も汚い、工作も不得意、掲示物も苦手だった。その代わりに、運動は得意、子どもたちを楽しませられる、子どもたちのリーダー的存在になれる、勉強以外の人生の教え方のコツは知っていた。


真逆の二人だった。


妻は朝・帰りの会ではオルガンを弾いていた。今思えば、あのオルガンの音色に惹かれたのだ。放課後、妻の教室に入ると整えられた教室、掲示物は誰も真似できない妻の才能がそのまま表現されていた。


黒板に書く字も、第一印象の見た目通りしなやかで綺麗な文字が現れていたし、見本を見て書くだけと言っていた絵もすらすらと、見本通りに正確に表現していた。


そんな才能溢れた妻は子どもや同僚からは、羨ましがられる存在だった。

しかし当時の妻にとっては、それが少し重たかったのかもしれない。

妻ならなんでもできるだろうという人からの期待と実はなんにもできないという自身の思いが、どんどん妻を責めていく。


1学年合同で集会の練習があった時に、妻のクラスの異常に気づいた。


私はここの学校に来る前に3年くらい支援員として働いていた。担任ではなく見守り程度に日替わりで色々なクラスに入るのだが、そこで学級崩壊するクラスをたくさん見てきたのだ。


まさに妻のクラスの子どもたちの行動が同じに見えた。ここまで来ると担任は成す術なく、諦めて交代するのが望ましい。

ここでクラスを立て直し挽回したいともがけばもがくほど、結果本人は病院送りで薬投与の生活が待っているだけだ。


頑張る必要は全くなくて、人に迷惑なんてかけてない。なんなら、そこに執着していることは子どもに迷惑だ。


子どもは大人に何度もサインを送ってきている。それに日々気づかなかったこと、見てみぬふりしていたこと、それをしっかりと受け入れる。

子どもが言うことを聞かない、反発するときは、かなりでかい警戒音が鳴っている。

小さいように見える反発であればあるほど、音はでかいことを知っておいてほしい。


妻はどうだ。諦めなかったばっかりにすでに病に侵されていた。

朝起きると「動悸息切れがする。どうしよう。子どもたちに会いたくない。」


結局、妻のクラスはベテランの補助教員が入ったおかげで、なんとか1年間持ちこたえた。 1年間学校を休むことなく出勤した妻の身体は想像しただけで悲しくなる。

その時に症状が出ないこともある。数年後に腸捻転で緊急入院、緊急手術をした。原因は不明。絶対にストレスからくるものだった。


私はこの病がとてもショックだった。

妻の才能が潰されたと感じた。勿体無い。子どもたちに見せるべき存在なのに。どうしてだ。悔しい。


それから本気でどうすれば妻が輝けるのかを

考えた。

とりあえず教員は辞めるべき。自分の好きなことを仕事にしたらどうかと提案した。


妻はフリーランスで英語教室を始めたのだ。

それはそれは輝いていた。独自のスタイルで、歌や楽器を入れおまけにダンスもできる。教材は全て手作りだった。

妻の良さが前面に出ていた。それから流行り病でオンラインレッスンに移行し、良さが半減はしてきたが、妻の心と身体は整っていった。


→②へ続く


娘は生まれた時から全て装備していた。

なぜかといえば、赤ちゃんの時から誰も教えていないのに、言葉、行動、心と身体など人間に必要な物が全て備わっていた。


ただし、装備している道具の使い方ややり方だけは、誰かから伝授されなければならないのだ。人間とはそういうものだ。


娘「お父さん、エネルギーないと歩くの疲れるよね。」

確かに、幼稚園まで道のりは徒歩5分の急な坂道だった。


私「そうだね。エネルギーってどうやったらもらえると思う?」


娘「んーわからないよ」


私「ヒント!!エネルギーって娘を元気にしてくれるんだよ。娘が元気になる時ってどんな時?」


娘「んー。ご飯食べた時!!」


私「他には?」


娘「ドーナツとかお菓子食べた時!!」

次々と甘いものが出てくる笑

本当に甘いものが好きなんだな。


私「そうだね。1つ目は食べ物だったね。次は食べ物じゃないのである?」


娘「プレゼントあげる時」


私「そうだね。好きな気持ちををあげる時ってエネルギーでるよね。」


娘「あとは色塗りしてる時とか、、、」


私「そうだね。自分の好きなことしてる時って楽しいよね。」


娘「あとはね、力持ちになった時」


私「そうだね。身体動かすことも力出るよね。」


娘は突然坂道をダッシュした。

はぁはぁ

娘「お父さん。なんか胸がドキドキして暖かくなってきた。」


私「その胸がドキドキ暖かくなる感じが身体で感じるエネルギーなんだね。これたくさんできたら元気元気!最高じゃん!」


エネルギーには特性や個人差がある。みんな違うのが当たり前だ。

娘のエネルギーは元気。

自分のエネルギーの特性を知っておくと、役立ちそうだ。


妻のモヤモヤが涙と共に解消された。と思われたが、ここ最近ずっと冴えないのは変わらなかった。

重たいエネルギーが常にくっついている。
私も覚悟を決めて行動すると決めた。
具体的に重たいエネルギーの正体を知るため質問を繰り返す。
妻「んー。どうしてかな?わからない。」自分しか答えをもっていないのに全く見つからない。諦めかけた時話し始めた。
結局、失敗や不正解をしてはいけないという恐れが自信のなさに繋がっていることがわかった。
そして、失敗=恥ずかしいことがセットになってくっついていた。
幼少期からのトラウマを今も引きずっていたのだ。それは実習先のボスからの注意がきっかけとなりネガティブな感情が膨れ上がっていた。そして、そのことは恥ずかしいことと妻が捉えていたため、知られたくなかったのだろう。私に一度も話しをすることなく隠していた。次から次へとボスに言われて嫌だったことが出てきて驚いた。

幼少期の体験を思い出してもらった。何を言われて嫌だったのか。あの時に何を言われていたら良かったのか。

ボスに言われた言葉も一つ一つ確認していく中で、どんな言葉や表情の時に深く傷ついたかを確認した。細かく見ていくと、少しずつ糸口が見えてくるものだ。

人は過去や未来に引っ張られやすい。
「過去にこんなことを言われたことがあったから,次は良かれと思い行動したのに注意された。」「おそらくこれをしたら注意されるかもしれない」
私「知ってる?未来に向けて幸せを望むなら、今ここに最善を尽くすしかないんだよ。」
私「知ってる?時代は毎秒毎瞬流れてて、毎秒毎瞬新しいんだよ。」

ボスに過去言われたことは気にするな。幻想だと思え。
先の心配は無意味。今ここで起きてるものだけが未来を作る。

例えば子どもたちがやってほしくない行動をとっていて、叱らなければいけない場面

「ボスに見られている。前回は注意されたから今日は子どもたちに言わなきゃ。でも、この言い方だとまた注意されるかも。」どんどんネガティブが膨らみ結果は、おどおど、どうしよどうしよう、子どもを叱ることができず、ボスにそのことを突かれまた深く傷つくことになる。
ボス=注意してくる人=苦手な人
このボス像は全て自分が作り出していることにすぎないのだ。  

こういうのはどうだろう。
貴方が今するべきことは、「子どもを叱ること」これだけだ。ここに思いっきりフォーカスして欲しい。
子ども叱るというのは実に難しく一筋縄ではいかないことは、妻もよく知っているだろう。
叱るという行為は信頼関係が成り立っていないと非常に難しい。子どもの家庭環境、性格、今日の機嫌や様子など観察場所は多岐にわたる。信頼関係が成り立ってないなら、叱る前にたくさん遊ぶようにしてみよう。そもそも叱るような状況を作らないことが最優先。そのためにできることはないかな。

そもそも叱る線引きはどこ。
これまで日本で教員をやってきたが、教本通りのマニュアルはもう懲り懲り。ていうか人が考えたものだよ??それが自分を苦しめていたことにそろそろ気づこう。

子どもたちには何が大切かな?
妻「自分のことを愛してもらいたい」
私「それなら自分を愛してない行動や言動をとった時を叱る線引きはしてみたらいいんじゃない」
妻「友だちを叩いたり、暴言を吐いたりとかもかな」
私「行動は見えるからわかりやすい。相手を叩くという行為は自分を叩く行為と一緒。
暴言だけど、言葉は大切に育てたいよね。言霊って本当だ。
幼児期の自分を愛している子って、本当に自分が好きで自分しか見てないよ。それが元々の本来の姿だから。不自然な子どもたちっていうのは、目に留まりやすいはず。よく観察して。さらに年齢が低くて、すでに不自然な行動が出てる子は早急に支援をするべき。なんなら、実習生って制限ないはずなんだから,不自然な子どもだけを対象に関わりを待つようにするのもありだと思う。とにかく、自分の好きなように、やりたいことをやったら。」

自分の好きだけを選択できてくると、誰かに何か言われた時に、自分の信念をもって相手に伝えられるようになる。
そうするとボスから注意されたと思っていたことが、アドバイスに変わるよ。
だって,私はボスが妻に伝えたことは、アドバイスだと感じた。

捉え方の練習が必要かも知れないから、注意されたと思ったことは、感謝ありがとうって思うように心がけて。

最後に
子どもたちに叱るという行為はこんなにもたくさんのプロセスが必要にも関わらず、それでもまだ貴方はボスの顔色を気にするのですか?
貴方がこれまで培ってきた方法で、貴方独自の発想で、貴方の判断で子どもたち一人一人と関わってください。
貴方本来の姿は誰も真似できることなく、繊細で優しく、子どもが憧れるような多才な能力があります。
本来一人一人みんな素晴らしいんです。
何度も言いますが、いきているだけ、そこにいてもらえるだけで、価値があるからです。

自分を偽らなくていい
他人に言われたことをやらなくていい
あなたのそのままを
飾ることなく
素直に見せて表現すればいい

一人で全ててやろうとしなくていい
貴方の周りには貴方の力になりたいと思っている人が、たくさんいることに気づいて
周りにたくさん甘えて委ねていい
貴方が甘えることで
周りはハッピーになる
だって素敵な貴方からのお願いだから
*写真 最近はヘナ植物のパウダーを使ってヘアパック。これ始めてから、シャンプー使わずに湯シャンで好調

これはありのままの自分を表現するために私が必要だったことだ。
なぜかといえば、一人一人、一つ一つ、同じものはないからだ。
皆同じような型に押し込められ、それしか選択できないと思い込んでいるだけだった。
自分の特性や個性をよく知ることだ。

本来は一人一人が皆クリエイターだ。ロールモデルがないのが当たり前。だって一人一人違うのだから。
そういえば、トランスジェンダーということでロールモデルがないことに長年苦しみ続けていた。なんならつい最近まで。
しかし、ロールモデルはあったのだ。それは自分の中にあった。
自分自身をありのまま素直に表現するだけのことだった。

「私の個性や特性を生かしてクリエイトできることってなに?」
自分の良いところあげるとせいぜい10個くらいしか挙がらないが、人に聞くと結構出てくるものだ。
ちなみに数年前に身近な人に私の良いところを教えてもらった。
・物事を俯瞰して見れる
・何事にも好奇心旺盛
・失敗を恐れず挑戦する
・目先の目標、将来の目標を決めそれに向かう
・協調性やコミニュケーション力がある
・他人の良いところを見つける
・前向き
・周りの人を巻き込む、影響力がある
・何事も果敢に挑戦する
・決断力と行動力がある
・人と自然に打ち解ける
・みんなをまとめられる
・企画力や運営力がある
・目標に向かって突き進める
・自分の考えがぶれない
・相手の考えを引き出す力がある
・柔軟性
・雰囲気を明るくできる
・楽しませながら教えるコツを知っている
・人に教えること
・手先が器用
・周りに人が集まってくる
・力を貸そう、力になりたいと思わせる
・心強い存在
・人を思う気持ちがある
・人を惹きつける魅力がある
・強引さ、素直さ
・切り替えが早い

ざっと挙げてみたがすごく嬉しいし自慢してみたくなった。