- 前ページ
- 次ページ
去年の私は、「人間関係の構築」にかなり夢中になっていた。
自分や相手を観察しながら、たくさんの体験を重ねていた。その中のひとつが、“カミングアウト月間”だった。
会う人、会う人に、「私はトランスジェンダーです」と伝えていった。
伝える前の自分の心。伝えた瞬間。その後、相手との空気の変化。
その全部を観察していた。
最初は直感で動いていて、正直よくわからなかった。でも繰り返す中で、「なぜ伝わるのか」「なぜ伝わらないのか」「自分がどこで無意識になるのか」が少しずつ見えてきた。
その経験は、今の人間関係づくりの土台になっている。
ちょうどその頃、妻も保育園での一年の目標について話してきた。
保育園では、自分でテーマを決めて一年かけて取り組む仕組みがあるらしい。そして妻は「人間関係」をテーマにしていた。
私は嬉しくなり、保護者や子ども、職場の人間関係について一緒に話すようになった。
でも途中から、お互いにイライラすることも増えた。
私の中には、「どうして伝わらないんだろう」という苦しさがあった。
それでも諦めたくなかった。
一番近い妻に伝わらないなら、他の人にも伝わらない気がしたから。
だから、自分の考えをまず妻に話し、「伝わったか」を確認するようになった。
それは練習でもあり、観察でもあり、私にとって大事な試みだった。
一年後。
ふと気になって妻に聞いてみた。
「人間関係、どう変わった?」
すると、職場の人間関係が良くなっていた。
私は驚いて、「何を変えたの?何がきっかけ?」と聞いた。
でも妻は「なんとなく」とだけ答えた。
その“無意識の変化”がとても印象的だった。
人は変化しているけれど、それを言語化していないことが多い。
だからこそ、「意図すること」「言語化すること」は大事だと感じた。
そして今朝。
私は、自分のやりたいことを妻に話した。
「音や言葉で自分を表現したい。できれば歌も」
ただ私は歌が苦手だった。
声が低くなり、高い音も出ない。ずっと自分の声が嫌いだった。
でも最近気づいた。
アカペラなら歌える。
誰かに合わせなくていい。正しい音程でなくていい。目の前の人に気持ちを届けるように歌えばいい。
そう思ったら自然に歌えた。
そして、それがとても心地よかった。
そのとき妻が言った。
「そういえば私の今年の目標、“歌”だったわ」
思わず笑ってしまった。
私たちは別々に生きているようで、どこか深いところでつながっているのかもしれない。
そんなことを感じた朝だった。
結局娘は、昨日のことがなかったかのように、ルンルンな朝だった。
こちらから「学校どうする?」と聞くこともなく、いつもの日常の姿。
子どもって、その時々で気持ちが変わる。
それはこれまでも経験してきたから、特別驚きはなかった。
でも私は、問題が起きた時こそ、その前後の流れを大切にしたいと思っている。
もし今回の「行きたくない」が赤信号だとしたら、
その前の黄色信号は、どこにあったんだろう?
振り返ると、娘の口から友だち関係の話を聞いていたことを思い出した。
だから今回は、
「今日は行けてよかったね」で終わらせたくなかった。
継続的に娘の様子を見ていきたい。
今日という日は、日々の積み重ねの上にあるから。
昨日は学校を休んだので、事前に先生へ状況をメールしていた。
今朝、先生からの返信を妻と確認した。
内容はとても自然で、誠実に受け止めてくれていることが伝わってきた。
さらに、不安があれば先生やカウンセラーへ相談できることも書かれていて、とてもありがたかった。
私は今できるサポートをしたいと思い、朝は娘の好きなシフォンケーキを焼いた。
妻とも情報を共有した。
そして感じた。
娘は今、「家庭への安心感」から、「学校への安心感」へと、少しずつ成長しているのかもしれない。
だからこそ、先生とのコミュニケーションも積み重ねていきたいと思った。
どうしても仕事の関係で、私の方が先生と関わる機会が多い。
でも、妻が送迎する日は、できる範囲で家での様子を先生に伝えてほしいと話した。
私は英語が話せないので、学校で翻訳アプリを使いながら、たわいもない会話をする時間はさすがにない😂
その代わり私は、日本語ワークショップへの関わりを増やしていこうと思う。
今朝は妻が送迎担当だった。
そして早速、娘の写真が送られてきた。
それを見た瞬間、私は朝から涙が出た。
今回、娘が「学校に行きたくない」と言ったきっかけになっていた、“寂しさ”。
その相手だった友だちと、玄関でばったり会った瞬間の写真だった。
涙が出るほど嬉しいって、
私が本気で向き合っている証拠なんだと思う。
自分の心に正直になること。
素直に涙を流すこと。
過去の私にとってそれは、
ダサくて、恥ずかしくて、隠したいものだったのかもしれない。
でも今は違う。
涙が出るほど誰かと向き合えている自分を、
とてもカッコいいと思える。
娘が今日「学校に行きたくない」と話した。
まさかまた言われるとは思っていなくて、正直かなり動揺した。
ちょうどその時、妻は出勤が早くて、娘から話を聞き始めている途中で家を出てしまった。
がーん。
最初に頭に浮かんだのは、「これは怠けなのか、それとも別の理由があるのか」ということだった。
家で好きなことをしていたいだけなのか、それとも何かしんどさがあるのか。
白黒はっきりさせたがる自分は、つい「行くの?行かないの?」から入ってしまった。
そして理由を探すように、いろいろと聞き始めていた。
正直、その時はどう対応したらいいのか分からなくなっていた。
ただ、「正解も不正解もない」と思い直して、まずは娘の話をそのまま聞くことに意識を切り替えた。
すると、自分の中の二択の考えも少しずつほどけていって、「今日は休みたい」という気持ちを一度受け止めることにした。
その安心ができたことで、娘は少しずつ理由を話してくれた。
最初は自分にもよく分からなかったけれど、話を聞きながら、娘の言葉をそのまま復唱したり、整理するように言語化していくうちに、少しずつ全体像が見えてきた。
結果として、友だち関係の影響が大きいことが分かった。
・仲の良い友だちが数日いないことの寂しさ
・もう一人の友だちとも最近あまり一緒に遊べていないこと
・その影響で、特にリーディングの時間に孤立感が出ていること
こうしたことが重なっていたようだった。
娘自身も、自分の気持ちをうまく言葉にできなかったり、「よく分からない」と感じている部分もあって、それは子どもとして自然なことだと思う。
今回あらためて気づいたのは、自分が「行く・行かない」の二択にとらわれていたということ。
でも本当に大事だったのはそこではなくて、娘の気持ちを一緒に整理していくことだった。
話しながら気持ちを復唱したり、少しずつ言葉にしていくことで、何が起きているのかが見えてきた。
これは問題を解決するというより、お互いの気持ちを整理する時間だったように思う。
⸻
今日は学校を休むことにしたけれど、「家でも学校と同じように学習する」ことは伝えた。
YouTubeやゲームについても、お昼と放課後だけというルールにしたが、それも納得して受け入れていた。
その様子を見て、楽をしたいとか怠けたいという気持ちとは少し違うと感じた。
⸻
また、「一緒に行こうか?」と聞いたときには断られた。
それは親に頼るというより、友だちや学校の中で安心を作り始めている途中のようにも見えて、成長を感じた。
先生に気持ちを伝えることについても「いいよ」と言っていたので、学校の中にも安心できる関係性ができているようにも感じた。
⸻
最後に明日のことを聞いたときは、
「休めるなら休みたいけど、行かなきゃいけないんでしょ?じゃあ…行く」
そんな揺れた気持ちだった。
だから明日の朝の様子を見て、また一緒に決めていこうと思う。
⸻
今回の出来事を通してあらためて感じたのは、子どもにとっての安心は「環境」ではなく「人とのつながり」で大きく左右されるということ。
そしてその揺れ自体が、成長の途中でもあるということ。
自分自身も、ただ行く・行かないを決めるのではなく、その背景にある気持ちに寄り添うことの大切さを学んだ時間だった。
娘よ、いつも大切な気づきと学びをありがとう。
出会う人が変わると、私の中の“当たり前”も変わっていく
数日前、妻から突然聞かれた。
「日曜日、なんの日か知ってる??」
そう言われて、母の日だと知らされた。
でも正直、その時の私は、
去年も特別なことはしていなかったし、
今年も何かをするつもりはなかった。
すると、その2日後くらい。
突然、妻の上司からメールが届いた。
「けいさん、日曜日は和香菜先生に特別なことをするのを忘れないでね😊」
私は、
「えっ…?何のこと??」
という状態。
でもその瞬間、
「そういえば妻が、わざわざ母の日だって伝えてきたの珍しかったな」
と思い出した。
そこで初めて、
妻が“母の日を大切にしたい”と思っていたことに気づいた。
そして、
わざわざ上司からメールが来ることにも正直驚いた。
でも、もう母の日まであと3日。
しかも私はその3日間ずっと仕事。
娘と一緒にサプライズの手作りをする時間もない。
料理を作る余裕もない。
そして何より、
私はずっと、
“母の日は、子どもが母親に感謝を伝える日”
だと思っていた。
私の家庭では、
家族全体で母の日をお祝いする文化はなかった。
子どもの頃、
お小遣いやアルバイト代で母にプレゼントを渡した記憶はある。
だから私は、
「娘のサポート役をしなきゃ」
ということばかり考えていた。
でも、
“自分自身は何をしたらいいのか”
が全くわからなかった。
そんなことを考えているうちに、
気づけば当日の朝になっていた。
もう正直に聞くしかないと思い、
妻にこう伝えた。
「今日、何か食べたいものとか、欲しいものある?」
そして、
自分が感じていたこともそのまま話した。
「私が母の日で大切にしているのは、“感謝の気持ちを自分の形で表現すること”。それを娘にも伝えたい」
と話した。
私は仕事で付き添えなかったので、
娘と2人で出かける時に、
「お母さんにあげたい」
と思ったものを、一緒に選んできてほしいと伝えた。
そして、
妻の食べたいものも買ってきてもらう流れになった。
私が仕事から帰宅すると、
娘はカードを選んできていた。
そこに絵を描き、
メッセージを書くことに。
すると妻が一言。
「圭も何かメッセージ書いてね😊」
私は思わず、
「えっ?なんで?
母の日って、娘が自分のお母さんに感謝を伝える日じゃないの?」
と言ってしまった。
すると妻が、
「母の日って、家族みんなでお祝いする日でしょ?」
と返してくれた。
その言葉に、
私はハッとした。
私は完全に、
“母の日の蚊帳の外”
のような感覚でいたから。
でも振り返ると、
去年、妻は保護者の方たちから、
「マザーズデーどうだった?」
とよく聞かれていたらしい。
そういえば私も職場で、
「母の日は圭が料理担当代わるの?」
と聞かれたことがあった。
私はその時、
「え?変わらないよ」
と答えたけど、
相手に不思議そうな顔をされたのを思い出した。
ニュージーランドでは、
クリスマスやホリデーのように、
イベントごとを家族で大切にする文化がある。
そして、
マザーズデーもその一つなんだと知った。
もちろん、
日々の生活の中で感謝を伝えることは大切。
でも、
“わざわざ年に一度、母の日として設けられている”
ということにも意味があるんだなと思った。
感謝を、
ちゃんと形にする日。
思い出として残す日。
来年からは、
もっと大切に母の日を迎えたい。
そんな気づきをもらった、
今年の母の日でした。
今の自分の心を、そのまま映しているように感じた。
暗闇の中にある、とても怖い部屋。
私はその先頭に立ち、そこへ進んでいった。
「死んでもいい」と思う感覚に近かった。
けれどそれは、諦めではなく
〝覚悟〝に近いものだった。
怖さや不安は確かにあった。
それでも、自分で自分を奮い立たせ、前に進んでいく感覚があった。
そのときの私を動かしていたのは、
反対する人の存在だった。
現実でも、意見がぶつかることがあり、
そのたびに心は疲れていた。
怒りの感情も強く、消耗している自分がいた。
でも同時に、その存在は
私を前に進ませるエネルギーにもなっていた。
ネガティブでありながら、
どこかポジティブでもある、不思議な力。
夢の中では、
暗闇へ一緒に進む人たちの方が多かった。
そして気づいた。
「覚悟を決めて進む人」は、
特別に少ないわけではない。
私はただ、その選択を自然としているだけ。
先頭に立つことも、“偉いから”ではなく、そういう性質なのだと感じた。
そして、ついてきてくれる人たちの存在が、とても心強かった。
さらに印象的だったのは、その後の出来事。
私に反対していた人たちは、
私の知らないところで、別の誰かと対話をしていた。
そして最終的には、完全に賛成ではなくても
「そういう道もあるんだね」
と、どこかで受け入れていた。
この夢を通して感じたのは、無理に戦わなくても、流れは自然と動いていくということ。
だから私は、これからも進んでいこうと思う。
怖さや不安を感じながらでもいい。
それでも、自分の中にある「覚悟」を信じて。
必要以上に戦うのではなく、一緒に進む人たちとエネルギーを分かち合いながら。
静かに、でも確実に、自分の道を進んでいきたい。
夢なのに、どこか現実のような感覚が残っている。
それだけ今の自分と、深くつながっている夢だった。
⭐️再投稿(2026年3月31日の投稿)
「やらなくてもいい」が、子どもを動かした日
今朝、娘が涙を流しながら言いました。
「学校に行きたくない」
理由は、その日に予定されていたハカダンス。
数日前から、本人の意思というより流れで参加が決まっていたそうです。
親としては「できれば参加してほしい」という気持ちもあり、
正直、どこかで「行けばなんとかなるだろう」と思っていました。
そんな中、妻が一言。
「行きたくないなら、行かなくてもいいよ」
その言葉で、視点が一気に広がりました。
「行く・行かない」は一つじゃない。
選択肢がある、という感覚。
あらためて娘の話を聞くと、
本当は「行きたくない」と思っていたけれど、その場では言えなかったとのことでした。
私は娘にこう伝えました。
「先生に、あなたの気持ちを伝えておくね」
その瞬間でした。
さっきまで泣いていた娘が、すっと立ち上がり、支度を始めたのです。
黒い服に着替え、鼻歌まで歌いながら準備。
気づけばピアスやウィッグまでつけて、参加する気満々の姿に変わっていました。
あの切り替えは何だったのか。
振り返って感じたのは、二つのことでした。
「自分の気持ちを伝えられる」という安心感。
そして、
「参加する・しないを自分で選べる」という感覚。
この二つが、娘の中で大きかったのだと思います。
その後、先生に気持ちを伝えると、笑顔で「OK」と受け入れてくれました。
娘自身も、自分の言葉で「行きたくない」と伝えることができました。
ダンスをする気満々の格好をしながら、
「やらないかもしれない」と言えている姿が、とても印象的でした。
子どもは、安心できると動き出す。
無理に背中を押すよりも、
「やらなくてもいい」と言えること。
そのほうが、結果的に
子ども自身の力を引き出すのかもしれません。
焦らず、ゆっくり。
その子のペースで進んでいけばいい。
そんなふうに感じた朝でした。
⭐️再投稿(2024年12月8日の投稿)
娘の「行きたくない」で気づいた。変わるべきは自分だった
ニュージーランドに移住してから、娘との関わりはこれまで以上に深くなりました。
けれどそれは、決して順風満帆なものではありませんでした。
娘の気持ちに寄り添うことの難しさ。
思い通りにならない現実へのもどかしさ。
娘と二人きりで過ごす時間が重く感じられ、「明日はどうしよう」と前日から憂鬱になることもありました。
正直に言えば、「仕事をしていたほうがよかった」と思う日もありました。
仕事にやりがいを感じていた自分を思い返しながら、育児や家事にどこか“やらされている感”を抱えていたのです。
そんな中、娘がある日突然言いました。
「幼稚園に行きたくない」
この一言が、私にとって大きな転機となりました。
最初は、理由を外に探していました。
大好きな友だちが小学校に進んでしまったこと。
妻が忙しくなり、娘との時間が減ったこと。
幼稚園での小さなトラブル。
どれも確かに影響はあったと思います。
でもそのときの私は、「原因は外にある」としか見ていませんでした。
そんなとき、妻との会話の中で気づいたことがあります。
私は娘の「行きたくない」をとても深刻に捉えていたのに対して、
妻はそこまで重く受け止めていなかったのです。
この“温度差”に気づいたとき、
「自分の見方は一つじゃない」と初めて思えました。
そして同時に、
「自分が変わらなければ、何も変わらないのではないか」と感じたのです。
それから私は、娘のペースに合わせることを意識し始めました。
朝のお別れを嫌がる日は、何時間でも一緒にいる。
娘がやりたいと言ったことには、できる限り応える。
「ビーチに行きたい」
「大きい公園に行きたい」
「アイスが食べたい」
これまでならため息をついていたようなことも、
あえて受け入れてみました。
最初は正直しんどかったです。
でも続けていくうちに、それが少しずつ“普通”になっていきました。
私はもともと、自分が主導権を握っていたいタイプです。
でも娘に委ね、そのペースに合わせる中で、
自分の在り方も少しずつ変わっていきました。
すると、不思議なことが起きました。
娘が変わり始めたのです。
2週間ほど経つと、朝のお別れのときに自分から「バイバイ」と手を振り、
幼稚園に行くことを楽しみにするようになりました。
子どもは、安心できると変わっていく。
そしてその安心は、
親である自分の在り方から生まれるのかもしれません。
娘との時間を通して、
私自身が変わることの大切さを、教えてもらいました。
妻と一緒に、YouTubeの撮影をしました。テーマは、娘の日本語教育について。
普段からよく話している夫婦だけど、
妻は、カメラが回ると少しだけよそよそしくなる。
だから今回は、できるだけ自然な状態で話せるように、足のオイルマッサージをしながら撮影してみました。
顔は映さず、声だけの記録。
ちょうど最近、娘に小学1年生の漢字を教え始めたタイミング。
「懐かしい」という言葉を自然に使った姿を見て、やっぱり“体験”が言葉につながるんだと感じました。
一方で、書き順のことになるとぶつかることもある。
大事なのはわかっているけど、本人は嫌がる。
やんわり伝えることも難しくて、
気づけば自分がストレスを感じてしまう。
だから一度やめました。
「ストレスになることはやらない」と決めて。
妻とはこんな会話をしました。
「それぞれのスタイルでいいんじゃない?」
楽しくゲームみたいにやる方法もあれば、それができない自分もいる。
それでも、娘に日本語を身につけてほしい気持ちは強い。
早いうちに触れてほしいとも思う。
だからこそ、無理やりではなく、長い目で見ていくこと。
昔、自分が教員だった頃は、
「丁寧に書きましょう」と保護者に伝えていた。
でも今、親の立場になって初めてわかる。
あれは簡単なことじゃなかった。
子どもは日によって全然違うし、
親の余裕も毎日違う。
スクールホリデー中はうまくいっても、
学校が始まると放課後は集中できなかったりする。
だから、朝の車の中で音読してみたり、
短い時間だけにしてみたり、
その日その時に合うやり方を選んでいく。
無理やりやらせても、
嫌な記憶として残るだけかもしれない。
英語環境で育つ中での日本語教育。
環境が整っていないからこそ、
「どうやったら楽しく続けられるか」に
意識が向くようになりました。
正解はない。
だからこそ、夫婦で話しながら、
その時のベストを選んでいく。
これは、今の自分たちの途中経過です。
ぜひ興味ある方はご覧ください
今年に入ってから、スクールホリデー中は毎日、日本語の学習に取り組んでいた。
学校が始まってからは、土日のみ。
一度、平日の放課後にも取り入れたことがあったけど、娘のやる気がなく、私はイライラしてしまった。
その経験から、平日はやらない選択をしていた。
でも、漢字学習が始まって、毎日やらないと追いつかない。
わかってはいたけど、また同じことが起きるんじゃないかという怖さもあった。
少し時間を置いたことで、私の気持ちは前向きに変わっていた。
それでも、娘に「またやろう」と伝えるのは少し怖かった。
妻に相談して、
「コイン」や「シール」のアイデアを試してみることにした。
娘はシールに興味を持ってくれて、やり始めたけど、途中で言った。
「なんで学校行ってるのに、家でもやるの?」
やっぱり来た、と思った。
この言葉にどう返せばいいのか、わからなかった。
その時、妻が言った。
「5分だけでいいよ」
娘はタイマーをセットして、やり始めた。
その姿を見て、私は考えた。
どうしたら、この時間が“やらされるもの”じゃなくて、“楽しいもの”になるか。
その時の漢字は「大」。
体で「大」を表現して、写真を撮って、
その上から指でなぞるようにしてみた。
すると、数分前とはまったく違う表情になった。
目が輝いていた。
そのあと、音読まで自然とできた。
今回うまくいったのは、やり方だけじゃないと思う。
一度離れたこと。
自分の状態が変わってから戻ってきたこと。
一人で抱えずに、妻に頼れたこと。
そして、「やらせる」じゃなくて
“入りやすくする”こと。
「やりたくない」から始まってもいい。
そこから、どう関わるかで変わっていく。
日本学習を通して、娘だけじゃなく、自分自身の変化でもあるなぁ。

