映画探偵室 -19ページ目

ケイゾクは力なり、か?

「ケイゾク」は低俗でも軽俗でもありませんが、この所山田太一の重いテーマを扱って来ましたので、ここらで「らしい」サスペンス・エンターテインメントをお届けしたいと思いました。その前に現在読書中の本(下左)をご紹介。
 
山田太一作
 飛ぶ夢をしばらく見ない (小学館文庫)
私の中では古井由吉の「杳子」に似た傑作です。杳子が精神障害者のゲシュタルト崩壊を思わせるのに対し、山田太一のは平凡な中年の妄想と思わせますが、読者の精神及び肉体(特に下半身)を直撃する力は両者とも半端ない。冒頭の列車事故が現実の事故だったのかは最後まで語られません...「世にも奇妙な物語」の一編とも受け取れる...

で、探偵お気に入りの「ケイゾク」を
   
迷宮入りの事件、警察用語で“ケイゾク”を捜査する警視庁捜査一課二係に配属された警部候補の柴田は天才的な頭脳を持った女刑事。しかし、才能とは裏腹に女としてはあまりにもダサイ、野暮ったい女性だ。そんな彼女とコンビを組むのは、たたき上げの元公安部の真山刑事。一見、優秀な刑事だが、彼の心はある事件にからんだトラウマに苦しめられていた。そんなふたりが次々に難問を解決していく。
1999年にTBS系で放映され、人気を博した同名連続ドラマのDVDに『ケイゾク/映画』をプラスした『ケイゾク DVDコンプリートBOX』。個性的なキャラの登場人物、伏線をはりめぐらせたストーリー、柴田の「私、わかっちゃったんですけど」の決めセリフから繰り広げられる推理と、“女刑事コロンボ”的な要素がたっぷりで、ミステリーファンは必見。天然ボケの一面も持つ柴田と、突っ込みの真山のユーモアたっぷりのかけあいもお楽しみだ。柴田は中谷美紀、真山は渡部篤郎。それぞれドンピシャのハマリ役。(斎藤 香)
ではDaily Motionから現在アクセス可能エピソードのみ:
第1話

第2話

第3話

第4話 (捜索中)
第5話

第6話

第7話 (捜索中)
第8話 (捜索中)
第9話

第10話

第11話


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我が身さへこそゆるがるれ - 山田太一作品集から 「沿線地図」あとがき

フランソワーズ・アルディ - 男の子女の子
 ( Tous Les Garçons Et Les Filles )

道子と志郎という若い二人の電撃的な恋で始まる物語について作者山田太一はこのように述べている。

あとがき
人生には沢山のレースがあり、雨の日のタクシーの奪い合いであれ、テストの成績を争うものであれ、売り上げ競争、バーゲン会場のそれ、女を取り合うというような思い出したくないレースであれ、大抵の場合、自分を抑えたり、偽ったり、ひどい時には破壊してしまったりすることと無縁ではない。
 体面を保ちながら出来るレースは少ないし、おおむね勝者の内面も(意識するにせよしないにせよ)傷だらけだったりするものである。
 だから、レースをやりきれなく思うものが出て来ても不思議はない。そういう人間が現れなかったら、この世は一本調子で深度のないものになってしまうだろう。(事実そうなっているともいえるけれど)
 たとえばテレビのニュースショーの記者で、俳優の情事の細かな経緯を取材するのが嬉しくてたまらないという人は、そんなに多くはないだろう。しかし、どのチャンネルもその情事をとりあげ、厚かましさを競っている。何故なら、「なんだかんだいったって」そのスキャンダルをとりあげなければ、その局だけ視聴率が落ちるのだし、そんな危険を冒すわけにはいかないからだ。で、やる以上は、他局より更に根堀り葉掘りということになってしまう。
 そこから逃れる方法は、そう多くない。
一番いいのは、それほどやりきれない思いをしなくてもすむ別の新企画で大当たりをとることだが、それは容易なことではない。
 仮に成功したとしても、それは結果の話で、企画の段階では「当り」はまったく保証されていない。だから局は、別の企画で「当り」を獲得するためには、一旦いまスキャンダルで稼いでいる視聴率を断念しなければならない。一度、レースをおりる決心をしなければならない。
 それは高視聴率の場合には相当に実行困難で、記者個人が「職を捨てる」という形でレースをはずれる方が実現しやすいかもしれない。
 ともあれ、この作品を書くとき、私の中に、レースを「断念」するという形でしか自分をとり戻す方法がない、という事柄がいよいよ世界に触手を拡げている、という思いがあった。
 レースに加わっている限り、レースの構造にがんじがらめになり、不合理でもモラルに反しても身体に悪くても嫌でたまらなくても受け入れなければならない条件が無数にあり、それらが私たちに容赦なく屈服を要求する。
 無論レースは、私たちの切実ななにかについての欲求に応えるからこそ君臨しているのであり、だからこそ「断念」が難しいのだが、ではその難しい「断念」をした人間は敬意を表されるかというと、二、三十年前までは僅かに残っていたそうした価値観も今では色褪せて、「敗北」「弱さ」といった印象で受けとられることの方が多くなっている。
「沿線地図」はそうした時代の「断念」の物語であり、出来るなら輝かしい「断念」の物語にしたいと考えたのであった。
 しかし、ファンタジーにするならともかく、あくまであり得るであろう水位で登場人物が行動する限り、今の日本で「断念」はそれほど輝かしい軌跡を描けない。
 此処にご覧に入れるような、苦くて片隅の物語となった。
 この作品は、はじめ一冊の小説として書かれたものである。
 まず小説として書き、それを脚本にするという方法はテレビドラマの質を上げる一つのやり方だというように考えたのである。一度小説として終わりまで考え通した作品を、改めて批評的に全体を展望しつつドラマにして行くというやり方は、快感や安定感もあり、自分の不備を修正して行く上でも悪くなかったと思う。
 制作上でのこのドラマのサスペンスは、何より岸惠子さんが電器屋の女将さんをどこまで演じて下さるか、ということであった。加わうるに、真行寺君枝、広岡瞬という重要な若い二人のデビュー作でもあった。作者はハラハラしたが、それははじめの一、二回で、すぐそのどれもが、予想以上の出来栄えであることを確認することになった。
 能至政美さんをメインディレクターとした演出家、キャメラ,照明、美術の水準の高さも忘れ難い。
 それから音楽である。「岸辺のアルバム」でジャニス・イアンを実に上手に使って下さった小川よしあきさんに、フランソワーズ・アルディをお願いした。アルディのレコートを多量に持ち込んで私に聞かせたのは、演出家の一人である片島謙二さんで、一つの作品というのは、実に多くの才能に支えられて漸く出来上がるという事実を、ここでも改めて、感慨とともに心に刻む思いである。
(1985.10.20) 山田太一

我が身さへこそゆるがるれ - 山田太一作品集から 「沿線地図」(第9話~第15話)



第9話 
ある一件から志郎の父・誠治(児玉清)は、志郎(広岡瞬)と道子(真行寺君枝)を無理矢理に連れ戻す事はやめようと決め、「帰る場所はないつもりでやれ」と二人に伝える。
第10話 
青果市場での働きぶりを認められた志郎(広岡瞬)は、社員にと勧められるが断った。藤森家では二人を巡って家族の意見が割れ、一方松本家では季子が酒を飲むようになり…。
第11話 
志郎(広岡瞬)の母・季子(河内桃子)は、志郎がいない淋しさや夫・誠治(児玉清)への不満から酒に溺れていく。ある日、かもめで酔った季子は藤森家に電話をし…。
第12話 
茂夫(河原崎長一郎)と季子(河内桃子)が一度だけの関係を持ってしまう。その一方で道子(真行寺君枝)が妊娠した。迷いながらもそれを志郎(広岡瞬)に告げたところ…。
第13話 
夫の浮気を知り激しいショックを受けた麻子(岸惠子)は誠治(児玉清)に事実を伝えるが信じない。一方、妊娠した道子(真行寺君枝)は中絶すると志郎(広岡瞬)に告げた。
第14話 
道子(真行寺君枝)と志郎(広岡瞬)は中絶するべきか迷っていた。そして麻子(岸惠子)は夫・茂夫(河原崎長一郎)以外の男性と初めてデートを。そして突然、謹造が…。
第15話 
藤森家と松本家の六人は、謹造(笠智衆)の自殺という衝撃的な事実にショックを隠しきれずにいた。その晩、志郎(広岡瞬)は両親の前で道子(真行寺君枝)の妊娠を告げる。

前作「岸辺のアルバム」に視えた一筋の光も無いように感じられる暗い結末となった今回の作品。日本映画界の至宝であった笠 智衆の演技に託した山田太一の思いは何だったのだろうか。

(追記あり:館長)