映画探偵室 -21ページ目

高村 薫『我らが少女A』6. 作中に示される時間とその時の世相 (結に代えて)

ここまで「我らが少女A」について書いてきて、そのきっかけとなった「少年A」の事件は、少年Aの手記を含め重要と思われる記録や著作は殆ど読んだが、その「重さ」により、本ブログでは敢えて採り上げないことにした。
 今回はその代わりとして、純粋なフィクションである「我らが少女A」の重要な<節>にあたる各年の世相をWikipedia等からのデータで比較してみようと思う。時はどのように流れて来て、そして今は、そして<その先、行く手>は...
 この年月の流れについて、著者である高村薫はインタビューで次のように語っている(アンダーラインは当探偵)。
メルマガ「小説丸」
 未解決事件の集合記憶
(長くなるが全文引用)
 直木賞受賞作『マークスの山』から始まる〈刑事・合田雄一郎シリーズ〉の第六作『我らが少女A』が刊行された。第一作発表時から四半世紀の時間が流れ五七歳になった合田が直面するのは、約一二年前に発生した未解決殺人事件だ。
 作者自身が「ミステリーではない」と証言する本作は、どのように構想され、何を指標に書き進められていったのか。
 二〇一七年早春、警察上級幹部を育成する研修施設・警察大学校で、合田雄一郎は教授を務めている。勤務地の最寄り駅である西武多摩川線多磨駅前は、武蔵野と呼ばれる自然豊かでのどかな風景が広がる土地だ。しかし、一二年前のクリスマスの朝、駅前に広がる野川公園内で元美術教師の老女が殺され遺棄された。のちに未解決事件リスト入りした通称「野川事件」を担当していたのは、かつて警視庁捜査一課に所属していた、合田だ。シリーズ第六作『我らが少女A』はこの事件を巡り、一二年前の過去と現在が交錯していく。
 着想の始まりは、五七歳という合田の年齢だったという。
「私自身が生きている同時代の空気を描くシリーズでありたい、という思いは最初の頃からありました。その結果、合田は巻を追うごとに歳を取っていく形になったわけなんですが、五〇代後半ともなれば以前のように現場に出て走り回る年齢ではないんですよね。じゃあどんな立場にするのがいいだろうかと考えていた時に、知人から警察大学校について話を聞く機会がありました。そこで二年ほど教えて、本庁に戻って管理官になるというのが警察官にとってのエリートコースの一つだそうです。合田はこれまでいろんな事件を解決へと導いてきましたから、そのコースに乗るのは違和感がないなと思いました」
 実は、警察大学校の校舎は二〇〇一年に中野から府中市へと引っ越していたのだが、「私の母校であるICU(国際基督教大学)の真裏が、野川公園です。その先に、調布飛行場。あの近辺には土地勘があったんですよ」。物語の舞台となる土地を決めることは、作家にとって何より重要なことだ。
「舞台をA市やB街、C地方にするという書き方は、私にはできないんです。名前があって実在する、固有の匂いや風景を伴った土地のうえに、人間を立たせる。そうすることで、それぞれの人間の顔が見えてきて、小説が動き出すんです」
 警察大学校の教授が、現在進行形の凶悪事件を捜査するのは現実的ではないだろう。そう判断した結果辿り着いた「未解決事件の再捜査」という題材も、武蔵野の土地だからこそリアリティを持って描くことができたのだ。
現地へ久しぶりに足を運んだんですが、私が大学に通っていた頃と、あまり変わっていないなと感じました。時計の針が止まっているような、不思議な感触がこの土地にはある。未解決事件というのはどの土地でも起こり得るものですが、変化していく時代の中で、だんだん埋もれて風化して忘れられてゆくものです。それに加えて、都心のように時々刻々と風景が変わり人々の流動性も高い土地であったならば、何かの拍子に事件を振り返るとなった時、たぶん記憶を蘇らせることすら難しい。時計の針が止まっている武蔵野を舞台にするのであれば、土地や人々の中に、事件の記憶は比較的鮮明に残っているんじゃないかと思えたんです」
一〇〇〇字で完結する三五五個の物語を紡ぐ
 もちろん、住人たちは常に過去に囚われているわけではない。一二年前の未解決事件が現在に浮上するきっかけは、池袋で発生した風俗嬢殺害事件だ。この土地の出身である上田朱美は、彼女を殺めた犯人であり恋人でもあった男に生前、「野川事件」への関与をほのめかしていた。合田は当時一五歳だった朱美──少女Aを、参考人の一人として取り調べていたことを思い出す。一二年前の事件の関係者たちもまた、当時の状況を想起すると共に、長らく音信不通だった朱美についての記憶を蘇らせる。その様子を、多視点群像形式で描き出していく
「合田を含めたいろいろな人間が朱美について語り、その断片がいくつも折り重なったところに、彼女のおぼろげな人物像が見えてくる。かと言って、それが正しいかどうかは分からないんですけどね」
 なぜなら朱美は全五三六ページからなる物語の序盤、わずか二六ページ目で死んでしまうからだ。朱美本人が事件当日の行動や、自身の内面を「告白」することは絶対に叶わない。
「朱美を生かしておくと、いわゆる犯人探しになってしまいます。彼女が犯人なのか否かというところに、読者の興味が集中してしまう。それは避けたかったんですよね。死んでしまった以上は、本当に犯人なのか、ましてやどんな動機で事件を起こしたのか、誰も知りようがありません。ミステリーとしては大事なピースが欠けている、もっと言うとこの作品はミステリーではないということを、なるべく早い段階で読者に提示しておきたかったんです」
 あえて「ミステリー的」な書き方を回避した理由は、連載形式にあった。本作はもともと、一回約一〇〇〇字、丸一年三五五回にわたる新聞連載だったのだ。
「もしも書き下ろし長編であれば、物語全体の設計図を練り上げて、例えば〝序盤のあのエピソードが伏線だったんだ〟と驚いてもらえるような書き方をしたんだと思います。でも、新聞連載である以上は、読者さんがあらすじや伏線などをさほど気にせずとも、とにかく目の前の一話を楽しんでもらえるものにしたかった。新聞連載はイラストレーターさんの手による挿絵が毎回付きますから、送った原稿をやっぱり書き直したいですとは言えない、後戻りできないという切羽詰まった状況も大きかったと思います。つまり形式が、内容を決めたんですよね。結果的に全体の話の流れは自分の中で把握しつつ、一〇〇〇字で完結する三五五個の物語を一つ一つ、積み上げていく書き方になりました」
 あくまで物語の中心にあるのは、一二年前の未解決事件だ。しかし、本作においてその「謎」は、読者を物語に惹きつけるための吸引力であり、遠く離れた登場人物たちを繋ぎ合わせる磁力にすぎない。西武多摩川線多磨駅の駅員である小野雄太、一二年前に殺された栂野節子の孫娘で主婦の佐倉真弓、真弓のストーカーだという疑いを当時かけられていたADHD(注意欠如多動性障害)の浅井忍……。作者が本作において描き出そうと腐心したのは、少女A──朱美に関する記憶の断片を紡ぐ、十数名に及ぶ事件関係者たちの人生そのものなのだ。
「この小説に出てくる登場人物たちはみな、市井の人間です。彼らのごく普通の日常が、特別なものであると感じられるようになるというのが、小説の力だと私は思っています。その際に、書き手の側の心構えとして言えることは、書こうとしている人物の些細な言動を大事にするということですね。例えば、その人物が電車に座っていたり、部屋でテレビを見ているといった本当になんてことない仕草を、〝どうでもいいことだよね〟と筆を滑らせるのではなくて、きちんと想像して描写する。それを繰り返すことで、他の誰でもない、その人の人物像が立ち上がってくるんです」
人々は立ち止まらずに幸福を求めて前に進む
 ここまで「個人」にこだわった背景には、時代の流れとともに、重ねてきた人生からの影響もあった。
「昔は、大きなことばっかり見ていたんです。『レディ・ジョーカー』(一九九五年〜一九九七年に執筆された〈合田シリーズ〉第三作)なんて特にそうで、物語の中で〝バブルの頃に日本が稼いできたお金はどこにいったんだ?〟と追及したり、作品を通して時代を描きたいと思っていた。若気の至りです(笑)。歳を取るとともに、大きな社会問題だとか社会正義を扱うよりも、この社会で生きている個人の、それぞれの人生を見つめたくなったんですよ」
 その視線が、これまでにない読後感を導くこととなったのだ。本作は合田シリーズにおいて初めて、読み終えると温かな気持ちになる。
「一二年前の未解決事件の集合記憶が蘇ることによって、年月を経て疎遠だった人と人が繋がったり、わだかまっていた関係がほぐれたり、自分の人生を振り返る機会を得ることになる。そうすることで、登場人物たちの人生がそれぞれのやり方で、一歩進むんです。過去にどんなにひどいことが起こったとしても、今が本当にひどい世の中になってしまったなと感じていたとしても、それでも人々は立ち止まらずに、幸福を求めて前に進もうとしている。同時代を生きる、そんな〝我ら〟の姿を描きたかったんです

物語の主人公である少年少女たちが生まれた年 - 1989年(平成元年=昭和の最後の年)
Wikipediaより
1989年の日本
「事件」の発生した年 - 2005年
Wikipediaより
2005年の日本
「事件」の12年後、再捜査が行われた年- 2017年
そして本作品が新聞小説として発表された年 - 2017年
(物語の進行は現実と並行する形になっている)
Wikipediaより
2017年の日本
Wikipedia: 髙村薫

高村 薫『我らが少女A』5. 刻々と刻まれる「時」とその中で生起する事件(改)

 物語の焦点となる「事件」は作者及び読者も含め多くの人々の「日常の流れの中で突然現れた<現実の>非日常的事件」と重なりあう。先に挙げた(ただし物語の範囲外)三億円事件もそうだが、小説の時間(フィクションの時間と構想・執筆中の作者の時間)にも、そして日々それを読む新聞購読者の時間内にも割り込んで来る「事件」がある。
 私たち団塊世代から現世代までを一括りにしてしまえば、つまり人生観が変えられるほどの、そして折りに触れ作者を含めた人々の心に去来するであろう大災害/大事件/社会状況には次のようなものがあった。高村薫の作品の背後に見え隠れする「事件」を中心に、以下に発生年と概略を記す:
大学紛争(全共闘運動)及び東大安田講堂事件、1965-1972
三億円事件、1968年 ( 昭和43年 ) 12月10日 朝
三島由紀夫割腹自殺事件、1970年(昭和45年)11月25日(水曜日)
ロッキード事件、1976年 ( 昭和 51年)2月
 アメリカ の 航空機 製造大手の ロッキード 社による、主に同社の 旅客機 の受注をめぐって 1976年 ( 昭和 51年)2月に明るみに出た世界的な大規模 汚職 事件
グリコ・森永事件(毒入りチョコレート事件)1984年(昭和59年)と1985年(昭和60年)
 日本の阪神間(大阪府・兵庫県)を舞台に食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件。警察庁広域重要指定114号事件。また、略して「グリ森事件」「グリ森」とも言われる。高村は本事件を下敷きにして『レディ・ジョーカー』を書き上げた。
日本航空123便墜落事故 、1985年(昭和60年)8月12日(月曜日)
大韓航空機爆破事件、1987年11月29日
バブル崩壊
(第1次平成不況や複合不況とも呼ばれる)は、1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)10月までの景気後退期を指す。
阪神・淡路大震災、1995年 ( 平成 7年) 1月17日 ( 火曜日 )
 兵庫県南部地震 により発生した 災害 を指す。 高村の出生地は兵庫であり、彼女は震災当時神戸に居住していた。また、(後に書く「少年A」も手記によれば深刻な精神の動揺を与えられたという。)
地下鉄サリン事件(オウム真理教事件)、1995年(平成7年)3月20日
 高村とはジャンルが異なるが、当代随一の人気作家である村上春樹が(阪神・淡路大震災と並んで)最も深刻な影響を受けた事件である。思えば我々の世代は阪神・淡路大震災と東北大震災という2つの大事件を経験したことになる。
神戸児童連続殺傷事件(「少年A」事件)、1997年(平成9年)2月 - 5月
 兵庫県神戸市須磨区で発生した連続殺傷事件(少年犯罪)。高村の本小説では直接の言及はないが、事件の背景には精神障害者の心的内容と挙動が深く関係している。本小説における高村の精神障害者への視線は注目である。
東電OL殺人事件、1997年(平成9年)3月9日
 東京電力の社員だった女性が、東京都渋谷区円山町にあるアパートで殺害された未解決事件。ネパール人被疑者が犯人として逮捕・有罪判決を受け、横浜刑務所に収監されたが、のちに冤罪と認定され無罪判決を得た。現在も警視庁捜査一課特命捜査対策室で捜査中。2010年の刑事訴訟法改正による時効撤廃を受け、再審無罪になった事件で再捜査が行われる初めてのケースとなった。
 被害者が退勤後は円山町付近の路上で客を勧誘し売春を行っていたという。被害者が、昼間は大企業の社員、夜は娼婦とまったく別の顔を持っていたことが報じられ、被害者および家族のプライバシーをめぐり、議論が喚起された。
和歌山毒物カレー事件、1998年(平成10年)7月
 冤罪事件ともされるが、「特異な犯罪者が起した未解明事件」として人々の記憶にわだかまる。
世田谷一家殺害事件、2000年(平成12年)12月30日
 深夜に東京都世田谷区上祖師谷三丁目で発生した殺人事件。なぜこの一家が被害者になったのかの謎は未だ解明されていない。犯人は被害者宅のパソコン(インターネット回線で勤務会社へ繋がっていた)を操作し、多数の文書を焼却した事実があった。警察庁長官が視察に来たことでも知られる。
世界貿易センタービルへの航空機突入(米同時多発テロ)、2001年9月11日(火)の朝
 イスラム過激派テロ組織アルカイダによって行われたアメリカ合衆国に対する4つの協調的なテロ攻撃。9.11事件(きゅういちいちじけん)と呼称される場合もある
アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)
1989〜2001年
 1989年のソ連軍撤退後のムジャーヒディーンや軍閥による内戦。人民民主党が壊滅した1992年、ターリバーン首都カブールを占領しアフガニスタン・イスラム首長国を樹立した1996年9月で大別される。
2001年〜2021年
 2001年に発生したアメリカ合衆国および有志連合諸国と北部同盟によるターリバーン政府打倒のための攻撃、そして北部同盟が樹立したアフガニスタン・イスラム共和国政府およびISAF(国際治安支援部隊)および有志連合諸国とターリバーンおよびヘクマティヤール派などの武装組織の抗争。ターリバーン勢力はパキスタン連邦直轄部族地域に浸透し、パキスタン国内でも戦闘を行っている(ワジリスタン紛争)。2014年12月末に有志連合および北大西洋条約機構(NATO)主導の対テロ戦争の不朽の自由作戦が終了し、自由の番人作戦へ移行した。2020年に「ターリバーンと認知されているアフガニスタン・イスラム首長国」とアメリカ合衆国の間で和平合意が成立した。和平合意に基づいて2021年5月よりアメリカ合衆国駐留軍が撤退を開始すると、他の外国軍もアメリカ軍と同じく撤退を開始した。ターリバーンは合意内容に従ってアフガニスタン・イスラム共和国政府と和平交渉を行いつつも、共和国政府の支配下にある都市を次々と奪還し、8月15日に首都カブールを占領した。これによりアフガニスタン・イスラム共和国は事実上崩壊し、ターリバーン政権が再度樹立された(2021年ターリバーン攻勢)。
イラク戦争
 アメリカ合衆国が主体となり、2003年3月20日からイギリス、オーストラリアと、工兵部隊を派遣したポーランド等が加わる有志連合によって、イラク武装解除問題の大量破壊兵器保持における進展義務違反を理由とする『イラクの自由作戦』の名の下に、バアス党政権下のイラクへ侵攻したことで始まった軍事介入である。
サブプライム住宅ローン危機 2007年末から2009年頃
 世界経済を牽引する米国が深刻な不況に突入した影響は全世界に及んだ。
東日本大震災、2011年(平成23年)3月11日14時46分18.1秒
福島第一原子力発電所事故
 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(もしくは東日本大震災)とそれに伴う津波により、東京電力の福島第一原子力発電所で発生した原子力事故
三鷹ストーカー殺人事件、2013年10月8日
熊本地震 (2016年)

私たち団塊世代にとっては成人以前(少年時代)ではあるが、(ラジオやニュース映画等で見聞きした世相という意味では
帝銀事件、1948年(昭和23年)
 1948年1月26日に東京都豊島区長崎の帝国銀行(現在の三井住友銀行)椎名町支店(1950年に統合閉鎖され、現存しない)に現れた男が、行員らを騙して12名を毒殺し、現金と小切手を奪った銀行強盗殺人事件。
松川事件、1949年
三鷹(国鉄三鷹駅)事件、1949年(昭和24年)7月15日
下山国鉄総裁轢死事件、1949年(昭和24年)7月5日
 日本が連合国の占領下にあった1949年(昭和24年)7月5日朝、国鉄総裁・下山定則が出勤途中に失踪、翌7月6日未明に轢死体で発見された事件。
 一連の国鉄関連事件を受けまたGHQの左翼運動抑圧方針貫徹のため、当時澎湃として起こりつつあった日本でただ一度のゼネストの機会(俗に2.1ゼネストと呼ばれる)は何故か回避され、急進的な左翼運動は沈静化していった。
伊勢湾台風、1959年
 1959年(昭和34年)9月26日(土曜日)に潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心にほぼ全国にわたって膨大な死者と甚大な被害をもたらした台風である
洞爺丸事故(1954年(昭和29年)9月26日)
 この事件をベースに水上勉が書いた小説が『飢餓海峡』であり、直ちに東映により映画化された。
★ 三河島事故(1962年(昭和37年)5月3日)
三河島事故(1962年(昭和37年)5月3日)
後に分かったことであるが運転手は殆ど心神耗弱(しんしんこうじゃく)状態であったという。
60年安保改定=安保闘争
されど我らが日々
 国会突入時の混乱で東大教授の娘であった樺美智子さんが圧死した。東大からの参加者の1人であった柴田翔が「戦後」を懐古して書いた小説「されど我らが日々」は芥川賞を受賞した。後年、本小説は「されど我らが日々ー別れの詩」として東宝により映画化された。
安保闘争後の虚脱感を歌ったとされる「アカシヤの雨がやむとき」が大ヒットした。

 
吉展ちゃん誘拐殺人事件
 特異な犯人を巡る警察捜査がこれ以後「劇場型犯罪」と呼ばれるようになった社会問題として提起された。
大久保清(連続婦女暴行・殺人)事件

などその衝撃の軽重と関係性(関係者が生活範囲内にいたかどうか)はまちまちだろう。

(とりあえず、この項終了:館長)

高村 薫『我らが少女A』5. 合田雄一郎の人物像

 犯人役ではないのでプロフィールという言葉は使わないが、高村がデビュー以来主人公として登場させている合田という人物には(注:小説は三人称単数形)作者自身の「思い入れ」が強く反映されていると思う。わたしより5年も後輩なのに、全共闘世代の心象を持つ主人公像を設定したことには共感を持つ
 現代推理ものでは通常「神の目」的な文体は敬遠されるが、新聞小説という枠組みでは読者の理解を妨げないよう、興味を持続させることが重要なので、いわゆる「その時のXXにとっては予想が及ばない事であった」式の叙述(注)も、「主人公及び話者の回想(現在と過去の時間を対比させる)という形」を強調することで巧みに糊塗されている。ただ単行本として上梓する際には小さな瑕疵ともなる。なお推理小説の古典であり真髄とも言えるポーの『モルグ街の殺人』は物語自体が推理の構造そのものである」傑作である。高村は「本格」や「純文学」を目指してはいないので「了」とすべきであろう。
☆ マークスの山 

Daily Motionから(合田役は中井貴一)
予告

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☆ レディ・ジョーカー
予告編

本編はWowwowオンデマンドでどうぞ
レディ・ジョーカー

合田が登場しない作品には『黄金を抱いて飛べ』などがある。
☆黄金を抱いて跳べ
日本推理サスペンス大賞を受賞したベストセラー作家・高村薫の最高峰ミステリーが、井筒和幸監督のもと豪華キャストでついに映画化。
“黄金"に人生を賭けた男たちを描くフィルム・ノワールの傑作が誕生!!
☆原作は『マークスの山』『レディ・ジョーカー』などで知られるベストセラー作家・高村薫のデビュー作である『黄金を抱いて翔べ』。小説に惚れ込んだ井筒監督によってついに映画化。
【ストーリー】
過激派や犯罪者相手の調達屋をしている幸田は、大学時代の友人・北川から、大阪市の住田銀行本店地下にあるという240億円相当の金塊強奪計画をもちかけられる。
北川が幸田とともにメンバーに選んだのは、システムエンジニアの野田、爆破工作のエキスパートで元・国家スパイの裏の顔を持つモモ、北川の弟・春樹、元・エレベーター技師でチームの相談役でもあるジイちゃん。
だが、計画が進むにつれて彼らの周囲で謎の事件が次々と発生。次第に見え始める彼らの過去、裏切り、陰謀…。それぞれの思惑が交錯するなか、計画は思いもよらぬ方向へと進んでゆく。
大阪の街を舞台に繰り広げられる、想像を超えた命賭けの金塊強奪作戦。大胆不敵な計画の裏に隠された<衝撃の真実>とは―。
ok.ruから
黄金を抱いて跳べ

 この作品では主人公は幸田となっているが、洋画探偵的には合田役としてベストだった(惜しくも還らぬ人となった)のは渡 哲也だ。

注:今回読んでいて「おや?」と思ったことの1つは本作の文体が「メグレ警視シリーズ」で有名なベルギー生まれの作家ジョルジュ・シムノンの『汽車を見送る男』に似ている事である。この点は後に言及する(かも知れない:館長)