映画探偵室 -22ページ目

高村 薫『我らが少女A』4. 時間/場所の重なりとズレ(その2)


上掲はターナー作の『雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道』。合田は事件の場所である野川公園一帯を見渡した際の印象を「ターナーの絵のようだ」と言った。武蔵境駅を始点とする西武鉄道是政線をグレート・ウェスタン鉄道と見立てたのだろうか?
Wikipedia: 三億円事件
事件発生当時、本作品の舞台となった武蔵境/東小金井周辺の大学(生)は、ICUを始めとして東京農工大学、亜細亜大学、日本獣医畜産大学、東京学芸大学、電気通信大学などがすべてローラー作戦と呼ばれた前述の檻捜査の対象となった
 また本作品中の地図は事件当時のものとされ、此処に含まれている東京外国語大学や警察大学、そして調布の味の素スタジアムはまだ設立/移転されていなかった。さらにICUの敷地内(公園の隣接地)にあったアメリカン・スクールは物語に関係ないとみなしてか特段の言及はされていない。
 高村が在学時代、この物語の中心をなし、事件現場となる野川公園周辺に高村が「土地勘」を持っていた気配はない。Interviewでも答えているように高村は総じて孤独を好む勉学中心の真面目な女子寮生であったようだ。私達の時代では、登場人物の出身校とされた東中学から、南方向には人見街道まで、東方向には天文台通りまでの全体(ただし、やはり天文台通りに面していた富士重工を除く:注)がICUの敷地であり、入学当時の大学案内には「(東京大学を凌ぐ)広大な敷地内には小川も流れ、牧場もあり、首都圏では珍しい18ホールを備えたゴルフコースもある」とあった。
注:ICUの敷地は戦前、富士重工の前身である中島飛行機が占有していた場所で、大学本館はその中島飛行機のエンジン設計部を擁する大理石建造物である。
Wikipedia: 中島飛行機

(行きつ戻りつ、続く)

高村 薫『我らが少女A』3. 時間/場所の重なりとズレ(その1)

『我らが少女A』は完全なフィクションであり、モデルとなった実際の事件は存在しないし、登場人物にもモデルはない。また小説の現在(発表時)と事件の発生時に12年という間隔を置いている。高村 薫個人の時間では卒業が1975年なので、フィクション上の事件発生時(1995年)は卒業後20年という事になる。
 私の個人的な「関わり」で言えば、物語の舞台である武蔵野の一画は大学生時代から1980年代ぐらいまでに様々な面で重要な場所であった。私と高村 薫との間に「熱心な読者である」という以外の<接点>は「同じ場所を共有した、大学の後輩にあたる」ことだけ。
Wikipedia: 国際基督教大学(ICU)
国際基督教大学(ICU)ホームページ
☆ ICU同窓会ホームページ ー INTERVIEWS
    第3回 高村 薫、作家
 
 これらのズレは私にとっては。高村薫は5年後輩にあたるので、私の記憶にある大学周辺の景色はかなり異なる。というのは、高村薫が入学して来た年は、大学にとっては「大変動」の時期つまり全共闘世代による学園紛争から脱却し、景色が一変した時期だったからである。そして、私の在学中に発生したのがこの場所から少しだけズレた(隣接した)府中で発生した「三億円(強奪)事件」だったからである。当時の私も、小説中に頻出する警察用語「檻」の中に入っていた。
注:檻(かん) 警察・裁判用語で事件周辺の人物相関図を指す。時系列ごとの各点を結ぶダイヤグラムと併用される。
 
(続く)

高村 薫『我らが少女A』2. 透明水彩絵の具の重なり

高村 薫の『我らが少女A』を読み、読後感を書こうと思い立ってから一ヶ月以上経った。なかなか思うように進まないのは、本作の初出が「新聞小説」の形であったことと、小説の舞台が作者高村 薫と私に共通の場所であったためだ。「直木賞受賞作家或いは人気作家の高村 薫が「新聞小説」を書いた」ということの意味合いは<時間をまたいで>恰もこの小説の鍵となっている水彩絵の具のような重なりと拡がりをもっている...
  
   
主人公である刑事の合田が「どうしても分からない」と感じてしまう原因には合田が老年に差し掛かった男性である事情が大である以上、作者と同性の読者による感想に私は引き寄せられる。前回紹介したneputaさんのブログを是非再読してみていただきたい。
人々の記憶の片々が織りなす物語の結晶
neputa note: 高村 薫の「我らが少女A」
~現実を飛び越えてしまった警察ミステリの傑作~
「小説の醍醐味」の1つはneputaさんがサブタイトルで表したように「人々の記憶の片々が織りなす物語の結晶」であり、この「人々」の中に読者もまた入っているということである。
 本作は新聞に連載された当時は挿画付きではなかったので、当然色調はモノクロだった。単行本化に伴って刊行された<挿画集>はあるが、その殆どもモノクロである ー それらのシーンに色を乗せるのは読者、という趣向かも知れない。