シャオメイの正体とこの物語における読者の重要性 EDENSZEROの結末予想 | ルーメン・イストワール

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EDENS ZERO/Mashima HERO'S/FAIRY TAIL/RAVE

概要


現在絶賛最終章真っ只中のEDENSZERO

今シキ達はマザーがいると思われる未開の宇宙に来て、エデンズワン勢力と戦っている。

最新話ではエデンズワン勢力との戦いが始まってから初めてシャオメイが登場した。

シャオメイはマザーと話をしており「ルナ」というもう一つの名だと思うものが判明する興味深い新事実。

以前、シャオメイは「この力と引き換えにマザーの場所に関する記憶とそれを知る権限を失った」と言っていた。

しかし最新話ではごく当たり前のようにマザーの前で会話をしている。

これはどういうことなのか。「ルナ」という別名が意味するものとは。

今回はいくつか新事実が判明したシャオメイについて考えてみる。


シャオメイ

まずはシャオメイについて簡単におさらい。

  • この物語の語り部
  • その正体は「桜宇宙伝説の占い師」
  • 「時詠み」の力で銀河の全てを知っている
  • かつてマザーに会い「時詠み」の力を手に入れた
  • それと引き換えにマザーの場所に関する記憶とそれを知る権限を失う
  • 時の惑星ミルディアンにいる
簡単に…だけど、こんなところかな。

マザーと話している

まず驚いたのが、マザーと話している点
マザーがついに出てきた時点で驚きだが、なんと物語の語り部シャオメイと会話していた。
「エデンズゼロの爆発まであと7分…まあ…彼等なら切り抜けられるでしょう…それとも宇宙のチリとなってしまう運命でしょうか」といういつもの語り口調にマザーが「いいえ…彼等はきっとここに来ます 私は信じているのです 彼等こそこの宇宙を救う英雄となる事を」と反応していた。
マザーは昔桜宇宙の外に出た冒険者が偶然見つけたという話以外全く情報がない未知の存在。
当然そのすぐ側に人類がいるわけないと思うけど、シャオメイは近くにいた。
しかもシャオメイは宇宙空間でマザーと対話している。
この宇宙空間は、シャオメイがこの物語を語っている惑星ミルディアンの知識の宮殿内だと思われた。
しかしマザーがいた事でこの宇宙空間が何なのか分からなくなった。
本物の宇宙空間ならシャオメイが活動する事はできるのか?そもそもシャオメイはマザーの場所に関する記憶とそれを知る権限を失ったと言っていたのにマザーの前に来る事ができてる不可解。
考えられるとしたら…
  • 知識の宮殿にマザーの思念が来ている?
  • 知識の宮殿はマザーと繋がっている?
  • マザーの正体こそ惑星ミルディアン?
  • マザーがいるのは惑星ミルディアン?
マザーの場所を知る権限を失ったという話はマザーとの接触が不可能になったという意味だと思っていた。
この発言は上記のどの可能性でも矛盾する。
あり得るとしたら、シャオメイはこの瞬間マザーと会話した記憶を失う?
この時マザーはシャオメイに感謝を伝えると共に何かをしたけど、本人はそれを認識できない?

ルナ

そしてシャオメイの別名が「ルナ」だと明かされた。
マザーはゆっくり目を見開き「ここまで彼等を導いてくれたありがとう ルナ」と感謝の言葉を伝えている。

これにシャオメイは「マザー…この世界では私…シャオメイと名乗ってますの」と返答していて、おそらくこの「ルナ」とは「この世界じゃない別の場所で名乗ってるシャオメイの別名」だと思われる。
「この世界ではこう名乗ってる」と言うからには、逆説的に「この世界じゃない場所では違う名がある」という事だと思うから。
シャオメイが訂正した時、マザーが言った言葉が「ルナ」。
これがシャオメイの別名。もしかすると正式な本名だろうか。
この世界で違う名を名乗っているのは役割が違うから?
この世界では物語の語り部を名乗っているけど、元々いた世界ではそうじゃなかったから違う名なのか。
そう考えるとシャオメイの元々いた世界は「物語の外側」?四季大宇宙の外?マザーのいる未開の宇宙?
「ルナ」とは、ラテン語で「月」を意味する言葉。
特別宇宙世界観を象徴としたような名前で何か特別な意味が込められていそう。
ちょうど最近の話から未開の宇宙は現実世界のこの宇宙で、マザーの正体は地球なんじゃないかと考えているんだけど、もしかしたらシャオメイの正体は「月」…?
今も常に地球と共に存在してるお月様。
マザー=地球なら何かが起こって人の姿を得たのだと思うけど、同様の現象が月にも起きシャオメイになったんだろうか。
自分はこの現象こそ「星のオーバードライブ」なのではないかと考えている。
オーバードライブの特徴は姿が変わる事なので、マザーとシャオメイはエーテルが臨界点を超え人の姿を得た?
マザーと今話せてるこの状況も、かつては地球と月の関係だったなら旧知の中である関係性にも説明がつきそう
シャオメイはごく当たり前のようにマザーと話していたけど、それはずっと昔からの近しい間柄だったからなのかな。
色々不可解な点はあるけど、地球と月の関係なら今回の会話も自然に見えてくる。

シャオメイが導いてたきたもの

「ここまで導いてくれたありがとう ルナ」と感謝するマザー。
マザーの言う「彼等」とは、直前で言った「この宇宙を救う英雄となる彼等」だと思う。
「私は信じているのです 彼等こそこの宇宙を救う英雄となる事を」と言った発言。
素直に読めば、これはシキ達の事を指す。
しかし、それだと少し引っかかる部分もあった。
言う程シャオメイはシキ達を導いてきたか??と。
シャオメイがシキ達を導いてきた時なんて、ミルディアンでヴァルキリーの居場所を教えたぐらいだと思う。
それ以降シャオメイはシキ達に接触していない。
「導いた」と言える程何かしたように思えない。
そこで一つ突飛な発想が思い浮かんだ。
シャオメイが導いてきた存在とは、この物語をここまで読んできた読者の事ではないのか??
読者であれば、間違いなく物語の語り部であるシャオメイが導いてきたと言える。
シャオメイがこの物語に与えてきた影響は間違いなく読み手をこの世界に誘う事。
それを指してるならしっくりくる。
しかし、読み手なんて存在本来物語の世界に存在しない。
エデンズゼロが爆発しようが死なないし、マザーの元に行く事もできないし、この宇宙を救う事もできない。
あり得ない視点かもしれないけど、そもそも「物語の語り部」なんてメタ的な存在がいる事がEDENSZEROは異質で、その意味を見出すと読者という存在もこの物語を成立する上で重要な要素になってくるんじゃないかと思う。
元々こういう発想は以前からあった。
シャオメイは最初期から登場していて、何故物語の語り部なんて存在がいるのかはずっと考えてきた。
何となく抱いていたイメージがこの解釈なら繋がると思う。

架空の世界と現実の世界が繋がり始めている。

前述の通り、最近の話から自分は未開の宇宙=現実世界の宇宙でマザー=地球だと考えていて、そういう意味で完全に架空の世界でしかないと思ってたものが少しずつ現実と繋がり始めている
もし未開の宇宙=現実世界の宇宙なら、シキ達は既にこの次元に来ていて、であるなら読み手だってあの世界に何らかの影響を及ぼす事もできるんじゃないだろうか
荒唐無稽な発想かもしれないけど、そもそも本来あり得ない事態に発展しつつあるので、こういう視点で見ても良いんじゃないかと。

世界に干渉はできない

とは言っても引っかかるのは、その彼等はエデンズゼロの爆発を乗り越えてマザーの元に来ると信じてるような言い方をしているところ。
読者はエデンズゼロが爆発してもどうもならない。
宇宙のチリにはならないし、もっと言えばマザーの元に行く事なんて不可能。
だってあの世界で生きていないんだから。
しかし、こういう解釈もできる。
EDENSZEROはシキの物語である以上、エデンズゼロが爆発したらシキ視点の物語が終わる事で読者もマザーに到達できない読み手も物語を読む事であの世界を旅しているようなものなのではないかと
元々自分自身こういう感覚で話を読んでるところがあるんだけど、この解釈は無理やりな見方でもないかなと思う。
何故そう言えるかは、読者があの世界に与える影響に関わってくる。

この物語における読み手

読者の存在がこの物語、あの世界に与える事ができる影響とは何か。
それは「どういう読み方をするのか」かな。
あの世界で起こる出来事に干渉する事はできないし、描写や展開も変えられない。
物語は誰にとっても不変で同じものしかない。
しかし、その読み方だけは人それぞれなのではないかと。
例えばどのキャラクターが好きかでも思い入れが変わってくるし、展開や話の好みでも受け取り方が変わってくる。
事実を捻じ曲げる事はできない。しかし自分はこうだと思うという見方を胸に抱く事はできる。
要は「解釈」がこの物語の結末を彩るのではないかと。
デジタリス編が終わった時、シャオメイはこんな事を言っていた。
「みなさんデジタリス編はいかがでしたか?『このお話はいじわる』なんて言ったから身構えてしまったかしら?え?どこがいじわるだったかって?そうですね…人によって様々な感じ方があるものですわ」

おそらくデジタリス編におけるいじわるな要素は、アバターを使ってる事で本人じゃない可能性もあるというトリック。
これによってシキ達はアミラの潜入を気づかなかった。
しかし、アミラはそもそも現実世界でも他人に化ける事はできるので、別にデジタリス編だからこその意地悪さではなかった気がする。
その為、自分も「いじわるって言う程?」と違和感を感じている方だけど、シャオメイの方もそれに対して「人によって様々な感じ方があるものですわ」と様々な物の見方を受け入れていた
これを読んだ時、自分は真島先生でも自らの物語の完璧じゃない部分にも自覚的なのだなと思って、では何故あんな状況にしたのだろうと妙に印象に残った言葉。
真島先生は「読者にどこかいじわるだったか伝わってない」可能性も視野にあったから、シャオメイにああいう反応をさせたのだと思う。
ああいう触れ方って異例で、シャオメイとは読み手の読み方の多様性を認めてくれてるように感じた
物語をどう読むか、それは読者に委ねられているんじゃないかと思う。

解釈で変わる結末

EDENSZEROが最終的にどういう結末に至るのか。
自分は読み方次第で話が変わるエンディングかなと思った。
真島作品で良い前例があるのが、前作『FAIRYTAIL』の第337話『黄金の草原』

この話では未来から来たもう一人のルーシィの魂が消えていき、成仏したのか、元通りになった幸せな世界に帰ったのか、どちらにも見える結末になっていた。
最近その答えが直接示されたのだけど、それでも基本的に読者の見方に委ねた結末。
EDENSZEROにおける結末もそういうものになるんじゃないだろうか。
同じような事を過去の記事でも書いた事がある。
EDENSZEROを最後まで読み終えた時、読者にとって唯一無二の特別な物語になる仕掛けがあるんじゃないかと
それは能動的読書体験と言えそうな世界への没入の仕方で、結末を読者次第で変えられるのではないかと思った
具体的に言うなら、この状態を宇宙は救われたと考えるか壊れたと考えるか…みたいな。
マザーは「私は信じているのです 彼等こそこの宇宙を救う英雄となる事を」と言っていて、これもある種の前フリのように感じていた。
初期から仄めかされているシキが魔王になるのか英雄になるのかの未来。
これは見方次第で変わるのかもしれない。

マザーが初めて出てきた時言っていたのは「さあ冒険の始まりよ あなたの足で進むのです」
マザーは自分の足で歩む事を強調していて、何故1番に強調して言った言葉がこれなのかどういう意味を持つメッセージなのかずっと考えてきた。
個人的にEDENSZEROを読み進める意味の一つがこの言葉の真意を知る為だった。
「自分の足で進む」というのはどういう事なのか。ずっと分かってなかった。
もし自分の想像が合っていて、読み方に意味があるなら、自分の辿ってきた旅路が意味のあったものだったと思える。
最後にシキの言葉も引用したい。
外宇宙のファストトラベルリストが全て解除されてる事に気付き「理由は知らねえがジギーのやる事には何か意味があるハズだ」と考えていたシスター。
それにシキはこう言っていた。
「ちゃんと自分自身で冒険しろって事だよ きっと!!」
EDENSZEROがどういう結末を迎えようと「自分自身で冒険する」事は大事なテーマだったと思う。
旅路の果てに何が待っているかシキ達と共に見届けたい。