【青色の星】宇宙の女神マザー=母なる地球説【青き楽園】 | ルーメン・イストワール

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EDENS ZERO/Mashima HERO'S/FAIRY TAIL/RAVE

概要


マザーを目指すシキ達の冒険もついに最終局面。

エデンズゼロはついにマザーがいると思われる宇宙に突入。

ついに正真正銘最後の冒険が幕を開けました。

マザーのいると思われる宇宙の正体に関しても既にいくつか気になるポイントが描かれていて、今回はマザー=地球説について考えてみたい。

これは元々自分の発想というより、X(旧Twitter)で見かけた意見


最初見た時素直に面白いと感じて、考えれば考える程興味深い仮説だった。

今回はマザー=地球説について自分の考えをまとめてみる。


マザー

まずは「マザー」について簡単におさらい。

  • この宇宙のどこかにいる星より大きな女性
  • 何故、何の為に存在するのか分かっていない謎の生命体
  • 昔、桜宇宙の外に出た冒険者が偶然見つけたという話以外全く情報がない
  • いつしか冒険者たちの間で「宇宙の女神」として崇められるようになる
  • 「マザーにたどり着いた者はもう一度生まれる」という伝承がある
  • 「マザーに叶えられない願いはない」と言われている
  • マザーにあった物品として「遺物」と呼ばれるものが宇宙に無数に存在している
  • 理由は不明だが、現在マザーの命は尽きかけている
簡単に…だけど、こんなところかな。

マザーのいる宇宙=現実世界の宇宙説

まずこの考えの発端となるのが、マザーのいる宇宙=現実世界の宇宙説
最近の自分のトレンドであるこの仮説。主な根拠は以下の通り。
  • 「何もない宇宙」だけど「神秘的」という感じ方
  • 海王星らしき星が発見されてる
  • 「宇宙の暗黒時代」という言葉が現実に存在している
  • その地をデフォルメ化したような特徴的な星の外観が描かれていない
  • スペースで「今後他の作家さんがあまりやってないような演出をやる」と発言
  • 過去の対談で「真島作品としては珍しい『メタな展開』も入れる」と発言
加えて、最新話で描写された二万年前の世界は現代的な街並みになっていて、現実に存在する地名が書かれた看板もあった事から、この星は地球なんじゃないか?と考えた。
EDENSZEROの世界には現実の宇宙が存在しており、地球も存在している
それを前提とした発想。

マザーにはかつて人が住んでいた

マザーエーテルを発生させてるマザーの一部「遺物」
葵宇宙のレッドケイブでその存在が明らかになり、以降シキ達はこれをずっと集めてきた。
そのエーテルを完成させ、ついにマザーのいる宇宙に突入。
「いくつもの遺物を見つけマザーエーテルを吸収していけばやがてマザーにたどりつくかもしれない」と言われている。
燭台、ジュースのキャップ、サイコロ、ビル…と遺物の種類は様々。
中にはガラクタのようなものもあり「遺物なんて大層な呼ばれ方をしとるが実際はこんなモンよ マザーにあった物品というだけじゃ」とゼノリスは話していた。
どれも人間が使っていたサイズである事から、魔王四煌星は「マザーには人が住んでいるのか?」「住んでいたのかもね」と考えていた。

その疑惑もマザーの正体が地球であれば解決する。
地球には人間が住んでいるし、となると人間が使っていたサイズのものがあったのも必然。
マザーに人が住んでいた可能性は面白いけど、一方でつまりどういう事なのかイメージできていなかったので、そこもしっくりきた。
地球であれば、人間が自然にマザーに住める。

マザーの見た目

地球と考えて見ると「マザー」の見た目も興味深い。

青色、水色、緑色、岩…まるで地球を擬人化したような姿に見える。
青色の部分が「海」であり、緑が「自然」、岩が「陸地」を示しているかのような。
地球の要素が至るところに感じられる。
基本的に大部分を占める色のイメージは「青色」っぽくなっていて、それもまさに宇宙から見た時の地球を思わせる。

陸地より海の部分の方が多い地球にピッタリ。

地球は「生命の源」「母なる大地」

地球は「生命の源」「母なる大地」というイメージもある。
人間にとっては生命が生きてる事を認識できる唯一の星で、全ての命はこの星で生まれてる。
それは地球に住む人間だから思う事で、宇宙全体としてどうかは分からないけど『EDENSZERO』の世界でも特別な存在になっているんじゃないだろうか。
実際マザーは「生命の源」という表現もされてる。
レイチェルの話を聞いてジンが「何でマザーが力を失うと世界が終わるんだ」と聞くと、レイチェルは「マザーは生命の源だからよ」と答えていた。

「私たち人類は母なる存在マザーから産まれたとされているんよ ゆえにどんな人間にもマザーの一部が流れておるんよ」と言っていた。
他にもジギーの話で、マザーへの道を開く事ができるものとして「母親だけが持つ特別なエーテル"生命創造の力"」の存在も出てきている。
マザー=生命という図式が以前から強調されてる。
地球もまさに「生命」という言葉が何より相応しい星じゃないかな。
同時に地球は「母なる大地」「母なる自然」という呼ばれ方もしている。
「母なる自然」とは、自然の擬人化で、自然が生命を生み育む事を「母」の形で具現化したもの。
英語で「Mother Earth(マザー・アース)」という言葉もあるらしい。
「マザー」と「地球」を直接結びつける概念が存在している。

残された時間が少ない

最新話のラストで魔王四煌星似の女性が出てきた二万年前の世界。
そこでハーミット似の女性は「星が悲鳴を上げてる 残された時間は少ない…」とどこかに向かって走っていた。

この二万年前の世界が地球だとするなら、まるで地球が近い将来滅ぶかのような緊迫した事態になっている
これも地球をマザーだと考えたら、四季大宇宙の現状と一致する。
レイチェルは人類を救う為に教えなきゃいけない宇宙の現状としてこう話していた。
「マザーの命はもうすぐ尽きるんよ」

「マザーの生命力が尽き全宇宙の人類は滅亡を迎える 遠くない未来に…この世界は終わる…」と言い、その原因については「理由は分からん だがその事実はどの世界へ行っても変わらぬ」と話していた。
現代で命が尽きかけているマザー二万年前の世界で残された時間の少ないこの星(地球)
これらがイコールで繋がるのではないかと。

青き楽園=青色の星

地球は「青色の星」とも呼ばれれいる。
それは宇宙から見た地球の姿から。
1番青色の占める割合が多く、光の反射した光景は綺麗な青を映し出す。
地球には「海」が多いからで、その為の光景。
宇宙視点で見ると「青」という言葉が1番似合う星
マザーにおいても「青」と関連付ける言葉が作中に出てきている。
それは、1巻のラスト二人の機械生命体が男女2名の遺体(後にシキとレベッカと判明)を発見した時。
機械生命体は手を合わせ「マザーよ…この者たちの魂を…青き楽園へ導きたまえ」と祈りを捧げていた。

ここで出てきた「青き楽園」という言葉。
マザーが魂を導きし場所かのように出てきて、初期はこの「青き楽園」と呼ばれる場所にマザーがいるのではないかと考えていた。

これも今回の発想を踏まえると、この青き楽園こそ「青色の星」を示しているのではないだろうか。
人類が生存していて、生を謳歌している地球は二万年後の惑星エデンの機械生命体からしたら「楽園」という見方もできる。
「青」という言葉を持つ二つの要素が自然に繋がる。

ここまでがマザーと地球を結びつける要素。
次は実際どういう事なのか、であるなら今後どんな事が起こりそうなのか考えてみたい。

マザーはオーバードライブし姿を変えた地球説

二万年前の世界で「星が悲鳴を上げてる 残された時間は少ない…」とどこかに向かって走っているハーミット似の女性。
この星の危機を救おうと動いていると自分は考えている。
ではこの星に訪れようとしている危機とは何なのか。
前の記事で書いたのだけど、これは「星のオーバードライブ」ではないかと思う。

古くは楓宇宙編の時に浮かんだ発想で、シキが見た記憶の中でハーミットとキラーが知り合いだったかのような過去があった。
そこで「万物に流れるエーテルという力」の話をしていて、キラーはハーミットに「この石のエーテルも臨界点に達したらオーバードライブできると思う?」と聞いた。
これに対してハーミットは「理論的には可能だと思います」と答え「山であっても海であってもこの星であってもエーテルが臨界点に達したらオーバードライブできると思いますよ」と返答。

そこで途切れたこの話。この描写は基本的にはハーミットとキラーがかつて知り合いだった事を示唆する意味だと思っているけど、にしては意味深過ぎる話をしてるのが引っかかっていた。
そんな話を差し込む意味ある?と。
だから当時から今後オーバードライブする星でも出てくる前フリじゃないかと考えていて、それが二万年前の世界にある地球なんじゃないだろうか。
「オーバードライブ」とは、エーテルの臨界点を超えた時に起こる現象。
その特徴としてドラッケンが「本当のオーバードライブはエーテル臨界点を突破させる事で体を形成してるエーテルに変化が起こる」と説明していた。

つまり「姿」を変える
星がオーバードライブした場合は、地形そのものに変化を与えるんじゃないかと思う。
とすると、星が人の姿をした何かに変化するのもあり得るんじゃないだろうか。

地球から想像されたものが「マザー」として広まっている説

もう一つ思い浮かんだのは、少々難しいけどロマンのある仮説。
シキ達四季大宇宙にいる人々が「マザー」だと思い込んでるものは、地球を見た人が伝承として残したものが代々引き継がれ、二万年の時間をかけて擬人化した可能性
物語初期から引っかかっていた流星の灯にある「マザーのホログラム」
昔桜宇宙の外に出た冒険者が偶然見つけたという話以外全く情報がないのに、こんなに精巧なホログラムをどうやって作ったのだろうと
そんなの不可能じゃないか?と感じていた。
当時考えていたのが、そのマザーを見つけた情報を唯一残した冒険者がレベッカと同じ冒険者だった説。
であるなら「動画」として記録を保存しておけたんじゃないかと思った。
しかし、今回考えたのはあの「マザー」と思われている女性の姿はマザー本人じゃないという可能性。
四季大宇宙を生きてる人が何の違和感も持たずごく自然にあれを「マザー」と受け入れている。誰も本物なんて見た事ないのに。
もしかしたらあれこそミスリードでマザーは人の姿なんてしてないんじゃないかと。
ローマ神話に「母なる大地」を意味する言葉として「テラ・マーテル」という女神が存在します。
「テルース」「テラ」とも呼ばれていて、ラテン語で「大地」を意味する言葉で、近代ラテン語では「地球」も意味しています。
まさに地球の別名と言える大地の女神が現実の神話にも存在している。
これのように、言わば最初は「地球」だったものが、いつしか「人の形をした存在」として四季大宇宙を生きる人々に伝わったのではないでしょうか。

「この宇宙のどこかにいる星ぐらい大きな存在」「生命の象徴」「青や緑を基調としている」…そういったイメージで人の姿をしたマザーのイメージが生まれた。
即ち本来は違ったものを誤って認識していると。
シキ達はマザーエーテルが示した先で「地球」を発見し「あれがマザー…?」と反応するんでしょうか。
読者も含め人型のあの姿で想像していたら、いざ出てきたのは星の姿。
衝撃と共に読者だけがその真実を理解する瞬間になるかもしれません。

作中に姿を現してるマザー

とは言っても、上記の説を否定するのは、ホログラムじゃなくマザーが人の姿として出てきているところ。
2話の冒頭で「さあ冒険の始まりよ あなたの足で進むのです」と言って出てきたり、レッドケイブでもシキはマザーエーテルからマザーの姿を感じ取っています。
どちらもホログラムのマザーと同じ姿をしていた。
実は人の姿をしたマザーはミスリードで真実と異なっているというのは面白いけど、否定できる根拠もある。
その軸で無理やり考えるなら、あれは四季大宇宙の人々が想像するマザーのイメージが概念として実体化された…とかかなぁ…。
まさにマザーエーテルから感じたマザーなんかは人々の想像が姿を持ったと解釈できなくもない。
そもそもマザーエーテルからマザーを感じる事自体オカルト的な現象なので、本来見るはずだったものと異なるものを認識した…とかそういう事情。
2話冒頭で出てきたマザーは、シキ達が視認したわけじゃないというのも重要かもしれない。
読者も1話を読んでこの漫画は宇宙を冒険するスペースファンタジーだと分かり、ああいった宇宙の神秘も存在すると認識した。
「マザー」という巨大な女性がいるのだろうと思った。
だからこそああいった冒険の開幕を観測した。
あれは「嘘」じゃないけど「演出」ではあった…という考え方。
地球にも「心」があり、シキの冒険の始まりを感じ取ったが、本来はマザーの姿なんてしていなかった…みたいな。

もしそうなら今後どうなるか

今後のマザーを目指す冒険の最終局面もどんな話になるか考えてみたい。
今回考えた事を参考にすると引っかかるのは、二万年前の時点で「地球(マザー)に残された時間が少ない」と考えられていたのに、二万年時間が経った現在でもマザーは存在している事。
ハーミット似の女性の見立てが間違っていたのか、もっと大きな尺度でいつか終わりが来る事を察して表現したのか。
どちらも考え難いので、自分が考えたのは二万年前の世界で訪れる地球の終焉と現代で訪れるマザーの終焉はリンクして進行している可能性。
二万年前で地球が滅んだ時、現代でマザーも滅ぶのではないか。
時代が違うのに、同時に物事が進行するなんて事ある?
これには以前から考えていたあるイメージと繋がった。
シキ達は海王星と思わしき星を発見し、現実の宇宙でマザーを目指していると考えている。
もし既に地球が滅んでいるならどんな話になるのだろう。
せっかく面白いシチュエーションなのに、既に滅んでいる事で地球を見れないのは物語の面白さとして勿体無くないかな?と。
どうせなら実際に自分達のいる地球がシキ達の物語に出てきてほしい。
まさかの現実世界とEDENSZEROの世界が繋がっていたという感動を強く味わいたい。
そこで考えたのが、シキ達はマザーのいる宇宙に来た時、二万年前の地球が滅ぶ時代に飛んだんじゃないだろうか。
そうだとしたら、今からシキ達にはマザー(地球)を救えるチャンスが与えられる
過ぎ去った時間を取り戻すリベンジ。
具体的にどういう現象が起きているのかというと、二万年前に存在していたこの宇宙はマザー(地球)が滅ぶ時間を永遠にループしているんじゃないか。
漫画『D.Gray-man』に、一週間だったか1日だったかをずっと繰り返してる町が出てきた。ああいうイメージ。
マザーの不思議な加護によるものなのか、地球は終末の時を繰り返している。
それを唯一解決できるのが、外の世界から来たマザーを目指す冒険者。
かつてジギーもマザーを救おうと挑戦したが、失敗したんじゃないだろうか。
そこで魔王四煌星のみ救出し、シキを連れ帰った。
挑戦権が「1度」だけだとしたら、自分で再チャレンジせずシキを育てる判断をした理由も分かる。
それをエデンズワンは阻止しに来ると思うし、エデンズゼロ最後の戦いとは「かつてジギーが辿り着けなかった新たな歴史に進む」事なのかもしれない。
それは「二万年」というレベルで全てを再構築する。
それがクリアされた時、元人間である魔王四煌星は誕生しないのか、地球で生まれた赤子のシキは桜宇宙に来ず物語は「0」として消えるかもしれない。
そういう意味で物語に相応しい切ない結末も見れそう。

以上、マザー=地球説について考えてみました。
最初に言った通り発案は自分じゃないんだけど、本当に考えれば考えるほど面白い…!!
二万年前に地球が滅んだなら今現在マザーが消滅せず人類も生存してる矛盾はどう説明するの?とまだ未解決の部分もあるんだけど、そこは最初期にシャオメイが言っていた言葉が何らかのイメージに繋がらないかなと期待してる。
「前回…お話が二万年後に飛んだ?大した意味はありませんわ そう…この物語において…"時"はあまり意味を持ちませんの」
良くも悪くも"時"があまり意味を持たないこの物語。
その最終章でこの言葉が真の意味で回収されないだろうか。