ボディーワーカーとして最初に徹底的に学んだことを、いまもう一度確かめているお話。その5。 | ボディーワーカー小笠原和葉オフィシャルブログ

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ココロとカラダに安心を再教育していく『プレゼンス・ブレイクスルー・メソッド』を主宰、また横浜市都筑区、緑と光があふれるボディーワークスペース『BodySanctury(ボディ・サンクチュアリ)』でクラニオをベースとしたオリジナルのボディーワークを施術しています。

長い連載だ!
だらだら書いてるので長期連載風になっている・・。


それはさておき5を書きましょう。


自分が感じていること、の世界に
静かに降りていく作業。


それは、ボディーワーカーが最初に
まず自らの体をもって
訓練されることです。


や、やっとタイトルに近付いてきた!5回目にして!


わたしは、エサレンでまずそれを訓練されましたが
その後どこに行っても
施術者としてトレーニングを受ける身でありながら
先生たちには
「あなたが何を感じているか」
を大事にされてきました。


というか、そのことを通して
「感じていることを感じるところからスタートする」
ことをトレーニングされ
「それを尊重すること」「尊重していい」
「っていうかむしろそれしかない」ということを
まず自らが経験していくことによって
体に染み込ませていく感じでした。


だから、
エサレンの時も
いつも先生や仲間に甘えたくて
セッション受けたくない、とかいって
ちょっとグズグズしたモードでクラスルームにいつづける人というのがいたし
(↑たいていどこにこひとりやふたりいる、笑。自分も時々なってみたり、笑)


なにか大きなプロセスを経験したり
パターンに出会ったりして
技術の習得より、それと向き合うことをやっているひともいる
(↑たいていどこにこひとりやふたりいる、笑。自分も時々なってみたり、笑)


それは、それこそが大事なことなのだから、それでいいの。


それをすっとばして取得した技術自体に
そんなに意味は無いもの。


だんだんと、仲間も、それに巻き込まれたり
反応的になったりするのではなく
「その人のプロセスを見守る」ことに慣れていって
「では私はどうしたらそのプロセスをサポートできる?」と
問いかけることで関わっていったりするようになる。


それがまた
自分が何かを感じ大事にするという態度を
定着させていく。


そういえば
エサレンのトレーニングの時にもう一つの印象的なことがあってね。


カラダに触れるということは
その人の歴史に触れるということとほとんど同義であるので
(詳しい話はクラニオレベル2で・・)
セッション中に、私のように涙を流す人もいる。


その時、施術者は
慌てたり、とりあえず対処しようとしたりするのではなく
「セッションを続けても大丈夫ですか?」
と問いかける。


シャーは、そこで、
どうしたの?と聞く前に、
ティッシュはいる?と聞いて
マッサージベットの上のクライアントの手に
ティッシュを一枚持たせてあげる、というデモを見せてくれた。


涙を拭くかどうかも、その人が選ぶ。


その先のサポートの仕方は
いろんなやり方があるのだけど
「その人の感じ」を中心に進んでいく。


決して、セッションを穏便に終了させるために
慌てて慰めたりはしない。


ボディーワーカーを
「クライアントが気持ちよくなれるようにサービスする仕事」
と定義したなら、涙を流すクライアントをなんとか
気持ちを落ち着かせ慰めようとするだろう。


でも、プロセスをサポートする人、と定義したなら
こうやって、アクションが変わってくる。


それで、これこそがね
私たちが本当は必要としていて
でもしてもらったことがない関わりのされ方、
なのだと思う。
時には自分にさえも。


自分が感じていることを感じ、
それを大事にしていい、という時間と場所。


トレーニングの半分は、この事なのではないかと思うくらい
徹底的に学んだのがこのこと。


早く書きたいと思っている
先日参加したキャロルのWSでもやはり
「いまどんなふうに感じていますか?」という問いかけを
毎日毎日何度も何度もするし、される。


「ちょっと右足が変な感じがしますね」も
「なんだか心がざわざわします」も
どちらも同じように受け止められる。
感じていること、として。


そしてそれはね、
しっかり感じてあげると
プロセスしていくの。


なんという単純さ!


感じれば、核心に出会って
自分の力でそれはプロセスしていく。


だから、感じることは
怖いことではない。


そこからスタートできて
安全なところに到達できる、そこしかない入口なのだ!



驚くねこれはほんとに。


だから
共に学んだボディーワーカーは
自分が感じることを感じるし、それを大事にする。


さらには、自分が感じることを大事にすることは
他の人と衝突したり、ないがしろにすることとは全く別、
自分を大事にすることと、人を大事にすることが両立する
ということを
肌感覚で知っている人が多いと思う。



例えその1。


クラニオのトレーニング仲間と鎌倉に遊びに行ったことがあった。

まー、普通の人から見たらひどかったと思う、笑

みんな自分が感じることを大事にするからね
そして感性の強い人が多いからね
お寺とか行くとそこここで立ち止まったり具合悪くなったりするわけ^^
あの木に触りに行きたい、とかさ^^
あの石の横で佇んでいたい、とかさ^^

気付くといつも誰かいない、笑

でもまあ、そんなもんでしょ、と思っている。

誰かいないって思ったら、おしゃべりしながら
そこで待っていて
やがて気が済んで合流してきたら
また普通に次のお寺に行って
またそこで同じようなことになって
全然進みゃーしない!爆

でもまあ、いいでしょ、と思っている。

自分が気になったところには、他の人あんまり構わず
自分が感じることに従っていたいだけそこにいる。
(まあ、程度はありますけれどね。その程度がだいぶゆるい。)



例えその2。


あるボディーワーカーさんが
失恋の相談を受けた。
ボディーワーカーらしく、
そうなの、そう感じたんだね、と話を聞いてあげる。

翌日も電話がかかってくる、
また聞いてあげる。

相手の人、毎日毎日電話してくるようになった。

さすがにその人も、へばってきた。

そしてある日、電話の人に伝えた。

「話を聞くことが最初はできていたのだけど
最近それが負担に感じるようになってきた。
話を聞いてあげたいとも思うし
あなたのことを友人として大事に思うけれども
私はいま自分が苦しいと思っているし
それを感じていることを大事にしたいので
もう話を聞いてあげることはできない」
と。


わたしこの話を聞いた時
とてもボディーワーカーらしいなあ!と思った。


ボディーワーカーじゃなくてもあることだし
それがいい、ということではないのだけど
なにしろとても「ボディーワーカーっぽい」。


身体感覚に基づいた率直さ。
自分が感じていることを感じ
それをそのまま伝える素直さ。
でもそれが、相手を大事にしないこととが同じでないことも知っている感じ。


ここで自分を犠牲にして耐えて付き合っちゃうことの
お互いにとっての不毛さを知っているからね。


うまく伝わるだろうか。


自分が感じることを
大事にしていいのである。


そして何を感じているか、は
その人自身がその感じに
耳を澄ましてあげるしかない。


ハートの声、ということもできるだろう。

ハートの声は
とてもオリジナルで
世間の価値基準と比べようもなく
時に支離滅裂で
時に黙らせたくなったり
なかったコトにしたほうが、一見うまくいきそう、
なもののこともある。


でもそれを、自分が聞いてあげなければ
誰が聞いてあげるのだろうか?


だってその声こそが
「あなた自身」
なのだもの。


セラピストのところに行って、
過去生やトラウマをさかのぼらなくても
ひとりでいつでも簡単にできる
「自分を癒す方法」がある。


それが
「自分が感じることを感じる」ということ。


ごめん、もいっこだけ続く。
なぜならすでに長いから!






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