マスメディア報道のメソドロジー

マスメディア報道のメソドロジー

マスメディア報道の論理的誤謬(ごびゅう:logical fallacy)の分析と情報リテラシーの向上をメインのアジェンダに、できる限りココロをなくして記事を書いていきたいと思っています(笑)

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論理的誤謬のメインリスト [演繹と帰納]

演繹的推論における誤謬のサブリスト [不当立論] [不当原理] [不当資料]

帰納的推論における誤謬のサブリスト [不当立論] [不当原理] [不当資料-1] [不当資料-2] [不当資料-3] [不当資料-4]


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TBS夕方の報道番組『Nスタ』で井上貴博アナが、新規陽性者数の悲観報道に終始したコロナ報道の自己批判とコロナ報道の在り方に関する提言を連日にわたって展開しており、その発言をニュースサイトの[スポーツ報知]が連日にわたって報じています。

本稿では、第5波のピークが観測された2021年8月から現在に至るまで、スポーツ報知の記事を参照することで一連の井上アナの発言を分析し、そのドラスティックな変化を検証しました。以下、時系列順に見ていきたいと思います。なお、発言の日付はすべて2021年のものであり、カッコ内の数字はその日に発表された東京都の新規陽性者数を表します。(冒頭写真は『スポーツ報知』記事のスクリーンショット)

08/02(2195)
先週は倍で増えてきましたが、今日もまた増えました。7日間平均も3200人台に乗ってきました。先が見えないというところが心配なところなんですが。

08/05(5042)
緊急事態宣言が機能していないのは明白です。

08/06(4515)
先週の金曜日から1000人強増えました。明日から3連休。その後、お盆に突入するとなると、これからさらに増えるだろうという状況が続いています。

08/11(4200)
新規陽性者は4200人です。陽性者の数だけ見ますと、先週の水曜日とほぼ同じ。重症者は197人と過去最多です。

08/13(5773)
過去最多です。先週の金曜日から1000人以上増えました。陽性率を考えますと、検査をもう少し増やすことができるのであれば、陽性者ももっと多く出てもおかしくないと言うことを専門家が指摘しています。緊急事態宣言の効果が効かなくなりまして、お盆を迎えました。

この時期は、7月28日をピークに報告ベースの実効再生産数(中央7日移動平均)が急速に減少していた時期にあたります。感染者数の「加速度(2階微分)」である実効再生産数が急減しているということは、それを抑止する「力」が継続的に作用していたことになります。「先が見えない」「緊急事態宣言が機能していない」「お盆に突入するとさらに増える」は不安を煽る単なる憶測であり、報道として適切ではありません。



このような時間変動の報道で最も重要なのは、将来予測に有効な「新規陽性者数の増加度合い(実効再生産数)の変化」であり、たとえ微分の知識がなくても義務教育の知識があれば、エピカーヴから増加傾向が鈍くなっている異変に気付くことはできたと考えられます。この程度のことを認識できない日本のテレビが感染状況を妥当に予測する判断能力を持っていないことは明らかです。そんな中、テレビは毎日のように「過去最高」というパワーワードを叫び続け、国民を不安のどん底に陥れました。一度過去最高を記録した波の上昇局面において「過去最高」が続くのは当然のことです。もう一度言いますが、感染状況の将来予測に重要なのは、感染速度(新規陽性者数)の変化の傾向、つまり感染加速度(実効再生産数)の変化です。

08/16(2962)
今週の推移を見ていく上で月から火曜の辺りである程度、頭打ちになるのか。はたまたお盆の結果が来週辺りに出てきますので、陽性率を考えると、まだ増えていくのか、検査との兼ね合いをしっかりと見ていく必要があります。緊急事態宣言から1か月で延長もやむなしとなっています。

08/17(4377)
大変、重要な局面を迎えています。2600人台だったところから、4300人台にまで増えました

08/18(5386)
水曜、木曜日は行政検査の分母も増えますので、陽性者も多く出がちですが、昨日から1000人以上増えました。入院できないという方もふくれ上がっています。自宅療養者をどうケアしていくのかが問題です。

08/19(5534)
様々な計算法はある中で今、東京都の実効再生産数は1.1ほど。そして、陽性率が高いので日々出てくる人数というのは、これからも上がっていくと言われています。先週のお盆の結果が来週あたりに出てきます。8月中は小学校、中学校がお休みですが、9月以降の学校の再開をどうしたらいいのか(の声)も学校長などからポツポツ出始めました。

お盆・正月・連休中は報告数が自ずと少なくなり、連休後に陽性者数が一気に計上されるという現象が起こりますが、マスメディアはその見掛け上の増加だけをことさら強調するので、実効再生産数がわずか1.1と増加がほぼ鈍化した状況であっても、あたかも急上昇したかのようにとりあげて大騒ぎしてきました。この頃の『Nスタ』の報道はまさにその典型ですが、大局的に見れば、実効再生産数は1.7から1.1に急激に下降し、感染は収束に向かっていたのです。これはこの時点よりも2週間前の状況であり、しかもそれより過去約3週間にわたって事態は好転し続けていました。基礎的な知識を持っていないテレビが「緊急事態宣言延長やむ無し」などと決めつける世論を形成することは安易に他なりません。9月から学校が再開すると感染が増加するというのも、予測を外し続けている西浦氏の予測を無批判に盲信したものでした。

08/30(1915)
月曜日で2000人を切るのが7月26日以来ですか。表に出てくる陽性者の数が減っていく。これはいいことです。陽性率が極めて高い状況は続いていますので、陽性者だけを見ていくのは判断を誤ってしまうという見方もあります。

08/31(2909)
先週が4200人台だったので、2000人台まで下がりました。下げているのはいいことです。しかし、夏休みが終わりまして、これから人の流れが増えていった時にどうなっていくのか。もう少し長いスパンで見ていくべきではないかという指摘があるのも事実です。

09/02(3099)
先週が4000人台でしたから、3000台まで減らすことができています。今の実効再生産数が0・82と下がってはきました。一方で今日のモニタリング会議で話されたのは、お盆の期間を過ぎて特に中高年層の人出が増えてきており、その影響が今後出てくるかもしれないと。9月に入り、学校なども再開したことの影響も今後、どう出てくるのかが話されました。

新規陽性者数で散々危機を煽ってきたテレビは、陽性者数が減ってくると、今度は「陽性者だけを見ていくのは判断を誤ってしまう」と言い出しました。会社が一斉に休業した盆明けから人流が増えたにもかかわらず陽性者数は減少し続け、実効再生産数は0.82まで下降しました。完全な下降局面ですが、今度は学校が始まるとしてテレビは危機を煽ったのです。

09/03(2539)
実効再生産数は今、0・82というところ。陽性率は極めて高い。表に出てくる陽性者の人数は12日連続で前週より減らせています。東京都に寄せられる発熱相談件数も少し下がってきました。一方で9月に入って人流はどう見ていくのか。そういったところを総合的に見る必要があるというのが専門家から出されているメッセージです。日々お伝えしていく中で「陽性者が増えても危険だ、減っても危険だと言われる。じゃあ、ずっと危険だと言われるじゃないか。テレビはすぐに危機をあおるようなことはやめた方がいい」というお叱りも受けるんですが…

09/06(968)
本当にメンタルが難しいですね。3ケタになって良かったと思いたい。でも、良かったと口にするのがはばかられる世の中ですし。でも、これは皆さんのご努力の結果が圧倒的に出ている

09/08(1834)
実効再生産数も0・75と下がってはきました。陽性者を減らすことができています。これはテレビの前の皆さんのご努力があってのことと思いますし、前週比も下げることができています。

09/09(1675)
実効再生産数は減っています。様々なデータがありますが、0・72まで減らせています。陽性率をぐっと下げることができた。東京都は特に人流の変化のない中で陽性率を減らすことができています。

09/10(1242)
この2年間、私たちもずっと経験してきて。下がって、ああこれで良かったでなく、下がった時に何ができるのか

人流が増加しているにもかかわらず、実効再生産数が単調減少しているということは、感染を抑制する「力」が7月の五輪開始前から継続して作用していることを意味します。つまり、感染数の変動には人流が関与していないことがわかります。2020年2月から1年半の間、日本国民は専門家とマスメディアが確固たる検証もせずに流し続けた「人流神話」に惑わされて経済活動を不必要に断続的に停止していたのです。

また、感染収束のメカニズムがわかっていないにもかかわらず、感染収束の理由を「テレビの前の皆さんのご努力があってのこと」とするのは、あまりにも安易な【機嫌に訴える論証 appeal to flattery】であり、視聴者を完全に愚弄する行為です。国民は盆以降は自粛をやめ、その結果人流は増えているのです。「皆さんの努力」という根拠のないへつらいは、危機を煽ってきたテレビの不明を隠す卑劣な【論点転換 red herring】に他なりません。

さらにテレビは危機を煽ってきた自らの不明を懺悔することなく「下がってこれで良かったではなく下がった時に何ができるのか」と「私たち」という言葉を主語に使うことで、国民に対して新たな間接的要求を課したのです。

ただし、井上アナの言動はこのあたりを境に大きく変身します。

09/15(1052)
われわれマスコミの報じ方も含めて、人流抑制ばかりにいっていると思考停止に陥ってしまうのが怖い。対策をしっかりと行いながら、ワクチンもありますし、さまざまに総合的にと感じています。

09/16(831)
日本では毎日、検査陽性者数を報じるスタイルになっていますが、海外に目を向けますと、毎日、検査陽性者数を報じることは少なくなってきました。その代わりに重症者や死亡者の人数をお伝えするというスタイル。私たちも切り替えるタイミングというのを模索していく必要はあるだろうと末端の局アナながら感じています

09/17(782)
1000人を切ることができています。1週間前が1200人でした。このようになってくると、さすがに自粛一辺倒の考え方はもう終わりにすべきだと、私個人的には考えています。

09/20(302)
この先必ず来る波に関しては悪い予測のシミュレーションが多く発表されている。その一方で8月から9月にかけての今の大幅な減少をシミュレーションというのは私は見た覚えがありません。また、なぜ下がったのかの要因も今、分かりません。つまり、リスクの判断というのは極めて難しいということ。ゆえに私たちはもっと丁寧にお伝えすべきですし、メディアの責任も重いと感じておりますので、私自身は伝え方を変えていきたいと、そんな気持ちでいます。

09/21(253)
人出一辺倒、自粛一辺倒の報道からの脱却ということで医療体制については日本は人口あたりのベッドの数が世界一。でも、医療従事者の数に限りがあって、民間病院が大半を占めている。そういったところで2年間、病院のベッドが増えていきませんでした。(中略)抜本的に考え方を変えるべきでは

国立感染研のゲノム解析の結果、感染のリバウンドの原因は有力な変異株の出現によることが概ね判明しています。日本の第0波は武漢株、第1波はヨーロッパ株、第2&第3波は日本由来の変異株、第4波は英国由来のアルファ株、第5波はインド由来のデルタ株です。マスメディアは「下げ止まり」なる言葉を使っては安易に恐怖を煽り、リバウンドの発生の要因を緊急事態宣言の解除による「気の緩み」のせいにしてきました。井上アナは自らが信じ切っていたこの不合理な【俗説 popular belief】を疑問視し、【自己批判 self-criticism】を始めたのです。

日本では混同されがちですが、安全の概念には【セキュリティ security】【セーフティ safety】という2つの異なる概念があります。セキュリティとは危険な事象が発生しないよう抑制することを意味し、セーフティとは危険な事象が発生したときにその被害を最小に抑制することを意味します。今回の新型コロナ危機においては、セキュリティ対策とは【外的リスク external risk】としての感染現象を抑制することであり、セーフティ対策とは【内的リスク internal risk】として感染現象が発生した時にその致死率を抑制することを意味します。

多くの日本のニュースショーやワイドショーは、感染メカニズムを把握していなかったにもかかわらず、政府のセキュリティ対策を半狂乱状態で否定し、安倍首相と菅首相の人格を罵ってきたのです。その一方でセーフティ対策のエキストラな実働部隊である医師会の非協力なスタンスをガン無視し、強制力のない政府だけを徹底的に罵ってきました。日本のコロナ危機において、公共の電波を独占するテレビは、妥当な知識を提供することなく、むしろ社会を率先して混乱させる害悪のエピセンターであったのです。

第5波で致死率の劇的な改善について殆ど報道しなかった不作為も常軌を逸するものでした。国民がもっとも恐れるのは死亡リスクであり、この点を明確に説明することなく、新規陽性者数の報道に終始することで危機を煽ったのは悪意としか思えません。



これまでのキャリアで、TBSの【イエロー・ジャーナリズム yellow journalism】とは一線を画してきた井上アナは、けっしてコロナ報道の安易なステレオタイプに染まることはありませんでしたが、制作を行う番組の大方針に逆らうことはできなかったものと考えられ、多かれ少なかれ上記発言に認められるような瑕疵が結果として存在することになったと考えられます。

09/29(267)
今の東京の実効再生産数が0・56。発熱相談件数もかなり減ってきました。800件ほどです。皆さんの対策、努力でここまで激減することができた。いよいよ次は政府、厚生労働省、自治体などが医療を拡大させていく努力が求められていく。(岸田文雄)新総裁にはその辺りが求められるわけです。

09/30(218)
陽性率など含めて激減させることができました。その要因については季節性、ワクチン、後は変異の置き換わりなど指摘されていますが、ここは専門家にしっかりとその要因を分析していただかないと、これから私たちのメディアとしてのメッセージ、分科会としてのメッセージが皆さんにより届き辛くなるということを危惧しています。一つ一つの私たちのメッセージがより問われているな、今こそ、これからはと感じます。

10/01(200)
ここからは政府や自治体が全体を俯瞰した交通整理、コロナ対応の枠組を抜本的に変えるべきだろうと。それが今だろうと言われています。今こそ医療体制を抜本的に変えて、次にまた検査陽性者が増えますから、そこに備えるという時期でしょうか。

10/04(87)
このウイルスに関しては今、重症化を抑えることができれば対応できる病気になりつつある。だからこそ、現在は感染症法2類相当ですが、これがこのままでいいのか、その議論も必要ですし、テレビへの不満が渦巻く今、私たちは反省し、変えていきたい

報道とは裏腹に「政府、厚生労働省、自治体などが医療を拡大させていく努力が求められていく」といった医療提供の責任を叩きやすい政府に100%押し付ける安易な世論形成が医療資源のひっ迫に拍車をかけました。日本で医療資源が逼迫した最大の要因は、自らの経済的なセキュリティ対策のために国民のセーフティ対策に協力しなかった医師会の不作為にあります。医師は免許制であり、医師の生活を守るために医師会が医師数を制限するよう政府に働きかけてきたことが、コロナ患者を診る医師の人手不足を招いた根本的な原因です。メディアはこの医師会の公然の不作為をガン無視したのです。

また、「ここは専門家にしっかりとその要因を分析していただかないと、これから私たちのメディアとしてのメッセージ、分科会としてのメッセージが皆さんにより届き辛くなるということを危惧しています」というのは加害は認めるが責任は認めない【弁解 excuse】に他なりません。テレビは、ネガティヴ評価一辺倒の「専門家」という名の御用コメンテーターばかりをヘビロテで番組出演させ、コロナの危機を煽ってきたと言えます。このような番組が安易に用意した御用コメンテーターに迎合することなく、視聴者の利益のために真実を追求する手助けをすることこそ報道の役割であると考えます。

そういった中での「テレビへの不満が渦巻く今、私たちは反省し、変えていきたい」という井上アナの発言は、視聴者の利益を無視した発信側の都合に基づく番組作りから視聴者本位の番組作りに舵を切る決意の表明であったと考えます。井上アナの「懺悔」は続きます。

10/05(144)
これまで優等生と言われてきたニュージーランドでも今月に入り、ゼロ・コロナ戦略を断念しまして、行動制限を緩和しています。世界的に見ましても行動制限やロックダウンは限界に来ていると言われています。

10/07(143)
激減した一因は皆さんの努力や頑張りですという文脈を私自身使ってきたのですが、この表現を繰り返すと、根性論や気持ちの連鎖になってしまうと。これを断ち切るべきではないかと考えます。今さら遅すぎて恐縮なんですが…

10/08(138)
先週からさらに減っています。これまでもウイルスというのは増殖する過程でコピーミスで変異をすると。その変異した強いものが生き残って増えていくと感染拡大につながる。それがもしかすると、今、そのコピーミスで自らを壊して自滅している可能性があると指摘する研究者が出てきました。この辺りも検証が必要です。

10/13(72)
1400万人都市で考えますと、ゼロに極めて近い人数ということを言っても差し支えないかと思います。8月からの推移を見ても、まさに激減。この激減を予測できていた専門家はいらっしゃらないような気もします。ということはまだまだ分からないことが多いウイルスである。だからこそ、悲観的な予測ばかりに引っ張られることなく、バランスというのがとても重要なんだろうなと、遅ればせながら強く感じています。

10/15(57)
遅過ぎているので恐縮ですが、私たちメディアもマインドチェンジをしていかなければならないと考えています。報じ方を変える。新規陽性確認者、重症者、死者をバランス良く見ていくというのは大前提です。

10/19(36)
専門家の皆さんも驚くような激減。その一方で世界的に言われていることですが、うつ病、不安障害、心の問題を訴える方の報告数が増えていると。これは私自身、メディアの責任というのも大きく感じているところでありまして…。重症化率、致死率は日本では下がり続けています。ワクチンの普及、治療薬が言えてきた。こう言ったところから、今更何を言ってもというところがあるかも知れませんけれども、恐怖、不安ばかりを強調するのは終わりにすべきだろうと僭越ながら、私個人的には感じています。

第5波が終わった後に始めたこの「反省」は、おっしゃるとおり「遅すぎる」と思います。例えば、言論プラットフォーム『アゴラ』では、以上のような議論は2020春の第1波の時点で既に終了していました。

しかしながら、公然たる周知の場である地上波において一つ一つ報道の具体的な問題点をあげて再発防止を宣言する井上アナの自己批判は勇気ある合理的行動と考えます。先述したように、番組には番組の報道方針というものがあり、井上アナはその方針に沿ってチームの一員として報じてきたものと考えられますが、明らかにこの場面では、番組と視聴者のインターフェースとして、コロナ報道の加害と責任を認めて【謝罪 apology】を繰り返しました。少し前までは加害を認めて責任を認めない【弁解 excuse】をしていたのとは大きな違いです。ちなみに多くのニュースショーやワイドショーでは、コロナ報道の批判に対して、いまだに加害も責任も認めない【否定 denial】か責任を認めて加害を認めない【正当化 justification】に終始しているケースが殆どです。

以降、井上アナは、常に後ろ向きで破壊的な議論に終始していた過去とは完全に決別し、前向きで建設的な議論を展開しました。

10/22(26)
ワクチン、抗体カクテルと治療薬も見えてきた中で新型コロナウイルスのことだけ、感染状況だけを気にしていても仕方ありませんし、生きていれば様々なリスクも存在します

10/25(17)
1400万人都市で17人ということは陽性者を見つけること自体が大変な状況になっています。人間の行動に関係なく、ここまで減り続けていますので、ウイルス側に何が起きているのか。この点をぜひ解明、分析していただきたいと思います。

10/26(29)
ワクチン、治療薬、そして重症率も低下している。その中で感染症法の2類相当のままでいいのか。感染状況が劇的に変わっている中で2類相当でいくのか。コロナ治療費は全額公費負担というのは維持しつつ、分類は緩和していくのか。その議論が起きてこないというのもなぜなのか。不思議なところではあります。

10/27(36)
1400万人都市でこの人数ということで限りなくゼロに近づいてきたと言えると思いますが、そろそろ下げ止まるとも考えられます。下げ止まるのはむしろ当然で、ここから先は検査陽性者が増減を繰り返すだろうということが予想されています。その中で今まで以上に重要になるのは重症者の波です。ワクチンが普及しまして、無症状患者も増えています。重症化率も確実に低下します。ゆえに様々な疾患も増えます。その中の一つとしてある新型コロナウイルスの重症化をいかに抑えられるか。これが今まで以上に重要になってくるわけです。

10/28(21)
ウイルスはゼロにはなりませんので、この先、検査陽性者のリバウンドが起きるのは当然のことと言えます。むしろ、専門家の皆さんには今回の激減の要因が何なのか、分析、検証を進めていただきたい。それをきっかけに今後の対策に置いて、大変、重要な意味を持つはずだと考えます。

10/29(24)
最近、下げ止まりという言葉が使われようになりましたが、むしろ、それより下がり切ったという言葉の方が適切ではないのかなと個人的には感じています。

11/01(9)
ウイルスはゼロにはならないので、この後、下がり切った後はいいサイクルになっていますが、増減を繰り返していくのは当然です。ワクチンも7割完了しました。治療薬も普及して、これまでの対策を続けながら、重症者を抑えていく。無症状者も増えていますので、その中で1億2000万人の人口がいる日本で、どのくらいの検査陽性者を許容できる社会をつくっていくのか。許容していくのか。

11/02(18)
もちろん、まだまだ、このウイルスについては分からないことも多く、正解はない。だからこそ、その都度、検証し、修正することが求められているわけですが、政府の専門家組織も検査陽性者や人流のことばかり発信するのではなく、日本がどこを目指すのか、出口はどこにあるのか。ワクチン接種、治療薬で状況は一変しました。冬の疾患が増える中での一つのコロナウイルスをどう位置づけるのか。やはり、大局観を持った見方というのも重要になってくるのではないでしょうか。

11/08(11)
今日発表されました政府の新しい指標でも検査陽性者をこれまで重視していものから医療提供態勢に軸足を移すということですので、この(午後)4時45分きっかりに検査陽性者数を発表するという今のスタイルもいつ終えるタイミング、止めるタイミングにすべきなのかを模索しながら出口を見極めたい、そんな気持ちでいます。

11/11(31)
検査陽性者、今日は31人でした。先週が大体、下がり切った数値と見られていますので、この後は増減を繰り返すというのが、ごくごく自然なことです。

11/12(22)
今週に入って増加とか増えたとかいう見出しも増えてきたんですが、あくまでも1400万人都市でのこの数字というのは、とても低い水準ということが言えます。重症化率、致死率、陽性化率ともにかなり低い水準となってきているということで総合的に判断していくべきなんだろうと思います。ワクチン接種2回目完了者も74%を超えました。

11/16(15)
今日は15人でした。今まで下がり切ったと思っていたところから、また、さらに下がっています。重症化率、致死率、陽性率、いずれも低い水準です。ちなみに1400万人都市の東京で交通事故にあって、ケガをする人が1日に大体100人くらいです。様々な死因で亡くなる方は東京で1日300人ほどと発表されています。生きていく上での病気やリスクというのは新型コロナウイルスだけではありません。様々なものを総合して俯瞰(ふかん)して考えていただければと思います。

11/17(27)
医療従事者の皆さんの力により重症化率、致死率もぐっと低下している。今さらテレビ局の人間が何を言ってもというところがありますし、今さら遅すぎるぞってことなんだと思いますが、ワクチンについては完了者が7割を超えました。抗体カクテルも普及しました。飲み薬の道筋も見えてきた今、新型コロナウイルスだけを特別視するということは、もうやめるべきだと考えています。数ある病気のうちの一つの新型コロナウイルス…

11/18(20)
下がり切ったと思っていたところから、さらに下がっているということ。この先、冬になっていきますので、検査陽性者が増えていったとしても、その中で入院を必要とする方が急増しなければ、医療はひっ迫することはありません。今はワクチンや治療薬によって入院を必要としない方、無症状の方が増えている。重症化率が下がっている中で入院患者の推移がどうなっていくのかも大変、重要なポイントです。

11/19(16)
下がり切っているということで陽性率含め極めて低い水準が続いています。一方、インフルエンザも現状は感染者、全国的にゼロに近い状況が続いています。数あるウイルスや病気とどう付き合っていくのか。後はマスクに関しては屋内では着用すべきというところがありますが、屋外では着ける、着けないは個人の自由。同調圧力がなくなっていくといいのかなということも感じています。

大衆が意思決定にあたってメディアが頻繁に取り上げる情報を過大評価することは【アジェンダセッティング理論 agenda-setting theory】として知られています。日本のコロナ禍は、実際の【パンデミック pandemic】よりも、テレビが無理やり造った「常識」という名の「非常識」が蔓延した【インフォデミック infodemic】がその大半を占めているものと考えられます。危機発生時におけるテレビ報道の在り方は明らかに日本の大問題です。

今後のコロナ報道で重要なのは、新規陽性者数をみだりに強調して報道しない、あるいは報道しても余計なコメントをしないというのが一つの方法かと思います。もちろん、大まかな傾向(トレンド=平均値関数)を一定期間ごとに報じることには価値があり、まん延時に感染リスクを伝えることは報道の当然の役割です。しかしながら、感染メカニズムも不明な中で確信的に悲観的な予測を大声で叫ぶこれまでの報道は有害でしかありません。

これまで多くのニュースショーやワイドショーでは、悲観的な予測であれば、たとえ社会に打撃を与えても責任回避できるというスタンスで、感染リスクを安易に過剰評価する報道を続けてきました。当たれば「言った通り」、外れれば「警告しておいてよかった」と主張できる、自分たちにとってはリスクゼロの報道です。しかしながら、この安易で無責任な報道は、日本経済を徹底的に凍らせた上で見事に破壊してくれました。公共の電波を独占するテレビの報道に求められるのは、このような国民を恐怖のどん底に陥れる安易な視聴率稼ぎではなく、国民の利益のための報道であることは明らかです。そんな中、井上アナの一連の「懺悔」は、国民本位の前向きな合理的提言であり、多くのニュースショーやワイドショーが規範とすべき内容を含んでいると考える次第です。

なお蛇足ですが、TBS『Nスタ』の時間帯、テレビ朝日では小松靖アナがMCを務める『スーパーJチャンネル』を放映しています。多くの評判通り、けっして思考停止に陥ることなく論理的に報道番組を進行する小松アナは日本の報道アナのエースであると考えます。そして今回新たに進化した井上アナは、小松アナに対抗できるTBSで最有力な報道アナであると考えます。繰り返しになりますが、今までテレビで展開されている後ろ向きな議論一辺倒ではなく、前向きな議論を展開するよう報道アナウンサーが公正に報道番組をドライヴィングしていただけるのであれば、テレビ報道も捨てたものではありません。




義務論が飛び交ったCOP26

前回に続き、COP26でも会議参加者の議論は見事に噛み合いませんでした。その一番の要因は、各国の政治家や活動家が自説を主張するための手段として、反証不可能な倫理的価値観である「気候正義 climate justice」を振りかざすなど、前提を持たないアプリオリな【義務論 deontology】を説得の道具とする傾向がいっそう増していることによります。環境活動家の最大のアイコンで【感情に訴える論証 appeal to emotion】の使い手であるグレタ・トゥンベリ氏のアジテーションも相変わらず激しく、今回口にしたのは「もうつべこべ言うな。 No more blah blah blah」でした。

ここで、義務論とは、カントが提唱した倫理規範であり、「自分の意思により、自分の行為が普遍的法則となるよう行為せよ」とするものです。この倫理規範は「もし~ならば~すべきである」「もし~ならば~すべきでない」という形式を持つ【仮言命法 hypothetical imperative】ではなく、無条件に「~すべきである」「~すべきでない」という形式をもつ【定言命法 categorical imperative】という命令に無条件に従うものです。例えば「誰かが困るから嘘をついてはならない」のではなく「嘘はつくべきでないから嘘をついてはならない」のです。つまり義務論は前提のない倫理規範と言えます。

気候変動の問題においては、パリ協定自体が「各国が削減目標を独自に策定してそれを守る」という各国の自主性に委ねるものであり、まさに義務論そのものと言えます。前提のない義務論を否定可能なのは前提のない義務論でしかなく、COP26は義務論が支配する会議となってしまったのです。

欧州を中心とする190の国・企業が「石炭火力からクリーンエネルギーへの移行に関する共同声明 Global Coal to Clean Power Transition Statement」を誓うことで前提となる根拠なしに石炭火力に絶対悪の烙印を押して廃止を迫り、会議の議長国である英国のジョンソン首相も前提となる根拠なしに石炭火力の早期全廃を要求しましたが、最終的にはインドが前提となる根拠なしに「段階的廃止」に反対し、「段階的削減」という表現で合意に至りました。要は義務論を展開する限り、論理が介在する可能性はないのです。

功利主義に基づく気候変動対策

このようにドツボにハマった気候変動対策会議に必要と考えられるのが、前提を持つ倫理規範である【帰結主義 consequentialism】の考え方です。帰結主義とは「行為によって生じる結果を考慮して行為せよ」とするものです。この帰結主義の代表的な考え方の一つが「行為によって生じる幸福を最大化、あるいは不幸を最小化するよう行為せよ」とする【功利主義 utilitarianism】です。ここでは、この功利主義に基づいて気候変動対策を考えてみたいと思います。

功利主義などの帰結主義の議論においては、まず最大化の対象である幸福と最小化の対象である不幸を数量化する必要があります。

人間は【自由 liberty】【幸福の追求 the pursuit of happiness】を行うことで固有の【生命 life】を全うする生物であり、自由な生産活動を通して幸福を得ようとします。その意味では、生産活動によって得られる利益を最大に、生産活動によって失われる損益を最小にすることを目標とするのが妥当です。

気候変動問題において、人間の生産活動によって得られる利益を表す量として、世界各国の【国内総生産 GDP】があります。この量は、けっして十分ではないものの、人類の持続的発展という幸福追求の生産活動への貢献の一次近似となり得る世界共通の【尺度 measure】であると考えられます。

一方、人間の生産活動によって失われる損益を表す量として、人間の生活の場である地球に気候変動をもたらすと推察されている【温室効果ガス排出量 GHG emissions】、とりわけ【CO2排出量 CO2 emissions】があります。ちなみに、このCO2排出量が損益であることは必ずしも科学的に完全に立証されたわけではありませんが、ここでは便宜上これを損益と仮定します。

さて、功利主義は【公平性 fairness】という制約条件の下に【幸福 happiness】という目的関数を最大化させるものです。ここに、国民1人が平均 Pmean という生産量をもつ人口 N 人の国があるとします。この国の幸福の総生産量 S は次式で与えられます。

S = N Pmean

ここで【国民総生産 GDP】Y とすると、

Pmean = Y / N

であり、両式から、

S = N Y / N = Y

となり、対象とする国の幸福の総生産量 S はGDPと一致します。

変動する世界経済において、機会の平等(公正な競争)に基づく経済の公平性を保つためには、各年ごとにGDP(Y)当たりの【CO2排出量 emission】(E)、すなわち【CO2原単位 intensity】E/Y)の許容値(C)を設定して各年の削減目標とするのが妥当です。【CO2削減率 reduction rate】Rは次式で計算されます。

R = ( C Y - E ) / E

このとき各国で得られるCO2排出量の許容値 E(1-R) の世界における総計値が、気候変動に許容できない影響を与えるCO2排出量の値と一致するとき、各国の限界CO2削減率(Rctitical)が逆算によって求められることになります。

なお、留意すべきは、各年におけるGDPに対してCO2削減率を設定することです。国によってGDP成長率が異なるので、現在の「2013年ベースで○○%の削減」という設定方法は公平ではありません。

各国のCO2削減率のシミュレーション

次の表は、2020年においてGDPが1兆ドルを超える国々に対して、GDP、CO2排出量、CO2原単位、CO2原単位許容値ごとの削減率を示し、CO2原単位が大きい順に並べたものです。



まず、CO2原単位で見れば、日米欧は優等生であり、新興国のCO2排出がかなり優遇されているのがわかります。新興国のCO2原単位が大きいのは【比較優位 comparative advantage】の影響による生産物の違いが関係しているので単純に倫理を問うことは倫理違反です。ただし、1人当たりGDPが既に1万ドルに達して先進国となっているロシア・中国・韓国などが新興国という名の下に上位にランキングされているのは経済的にも環境的にも明らかに不公正であると言えます。

欧州のCO2原単位が低いのは、大陸の中央に位置するフランスの原子力発電所をバックアップ電源にして電力を融通するセーフティネットが構築されているため、再生可能エネルギーを低リスクで導入できたために他なりません。この恩恵を受けている欧州各国はベースロード電源を石炭火力に依存しなくても安定供給が可能なため、石炭火力廃止を主張するのは自己本位な合理的行動と言えます。

次にCO2削減率を見ると、CO2原単位許容値を200t/百万$に設定すれば、日米欧が殆ど削減しなくても、世界全体のCO2削減率は50%になります。つまり、重要なのは、世界の新興国・開発途上国に対して一人当たりGDPが高い先進国がCO2削減を経済的・技術的に援助することが最も効率的なCO2削減方法であると考えられます。なお、既に一人当たりGDPが高いロシア・中国・韓国は自分の努力で削減を行う必要があります。彼らは既に先進国であり、新興国ではありません。すぐにでも日米欧並みの水準を目指す必要があると考えます。

さらに、CO2原単位許容値を100t/百万$に設定すれば、CO2排出量は現在の1/4になりますが、そのハードルは高いと言えます。いずれにしても、急激なCO2排出量の削減は、逆に多くの人命を失いかねないので、時間の経過とともにCO2原単位許容値を高い値から徐々に低い値に設定することで削減を実行していくのが現実的と考えます。

日本の取り組み

上記のような観点から見ると、COP26において岸田首相が発表した日本の気候変動対策への取り組みは、世界のCO2削減に対して効率的に貢献する戦略的なものであると考えます。岸田首相は、開発途上国にとって必要不可欠な火力発電の活用を主張した上で、莫大な途上国支援を約束しました。環境NGOのネットワークCANは日本に対して「本日の化石賞(2位)」を贈りましたが、日本政府はこの軽薄で無責任な揶揄に対して真正面から反論すべきです。

石炭火力の完全否定は、世界各地のエネルギー供給の地域特性を全く配慮しない傲慢極まりない主張と言えます。発電のベストミクスは地域特性に依存するものであり、内部社会に対する人権侵害や外部社会に対する付加的な損害を与えない限り(いわゆる公共の福祉を害しない限り)、いかなるエネルギーを利用することも【経済的自由権 economic freedom】の行使であり、外部社会から干渉される筋合いのものではありません。功利主義でも、他者に危害を与えない限り自由に行動可能であるとする【他者危害原則 to prevent harm to others】が存在します。倫理的な観点からも、石炭火力を全廃することは必要条件にはならないのです。

大規模な蓄電システムの構築が経済的に困難な中、日本のような島国は、欧州のように他国からの電力の融通を得ることはできず、太陽光・風力といった自然エネルギーのシェアが高まるほどバックアップ電源としてのLNG火力・LPG火力が必要となります。また地震活動が活発であるため原子力発電所の立地もある程度規制され、SMRを導入しない限り、ベースロード電源となり得るのは石炭火力のみです。このような条件下において、根拠のない義務論を振りかざして国際的な圧力を加える行為は極めて理不尽と言えます。

なかでも、非常に危険なのは「気候正義」という概念が独り歩きして、活動家が正義を定義して、石炭火力など自分の考えに反するものを排除していることです。そもそも、この概念は、人間の生産活動に起因した気候変動によって命や富が失われることを前提にしたものですが、人間の生産活動は科学の発展を生み、貧しい人の命を救い、文化的な生活を将来の人々に無償で提供します。

また温暖化自体にもメリットが存在します。現在の地球環境では、熱中症による死者よりも凍死者の数が圧倒的に多いのです。


Overall cumulative exposure–response associations in 13 cities
(GASPRRINI, Antonio et al.)

例えば、病院で助けられる命は尊く温暖化で助けられる命は尊くないのか、温暖化によって耕作面積が増えて食料供給量が増えることは悪なのか。世界が納得する前提の批判的分析が必要不可欠です。【現状維持 status quo】を正義とする政治家や活動家の義務論だけに基づいた議論では問題は解決しません。




ジャズ・ピアノの歴史に画期的な変化をもたらしたピアニストは二人いて、一人はコードの構成音を自由に使うバップ奏法を導入したバド・パウエル、もう一人はコードから解放されたスケールを自由に使うモード奏法を導入したビル・エヴァンスです。

トランペットのチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーが創ったバップ奏法(ビバップ)は、ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、ベニー・グッドマンが完成させたビッグ・バンドのスウィングを徹底的に壊してモダン・ジャズを創造した画期的なイノヴェイションでした。バップ奏法とは、大雑把に言えば、曲の持つメロディーに規制されることなく、コードに従うギリギリの構成音(一歩間違えれば音楽を壊す「テンション」など)を自由に使い、過去にない優れたフレーズをアドリブ演奏してリスナーを唸らせるものです。

当初この自由なアドリブ演奏は、トランペットやサックスなどの管楽器によって行われ、ギター・ピアノ・ベースといったリズム楽器が従順にコードを伴奏することで成立していましたが、これを壊してピアノによるバップ奏法を創造したのがバド・パウエルです。バド・パウエルは左手でコードを最小限に表現する一方で、管楽器が行っていたアドリブを右手で演奏しました。ここに、管楽器は必ずしもジャズ演奏に不可欠な楽器ではなくなり、ピアノ・ベース・ドラムスで構成されるピアノ・トリオという新しい演奏スタイルが誕生したのです。

ブルーノート・レーベルから発売された「アメイジング・バド・パウエル」の5部作は、そんなバド・パウエルの演奏を象徴するものです。順を追って紹介したいと思います

The Amazing Bud Powell, Vol. 1
[youtube]


01.Un Poco Loco (alternate take #1)
02.Un Poco Loco (alternate take #2)
03.Un Poco Loco
04.Dance of the Infidels
05.52nd Street Theme
06.It Could Happen to You (alternate take)
07.A Night in Tunisia (alternate take)
08.A Night in Tunisia
09.Wail
10.Ornithology
11.Bouncing with Bud
12.Parisian Thoroughfare

Bud Powell - piano (1-12)
Tommy Potter - bass (4-6,9-11)
Roy Haynes - drums (4-6,9-11)
Fats Navarro - trumpet (4,5,9,11)
Sonny Rollins - tenor sax (4,5,9,11)
Curly Russell - bass (1-3,7,8,12)
Max Roach - drums (1-3,7,8,12)

このアルバムは、2管(ファッツ・ナヴァロ&ソニー・ロリンズ)+ピアノ・トリオ(パウエル、ポッター、&ヘインズ)による1949年の演奏と管楽器を排除したピアノ・トリオ(パウエル、ラッセル、&ローチ)による1951年の演奏がカップリングされたものです。

まず1949年の演奏を象徴するテイクが"Bouncing with Bud"と"Dance of the Infidels"です。バップは、最初の1コーラスでテーマを演奏し、2コーラス目からはアドリブを演奏し、最終コーラスで再びテーマを演奏して終わるというのが基本フォーマットです。ミュージシャンにとっての聴かせどころは2コーラス目以降にあります。例えば"Bouncing with Bud"では、1コーラス目にナヴァロとロリンズが見事なアンサンブルでテーマを奏でた後、2コーラス目はロリンズ→ナヴァロの順でアドリブ演奏し、3コーラス目はバド・パウエルがアドリブ演奏、4コーラス目で再びテーマに戻って短く終わっています。このバップの王道の様式の中でバド・パウエルは管楽器のようにアドリブ演奏を行い存在感を示したのです。

一方、1951年の演奏を象徴する演奏が、鬼気迫る演奏で作品を進化させていった"Un Poco Loco"の3つのテイクです。バド・パウエルはピアノをリード楽器のアドリブ・ソロのように演奏しました。この展開は今ではまったく普通ですが、バド・パウエル登場前までは普通ではありませんでした。バップの名曲"A Night in Tunisia"と"Ornithology"も見事なピアノ・ソロで表現しています。ここにこのアルバムの歴史的な重要性があります。

そして、このアルバムの最大の聴きどころが、"Parisian Thoroughfare"です。美しく楽しく疾走するこの躍動的なアドリブ演奏は、まさにバップ奏法そのものですが、曲は突然、まるで事故にあったかのように途中で終わってしまいます。バド・パウエルは、途中で納得ができる演奏ができなくなったため、このテイクをやめてしまったのです。バップ奏法は即興性を持ったアドリブ、つまりインプロヴィゼイションのたまものなのですが、同時に最後まで続けられる保証はありません。その意味で、バップ奏法はまさにスペインの闘牛やフラメンコやエル・グレコの絵画のような生と死が隣り合っている芸術と言えます。ちなみに、バップ奏法の緊張感をよく理解し、この未完成作品をわざわざ収録したブルーノートのプロデューサー、アルフレッド・ライオンの鬼才には驚かされます。

The Amazing Bud Powell, Vol. 2
[youtube]

01.Reets and I
02.Autumn in New York
03.I Want to Be Happy
04.It Could Happen to You
05.Sure Thing
06.Polka Dots and Moonbeams
07.Glass Enclosure
08.Collard Greens and Black-Eyed Peas
09.Over the Rainbow
10.Audrey
11.You Go to My Head
12.Ornithology (alternate take)

Bud Powell - piano (1-12)
George Duvivier - bass (1-3,5-8,10)
Art Taylor - drums (1-3,5-8,10)
Tommy Potter - bass (11-12)
Roy Haynes - drums (11-12)
Curly Russell - bass (4,8)
Max Roach - drums (4,8)

このアルバムは、1954年に録音された新たな8テイクと前出の1949年の2テイクおよび1951年の2テイクがカップリングされたものです。いずれもピアノ・トリオの演奏です。バラッドも高く評価されていますが、やはり私は"Sure Thing"、"Glass Enclosure"、"Collard Greens and Black-Eyed Peas"のようなテンポがある曲が好きです。"Glass Enclosure"のテーマには後のVol.5のオープニング曲、"Cleopatra's Dream"のフレーズの原型が、"Collard Greens and Black-Eyed Peas"のソロには"Ornithology"のフレーズが認められます。

The Amazing Bud Powell, Vol 3 - Bud!
[youtube]

01.Some Soul
02.Blue Pearl
03.Frantic Fancies
04.Bud On Bach
05.Keepin' In The Groove
06.Idaho
07.Don't Blame Me
08.Moose the Mooche

Bud Powell - piano (1-8)
Paul Chambers - bass (1-3,5-8)
Art Taylor - drums (1-3,5-8)
Curtis Fuller - trombone (6-8)

トリオ演奏の1957年作品です。2曲目の"Blue Pearl"は究極にブルーなハードボイルドな作品です。"Frantic Fancies"の洗練されたアップテンポな連打もたまりません。"Keepin' In The Groove"はバド・パウエルの音選びの真価を証明するブルースです。カーティス・フラーをフィーチャリングしたパーカーの名曲"Moose the Mooche"は、曲の構成が洗練されており、バップの深化型であるハード・バップの影響が認められます。

The Amazing Bud Powell, Vol 4 - Time Waits
[youtube]

01.Buster Rides Again
02.Sub City
03.Time Waits
04.Marmalade
05.Monopoly
06.John's Abbey
07.Dry Soul
08.Sub City (alternate take)
09.John's Abbey (alternate take)

Bud Powell - piano
Sam Jones - bass
Philly Joe Jones - drums

トリオ演奏の1958年作品です。フィリー・ジョーのドラムスが冴えわたっている"Buster Rides Again"、トリオが一体化して快走する"Sub City"と"Marmalade"、ブルージーな"Monopoly"、そしてインタ―プレイで疾走を続けた後にスロウ・ダウンしてプレイを終える"John's Abbey"がたまりません。

The Amazing Bud Powell, Vol 5 - The Scene Changes
[youtube]

01.Cleopatra's Dream
02.Duid Deed
03.Down with It
04.Danceland
05.Borderick
06.Crossin' the Channel
07.Comin' Up
08.Gettin' There
09.The Scene Changes
10.Comin' Up (alternate take)

Bud Powell - piano
Paul Chambers - bass
Art Taylor - drums

1958年作品です。美しく気高く緊張感に溢れた最高にブルーな曲である"Cleopatra's Dream"が起点となり、"Duid Deed"、"Down with It"、"Danceland"がこれを承け、"Borderick"、"Crossin' the Channel"で転回し、リズミカルなリフと明るいテーマが耳に残る"Comin' Up"で結び、"Gettin' There"と"The Scene Changes"で未来を予感させるという作りになっています。私の中では最高傑作です。

この後、バド・パウエルは、安住を求めてフランスのパリに活動拠点を移します。ただし、ドラッグやアルコールにハマりながらアドリブ演奏と格闘したバド・パウエルの残りの生涯はそんなに長くはなく、1966年に41歳で世を去ります。まさにボロボロになるまでアドリブを求めて激走した人生でした。時代はビル・エヴァンスが奏でるモード・ジャズへと移行していきます。