平安京の都があった京都にゆく。
京都の洛西、嵯峨に白河法皇・待賢門院璋子
ゆかりの法金剛院がある。
ー法金剛院と「天上紅蓮」(渡辺淳一)ー
白河法皇と待賢門院璋子とゆかりの法金剛院。
法金剛院(京都市右京区花園扇野町)
法金剛院のある嵯峨。平安京が京都にあった頃。
この辺りは花畑があり、公家などの邸があり、
「花園」と呼ばれていた。
(白河法皇)
20歳のときに天皇となったあと、譲位後に上皇
(のちの白河法皇)となる。このとき御所につか
えていた祇園女御を寵愛する。
祇園女御は、従兄弟の5歳の女の子を養子にとる。
この娘(こ)が、のち世に絶世の美人として知ら
れる待賢門院璋子。
(白河法皇と鳥羽天皇)
白河法皇は、璋子を皇后にするために、法皇の孫
になる鳥羽天皇に嫁がせ、璋子(18歳)に自分の
子(のちの崇徳天皇)を産ませる。
上皇の妻は「女院」(待賢門院璋子)となり、法
皇は上皇と女院と一緒に三条西殿で暮らす。
<「天上紅蓮」(白河法皇と待賢門院璋子)>
帝となった第一皇子の崇徳帝は白河法皇の子。
これから、白河法皇は璋子に、上皇とともに
子孫を増やしていけと、おおらかな気持ちで
と見守るが…。
その本心は、今も熱く執着しているのが彼女
の躰だった。これほど清楚でみだらで、ひか
えめで貪欲で、味わい深いものはない。昨夜
も堪能した璋子との交わり。もはや、強く立
ち上がることはできないが、優しく、時間を
かけ、背から胸元、さらに股間から秘所にふ
れていく。璋子のそこは、泉のように潤い、
もっとも鋭敏な先端が熱く燃えあがってゆく。
璋子はすすり泣き、「やめて」と訴え、頭を
ふり乱し、「だめっ」と叫び、全身をのけ反
らせてゆき果てる。
法皇は「もはや淫らなことはやめぬぞ」とつ
ぶやく。
(白河法皇と待賢門院璋子)
白河法皇は、64歳から亡くなる77歳まで、璋
子(14歳から27歳まで)を、情熱を燃やし寵
愛する。
待賢門院璋子は、白河法皇を追善するために、
寺を再建し、のちにこの寺は法金剛院と呼ばれ
る(1130年。)
京都の平安京
西行法師は、讃岐の白峯寺の崇徳帝の墳墓に
ゆき、帰路再建された京都嵯峨の法金剛院の
待賢門院璋子を訪ねる。
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