京都の鴨川。
鴨川は御所の東にあり、古くは朱雀川(東河)と
呼ばれ、賀茂川と高野川が合流する三角のところ
には下鴨神社がある。
<平安京と鴨川>
古代の鴨川の上流は原生林でおおわれていた。
平安京をつくるとき、風水の四神相応の玄武(山)
・青龍(川)・白虎(道)・朱雀(沢)の「青龍」に擬して
都がつくられたともいわれる。
<平安京と安倍晴明「陰陽師」)>
安倍晴明(921-1005)は、平安時代の陰陽師で、呪術
・天文学・占いで知られた陰陽師で朝廷や貴族に仕えて
いた。安倍晴明の事蹟は神秘化され多くの逸話を生み、
物語化されている。そのひとつ夢枕獏の『陰陽師』。
ー『陰陽師』(夢枕獏)ー
<呪(じゅ)と本質(「恋」)>
晴明の友人・博雅が屋敷に訪ねてきた。
そのとき、晴明が「呪の本質は本人にあり。つまり、呪を
かけられる側にあるという。例えば、同じ銭で縛ろうとして
も、縛られる者と縛られぬ者がいる。銭では縛られぬ者も、
恋という呪で縛られる場合がある。』という。
<鵜匠(忠輔)と孫娘>
友人・博雅は親戚の鵜匠・忠輔の孫娘のことで清明に相談に
やってきた。鵜匠の忠輔は、鴨川の西側に家を建て、19歳の
孫娘と一緒に暮らしていた。ところが、最近、孫娘の様子が
どうもおかしい。ある日の夜だった。家の外で鵜(う)がざわめ
き、忠輔が眼を開けると、黒い袴に身を包んだ秀麗な男が立
っていた。男は「名は黒川主(くろかわぬし)で、美しい娘を我
が妻にとおもい参った」と言う。忠輔は、この化生の者を斬り
つけた。が、手応えは無く、動けなくなってしまう。部屋にいた
孫娘。なんと、身にまとっているものを脱ぎ捨て、嬉しそうに
男の手を引いて外に出てゆき、裸になった男女がたがいに
痴態を繰り広げる。そのあと、水の音が聞こえる。大きな生
きた鯉を獲り、ふたりが食べはじめていた。
<黒川主と晴明>
凄い話を聞いた晴明。
その日の夜。晴明と博雅が鵜匠・忠輔の家にゆく。
夜が更けた。忠輔は家をあけると、入った黒川主は、
夜具の横に入ってきた。このとき晴明に手を握られた
黒川主は外に出て、頭からいきなり桶に飛び込んだ。
晴明は、結界をはり、呪をかけて元の姿に変え、抜け
出せぬようにした。中にいる鮎を一匹吊るし、鮎が
動けなくなって乾くと、つぎの鮎を吊るした。こうして、
7匹めの鮎をつるすと、渦の中心が盛り上がり、黒く
濁っていった。そこから一匹の黒い獣が跳ね出て
きた。それは、一頭の獺(カワウソ)であった。
晴明はカワウソから一部始終聞く。
二ケ月前に鵜匠の忠輔は堀を荒らされて困ると、雌
(妻)と2頭(子ども)のカワウソ(一家)を殺したという。
このときに娘が産気づき、晴明は、「あの娘のお腹の
子は、お前の子か」ときくと、これにカワウソがうなづいた。
<『陰陽師』と「恋の呪縛」)>
晴明は家の中に戻った。友人の博雅が晴明に、「黒川
主は?」と聞かれ、「子どもとともに川に流れていったよ。
」と応え、つづいて、「人の因果も、獣の因果も根本は同
じものよ。普通はかけられている呪が違うから、人と獣は
交わらないが、」といい、(人がカワウソの子を産むのかに)
人の因果と獣の因果の闇に生まれた子を見なくてよかった
なと、物語は終わる。
呪術でもってその人の恋を縛られない。これが恋の本質か。
<京都鴨川と『陰陽師』(恋の呪縛)>
安倍晴明は、その後鎌倉から明治(初期)と継承され
た阿部氏流土御門家の祖となる。夢枕 獏(1951-)
は、鮎釣りが趣味で、安倍晴明を主役とし、京都の鴨
川を舞台に書いた『陰陽師』(1988)は、その後シリー
ズとなり晴明ブームのきっかけとなる。
賀茂川(左・西)と高野川(右・東)が合流して鴨川(天前)となる。
青天ゆく少彦名神社(春琴抄「究極の愛」)ー男と女の物語(175)
2022.1.2