京都の世界遺産の下鴨神社。

下鴨神社は、賀茂川と高野川が合流

後に鴨川となる三角形のところにある。

 

鴨川と下鴨神社

京都御所の東にあり古くは東河と呼ば

れた鴨川。

大昔。鴨川の上流は原生林でおおわれ

ていた。

その後平安京がつくられるが、風水の

四神相応の玄武(山)・青龍(川)・

白虎(道)・朱雀(沢)の、東端の鴨

川を都を護る「青龍」に擬し、都がつ

くられたいわれる。

 

下鴨神社

下鴨神社は、崇神天皇(紀元前90年)

の時より伝承があり、欽明天皇5(54

4)年4月より賀茂祭(葵祭)が行われ、

下鴨神社は京都の神社の中でも最も古

い神社のひとつである。

 

 

世界文化遺産の下鴨神社(京都市左京区下鴨泉川町59)

 

糺の森(祭祀遺構)

平安京に遷都(794年)される以前。

木々に囲まれの奥は深淵で神秘的だった。

湖と森におおわれていた神社境内には、

現在「糺(ただす)の森」と呼び、環境

保全のために国指定史跡になっている。

 

平成13(2001)年より発掘調査で数多

くの古代遺跡が包含され、昔の祭祀遺構

や平安時代後期(12世紀後半)に造営

された祭壇遺構を検出し、祭壇は「石敷

遺構」で、旧奈良の小川を望み、水に関

係する祭祀がおこなわれていたようだ。

 

 

下鴨神社の祭祀遺構

 

河合神社

広い境内の一番奥(北)に西殿・東

殿があり、南の参道すぐ左(西)に

ある河合神社。

この神社の祭神は神武天皇の母の玉

依媛命(たまよりひめのみこと)。

 

 

河合神社(女性守護 日本第一美麗神、2018.1.7撮影)

 

下鴨神社(祭神と神徳)

下鴨神社の創祀の年代は不明だが、『日

本書紀』(紀元前658年)に当神社の祭

神(天神玉命、賀茂建角身命)を奉斎す

る氏族(葛野主殿県主部、鴨氏)がいた

と記される。

 

崇神天皇(紀元前90年)の時より伝承が

あり、欽明天皇5(544)年4月より賀茂

祭(葵祭)が行われていた。

 

下鴨神社(祭神)

河合神社から北端の西殿・東殿にゆく。

その祭神。

賀茂建角身命(かもたけつぬのみこと)西殿

玉依媛命(たまよりひめのみこと)  東殿

 

山城国『風土記』などによると、玉依媛

命は鴨川で身を清める儀式のみそぎ(禊)

をしていると、上流より流れきた丹塗り

矢(にぬりや)を拾い床に置くと、矢は

男神になり結婚し、古くから縁結び、子

育ての神様として尊崇される。という伝

承がある。

 

下鴨神社(神徳)

賀茂建角身命は、農耕の安定につとめ、

五穀豊穣の神様で、また『古事記』、「

日本書紀」には金鵄八咫烏(きんしや

たからす)として表わされた功績が伝え

られ、導きの神、勝利の神、厄除けなど

多岐にわたり神徳を顕す。

また玉依媛命は、婦道の守護神として縁

結び、安産など水を司る神として神徳を

発揚すると下鴨神社のホームページにあ

り。

 

『古事記』(丹塗矢)

ところで、「丹塗矢」(にぬりや)に

ついて。

古事記による「丹塗矢」の神武天皇の

神婚説話がある。

三輪(みわ)の大物主神(おおものぬ

しのかみ)が美しい女性の勢夜陀多良

比売(せやだたらひめ)に思いをかけ

その用便中に丹塗矢(にぬりや)と化

して「ほと(陰部)」を突いた。という。

ちなみに神社では流鏑馬の祭事がおこ

なわれている。古くより、自然と人と

の関係を想う。

 

 

 

 

 

 

 

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