今の暦だと太陽の動きを元にした太陽暦であるため、
月の満ち欠けと日付とは連動していません。
2019年の場合は、9/14が満月だったため、
暦上の9/15でもほぼ満月に近い月が見られることでしょう。
もっとも、明治維新前は日本では太陰暦を使っていたため、
月の満ち欠けと暦がほぼ連動していました。
太陰暦で15日と言えば、理論上は満月の日。
細かな計算をすれば、1・2日のずれはありますが、
少なくとも15日には、ほぼまん丸に近い月が出ていたのです。
それだけに、平安時代には、月が満ちた後の数日は日付ごとに、
別の呼び名があったりするんですね。
古典を読んでいても出てくるものなので、ちょっと書いておきますね。
15日 望月(もちづき)
藤原道長の歌でも出てきますね。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることを なしと思へば
満月のことを「望」とも呼びます。漢字については「望」+「月」なのは分かりやすいと思います。
ただ、読みが…というものです。
「みちづき」では読みにくいので、母音が変わったのではないのかとは言われていますが、
正確な所はわかりません。
16日 十六夜(いざよい)
漢字は見たままなのですが、また読みが…というものです。
鎌倉時代の作品になりますが、『十六夜日記』と呼ばれるものがありますね。
古語で「いざよう」で「ためらう」という意味合いです。
その当て字です。
小一時間くらい遅れて月が出るので、ためらっているように感じたのでしょうね。
17日 立待月(たちまちづき)
やっと素直な読みが出てきました。
そろそろ月が出てくるんでないかと「立って待つ」くらいに出てくることから、
こう呼ばれていたようです。
とは言っても、一時間半余り立ちっぱなしは、つらいでしょうが。
18日 居待月(ゐまちづき・いまちづき)
古語で「居る」とは「座る」こと。
「座って待つ」頃合いに月が出てくるから、このような名前が付いたようです。
日没から二時間半待ちは、流石につらくなったんでしょうね。
19日 寝待月(ねまちづき)
平安時代…夜にすることなんてほとんどありません。
日没から3時間余りも待つとなると、「寝て待つか」という話になってきます。
20日 更待月(ふけまちづき)
夜も更け、亥の刻(22時)頃にやっと月が出てきます。
月が見たければ「夜が更けるまで待つしかない」から、こんな呼び方をしていたようです。
もっとも…
太陰暦では月の後半は、日の入りの時点では、空に月が出ていません。
だからこそ、こんなに月の呼び方が多彩だったのかもしれません。
ちなみに、(太陰暦) 1600 (慶長5)年の 9月15日は…
関ヶ原の戦いがあった日です。
もっとも、霧が出たような日だったので、
その日の夜は月が見えていなかったかとは思いますが、
もし月が見えている日だったとすれば、ほぼまん丸の月が見られたのでしょうね。
<お話会>
日時:2019/10/19 (土) 10:00~12:00 (開場:9:50)
場所:京都河原町 (阪急河原町駅 徒歩2分)
※参加者に詳細お知らせします。
参加費:3000円(税込)
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