山口宇部空港への空路と下関行リムジンバス・ふくふく天神号を乗り継ぎ福岡への道草紀行 | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

これまで、何度か福岡に出張する機会があった。

 

いずれも仕事の中身はほぼ同じで、僕でなくてもこなせるが、職場から誰かは行かねばならない。

束縛されるのは日曜日の丸1日だけだが、朝が早いので、東京からの往復時間を加味すると、少なくとも1泊2日は必要だった。

週末であるから、残された人間の仕事がそれほど増える訳でもない。

ならば、乗り物での長距離・長時間の束縛に抵抗のない僕が行くことが、同僚の幸せではないか、と考えて、初回に立候補してから、福岡行きは大抵僕に割り振られるようになった。

 

僕もしたたかで、この絶好の機会を利用しない手はない、とばかりに、九州の鉄道や高速バスを乗り潰す旅程を加えたことがある。

平成19年に、新宿発の高速バス「中央ライナー」号で可児に向かい、名鉄電車で名古屋に出て、福岡行きの夜行高速バス「どんたく」号に乗り継いだ時が、福岡出張における初めての道草だったと記憶している。

夜行明けで仕事をこなす羽目になったけれども、翌日も休みだったので、高速バス「福岡・山口ライナー」号から新幹線に乗り換えて東京に帰って来た(「中央ライナー可児号と夜行高速バスどんたく号、福岡・山口ライナーでタイムトラベルに酔う」)。

 

 

東京から福岡に出掛ける人間の大半は、航空機で往復するのだろう。

他の部署の人間も含めれば、福岡には数人で出張するので、

 

「飛行機の予約、一緒に取っておきますか」

 

と声を掛けられるたびに、僕は、復路だけの予約をお願いしていた。

日曜日の夕方まで拘束される仕事だから、さすがに、帰りは航空機で真っ直ぐに帰京するしかない。

 

往路には自由がある。

福岡行きの日程が定まると、前日の土曜日も休めるように、前もって仕事を一生懸命にこなしたものだった。

 

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もちろん、普通に航空機で行ったこともあるけれど、初回の成功に味をしめた僕は、平成25年に、土曜日の午後に東京駅を発つ東海道新幹線と山陽新幹線を乗り通し、ついでに開業したばかりの九州新幹線の鹿児島中央駅まで足を伸ばして、そのまま博多駅に折り返し、深夜に博多駅に着いた(「東京-鹿児島 東海道・山陽・九州新幹線大リレー~「のぞみ」から「みずほ」へ~」)。

 

母が金沢の弟のところで病気療養していた平成26年には、富山空港に飛んでリムジンバスと鉄道を乗り継いで金沢に立ち寄り、慌ただしく母を見舞ってから、小松と福岡を結ぶ空路を利用して福岡入りした(「東京-北陸-福岡・最新鋭のB787からDHC-8-Q400、B767を乗り継いだ駆け足の空の旅」)。

 

平成29年には、土曜日の朝1番の航空機で鹿児島空港に飛び、初めての肥薩線を探訪してから、福岡に向かったこともある(「明治へのタイムトラベル 肥薩線の旅 前編 ~「はやとの風」と「しんぺい」~」「明治へのタイムトラベル 肥薩線の旅 後編 ~「しんぺい」と「九州横断特急」~」)。

 

 

今回は、平成27年早春の福岡出張の話をしたい。

 

前日にあたる2月末日は、仕事の遣り繰りがつかずに、お昼過ぎまで職場にいなければならなかったため、福岡行きの選択肢はかなり狭められた。

急いで身支度を整えながら、いっそのこと、素直に羽田-福岡間の航空路線に乗ってしまおうか、とも考えた。

 

今回の出張は、同行者に呑兵衛ばかりが揃っていて、

 

「博多駅の近くの○○に皆で行ってますよ」

 

と、飲み屋の名前を教えられていた。

彼等は、何回かの福岡出張で、行きつけの飲み屋まで開拓したらしい。

いや、多分間に合わないと思うから、と返事をしたのだが、寄り道せずに航空機で直行して、博多の夜に酔うのも悪くないではないか、との正常な誘惑が頭をもたげてくる。

 

ところが、スマホで航空会社の予約ページをめくっているうちに、羽田から山口宇部空港へ向かう航空路線が目に止まり、これだ、と思った。

中国地方の空港は、岡山、広島、鳥取、米子、出雲、石見と、大半を利用したことがあったが、宇部空港だけは足を踏み入れたことがなかった。

座席も空いている。

 

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僕はいったん自宅に戻って身支度を整えてから、国電とモノレールを乗り継いで羽田空港第1ターミナル駅に降り立った。

目指すは、16時25分に羽田を発つ宇部行きJAL1647便である。

 

それほど混雑していない待合室の大きな窓から広大な空港の敷地を見渡せば、居並ぶ航空機の垂直尾翼が西陽にきらきらと輝いている。

あと3週間で春分、という時期であるから、日が長くなったな、と思う。

宇部空港に着くのは1時間50分後の18時15分、西日本は日の入りが遅いから、まだ明るいかもしれない。

 

 

出発便の夕方のラッシュが始まる前であるから、誘導路はさほど混んでいなかったけれども、平成を迎えて羽田空港が沖合いにどんどん拡張するのに比例して、出発便のタキシングの時間が長くなった。

航空機の出発時刻はキャビンアテンダントが扉を閉めた時、と聞いたことがあるけれど、離陸するまで延々と誘導路を走り続けても遅延にはならない。

この日のJAL1647便もその類いで、ゴトゴトと鈍い音を立てながら揺られていると、このまま宇部まで陸上を走るつもりではあるまいな、と苦笑いしたくなる。

 

この便の機材はボーイング737、昭和42年に初飛行したというロングセラーのシリーズだが、僕が乗っているのは、平成9年に生産が開始された最新の800型である。

巡航速度が時速980kmにも及ぶ性能をもっているので、羽田から宇部まで510mile、およそ820kmを1時間50分もかかるものなのか、と首を傾げたくなるが、西行き路線で偏西風の影響を被っているばかりでなく、羽田空港での長いタキシングもある程度考慮されているのではないかと疑いたくなる。

 

 

ようやく滑走路にたどり着き、ポン、ポンとチャイムが2度鳴らされて、頭上のベルト着用サインが点滅すると、いよいよ離陸である。

 

『皆様、当機は間もなく離陸致します。シートベルトを今一度お確かめ下さい』

 

空の旅は便利だし、キャビンアテンダントのアナウンスも耳に心地良いけれども、離陸の寸前の緊張感はどうしても慣れることが出来ない。

僕は、米映画「エアポート75」で、離陸でエンジン音が高まると、出発前からしたたかに酔っ払っていた喜劇役者が、

 

「さあ皆さん、お祈りしましょ」

 

と、大声で十字を切る場面をいつも思い浮かべる。

 

航空大国で空の旅が日常茶飯事になっているはずのアメリカ人ですらそうなのだから、日本人はもっと戦々恐々としているに違いない、と勘ぐりたくなる。

紀行作家の宮脇俊三氏は、飛行機が離陸するとお経を上げたくなる、とか、機内では早く降りたくてしょうがない、などと著作の中で繰り返し書いているけれど、JAL1647便の席を埋める搭乗客は、誰もが澄ました表情を変えようともしない。

 

ぐいっと身体が仰け反って、無理に首を曲げて覗き込む窓の後方に、黄昏に染まる東京の街並みが映ったかと思うと、真っ白な雲が視界を遮った。

 

 

この日は、雲の多い空模様で、名古屋上空までは下界を見ることも叶わず、紀伊半島の根本を横断して瀬戸内海上空に差し掛かっても、眺望は途切れ途切れだった。

それでも、客室モニターに日本地図が映し出され、自機の位置が表示されるので、何処を飛んでいるのかは把握できる。

真っ直ぐ宇部に向かっているのだな、と感心する。

 

飛行機に乗っていると、自分が飛んでいる航空路が気になってしょうがないのだが、この日は大島上空から名古屋へ直行する「V17」と、そこから瀬戸内上空を真っ直ぐ西へ向かう「V28」という航空路を使ったようである。

我が国の混雑する空を交通整理するためにやむを得ないと判っていても、航空機とは、目的地まで一直線に飛ぶことがあまりない乗り物と思い込んでいたから、この日のJAL1647便が選んだ航空路は、胸がすくようであった。

 

 

西に飛ぶに従って雲の切れ間が増え、右の窓際席を占めている僕の視界に、山陽地方の海岸線と島々が映るようになった。

 

『御搭乗の皆様にお知らせ致します。当機は間もなく、山口宇部空港に向けて高度を下げて参ります。10分程でベルト着用のサインが点きますので、お手洗いを御利用のお客様はお早めにお済ませ下さい』

 

とのアナウンスが流れ、数人がそわそわと席を立つ。

 

太田川の三角州に広がる広島市の上空あたりから高度が下がり始め、やがて、座席ベルト着用のサインが点灯した。

羽田を発って1時間半も経っておらず、案外早いものだな、と感心する。

高度が下がるにつれて、道路を走る車や、砂浜に打ち寄せる白い波頭まで識別できるようになる。

海岸に設けられた宇部空港も、右手をゆっくりと過ぎていく。

案外市街地に近い空港なのだな、と頷きながら、待てよ、と眉をひそめた。

 

おいおい、宇部空港を通り過ぎてどうする?──

 

 

手前の岩国空港でも見間違えたのか、と思ったけれども、宇部空港の滑走路の方位は07/25とほぼ東西に延びており、02/20と南北に設置されている岩国空港と混同するのはおかしい。

滑走路の番号は南北を00/18、つまり0度と180度、東西を09/27とする軸から時計回りに回転させる方向で表示されている。

 

JAL1647便は少しずつ高度を下げながらも、宇部空港を平然とフライ・パスして、西へ飛び続ける。

なるほど、と思う。

航空機は着陸で速度を下げなくてはならないので、向かい風で降りていく必要がある。

この日の宇部空港は東風で、東から進入する07滑走路ではなく、反対の25滑走路に着陸するつもりなのだろう。

 

右手を過ぎ行く海岸線を見遣りながら、ボーイング737-800型機は真っ直ぐ延々と飛び続ける。

何処まで西に行くのか、と心細くなる。

JAL1647便は、とうとう、夕陽に煌めく豊後水道に飛び出してしまった。

海上に造られた北九州空港を右手に遠望しながら、ようやく機体が傾いて左へ旋回が始まった。

航空機の飛び方とは、いちいち大袈裟だな、と呆れてしまう。

それだけ凄まじい速度を出している証左なのだろうが、ひと足先に九州の地を拝んでしまったのであるから、気の早い話だった。

 

「勢いがついて、ちょっとばかり行き過ぎてしまいましたね」

 

と、コクピットで機長と副操縦士が頭を搔いている場面が、頭に浮かんだりする。

てへぺろ、という言葉が流行り出したのは、この頃ではなかったか。

 

 

宇部空港は、昭和41年に1200mの滑走路が完成して開港、1日1往復ずつの羽田便と伊丹便が飛び始め、同年に豊後水道を渡るだけの北九州便も就航したと言うのだから面白い。

宇部発北九州行き航空便、乗ってみたかったと思う。

昭和54年に2000mの新滑走路が完成して、翌年にジェット化されているのだが、北九州空港とは管制空域が重なるために、同じ時間帯に出発機と到着機が重なると、同時に離着陸することが出来ず、一方を待機させる必要性が生じたらしい。

 

そうか、宇部空港と九州は、そのような位置関係なのか、と思う。

ならば、福岡の出張に宇部空港を使うのは、それほどの道草ではないのだな、と胸を張りたくなるような、ちょっぴり残念なような、複雑な気分である。

 

180度向きを変えて、西から着陸態勢に入ったJAL1647便は、18時過ぎに宇部空港に着地した。

 

 

薄暮が迫るターミナルビルを出て振り返ると、瀟洒で清潔で良い空港である。

しかし、宇部らしさは何処にも見当たらず、どのような空港名を看板に掲げても構わないような画一的な外観に見える。

 

僕は、宇部空港について触れた宮脇俊三氏の一文が忘れられない。

「汽車旅12ヶ月」の中で、国鉄が運転を開始した山口線のSL列車を取り上げた章である。

僕が宇部空港を使ってみたくなった一因にもなった。

 

 

『SL復活を希望した線区はたくさんあったという。

1日の乗客が100人に満たないような線区なら、SL列車を1往復走らせただけで収支係数が一気に変わってしまうからだろう。

1日1000人クラスの線区でも、収支は相当に好転するだろう。

たんに線区の収支だけではない。

SLの客たちが発駅や着駅の町、あるいは周辺の観光地にお金を落としていくから、町の人や観光協会などもSL誘致に熱心であった。

 

それらの数多くの候補線区のなかから山口線を選んだ国鉄当局は、なかなかにしたたかだと思う。

SLを走らせるためには、転車台が使用できる状態で残っているか、などの施設の問題、人家の密集地を避けるという公害問題、それから、SLらしく濛々と煙を噴き上げて撮影者を喜ばせるような適度な勾配があること、終着駅が観光地につながっていることなど、いろいろな条件を必要とするだろう。

山口線の場合は、山口市付近に人家が密集しているという難点はあるが、ほぼ条件を満たしていると言える。

けれども、そのような線区は他にもあるにちがいない。

 

そのなかから敢えて山口線に白羽の矢を立てたのは、客をSLよりも新幹線に乗せるためではなかったかと思う。

かりに北海道のどこかでSLを走らせても、客の大半は札幌まで飛行機で行ってしまうだろう。

すでに東京-札幌間の旅客の94%までが飛行機を利用しているという。

いやしくもSLに乗ろうとするほどの人であるから、それほどまでに飛行機を利用するとは思われない、あるいは思いたくないが、いずれにしても国鉄より航空会社を喜ばせる結果となることに変わりはなさそうだ。

かと言って、飛行機に乗せまいとして、東京や大阪の近くでSLを走らせれば、運賃収入はわずかしか見込めない。

 

その点、山口線の起点小郡(注・現在の新山口駅)は、まことに具合のよい位置にある。

近くに宇部空港があるが、ジェット機は発着できず、プロペラ機のYS11が1日2往復している程度だから、とるにたらない。

福岡まで飛んで小郡まで戻る飛行機好きも多少はいるだろうが、そこまで心配していたら日本中にSLを走らす線区はなくなってしまう。

 

SL列車の走る小郡-津和野間は62.9キロ、運賃は700円、指定券を加えても往復で2400円である。

それに対して東京-小郡間の運賃は、片道1000キロ以上に適応される往復割引でも13860円、新幹線の自由席料金が往復で12800円だから、計26660円となる。

つまり、東京の人がSL列車に乗ろうとすれば、足代だけで2万9000円、大阪の人でも1万9000円となり、SL試乗は相当に贅沢なお遊びなのだ。

これでは、SLに乗せてくれと子供に泣きつかれる親はたまったものではない。

国鉄も残酷な商売をするものである。

 

山口線にSLを走らせると聞いたとき、なんたる老獪さと私は感心するとともに反撥を覚え、これに勝る線区はないものかと時刻表を開いて全国を物色してみた。

けれども、山口線以上の地理的条件を備えたものは見い出せなかった。

時間距離が短く、それに反比例して運賃と料金の高価な新幹線を最大限に利用させようとすれば、小郡を起点とする山口線の右に出る線はないのである。

国鉄は、大局的、抜本的な赤字対策においては駄目だけれど、SL復活程度の小さなことになると冴えるらしい』

 

 

「汽車旅12ヶ月」が出版された昭和54年に、SL列車が運転を開始し、宇部空港の新滑走路が完成しているのだが、ジェット機が羽田線に就航するのは翌年であった。

それ以前の1日2往復のプロペラ機でも、長時間乗車を嫌う子供連れならば利用するような気もするのだが、宇部空港がジェット化された現在でも、「SLやまぐち号」のツアーは往復新幹線利用を謳う企画が多いようで、JRもそのように旅行会社を誘導しているのであろう。

 

宮脇氏に、新幹線のライバルにはなり得ない、取るに足らない、と見下されてしまう程であるから、どれだけ鄙びた空港なのだろうと心配していたのだが、予想以上に賑わっているように見受けられて、ひとまず安心した。

 

 

それよりも、僕は、リムジンバス乗り場が気になってしょうがない。

宇部市内に向かう宇部市営の2扉の小型路線バス、同じく宇部市営の颯爽とした新山口駅行き特急バス、そして中国JRバスの山口駅行き特急バスに、JAL1647便を降りた100名ほどの搭乗客が分散し、少し遅れた18時40分発の下関行き高速バスに乗り込んだのは僅かだった。

 

国道190号線で宇部と山陽小野田市内を通り抜け、小野田ICから山陽道に乗る道筋は、何年か前に高速バス「福岡・山口ライナー」号で走った曾遊の道である。

堤防に沿った周防灘に沿う道路を走るのは、航空機とひと味異なる爽快感があったが、惜しむらくは少しずつ車窓が暗くなり、山陽道を小月ICで降りて、国道2号線を走り出す頃にはすっかり真っ暗になっていた。

 

小月ICから先も、東京と下関を結ぶ夜行高速バス「ふくふく東京」号や、山口と下関を結ぶ高速バスで走ったことがある。

特に、長府から先の関門海峡に沿う区間では、行く手に流麗な関門橋が顔を覗かせて、本州の西の果てまで来たのだと言う旅情が湧いてきたものだった。

 

夜の関門海峡は、日中よりも遥かに煌びやかで、手を伸ばせば届きそうな対岸の九州の地に無数の灯が散りばめられ、その光を遮って、大きな船が悠然と航行している。

徐々に近づいてくる関門橋も、光の帯となっている。

巨大な吊り橋を首が痛くなるほどに見上げて下をくぐり抜けながら、宇部空港経由を選んで良かった、と思う。

 

 

下関の市街地は、関門橋のたもとにある壇之浦古戦場から小さな入り江をぐるりと回り込んだ位置にあり、平家の滅亡と共に海中に沈んだ安徳天皇を祀る赤間神宮を過ぎれば、一気に車窓が賑やかになった。

 

宇部空港から1時間15分を費やし、20時少し前に到着した下関駅は、平成18年1月7日に発生した下関駅放火事件により全焼した駅舎に代わる新しい駅舎が出来たばかりだった。

目も眩むような照明の中を足早に歩きながら、僕は博多行き高速バス「ふくふく天神」号の乗り場を探した。

ちょうど「福岡(天神)」と行先を掲げた20時00分発のバスが姿を現し、前方に停車して扉を開けたので、僕はそのまま飛び乗った。

下関の滞在時間は5分にも満たなかったのではなかったか。

 

後に時刻表を見れば、この便が福岡行きの最終バスだったので、危ないところであった。

 

 

平成13年3月に開業した「ふくふく天神」号は、山口県と福岡県を結ぶ他の高速バス路線である「福岡・山口ライナー」号や「福岡・防府・周南ライナー」号に比べて飛び抜けて運行本数が多く、開業当初に1日16往復、その後に増設された福岡空港経由系統を含めて20往復に増便されていた。

下関と福岡の結び付きの強さを物語る運行形態であるが、それならば夜遅くまで運行されているのだろう、と高をくくって、ロクに時刻表も調べずに出掛けてきたのである。

 

下関駅と天神バスセンターの間の所要時間は1時間40分、下関駅と福岡空港の間が1時間48分で、宇部空港よりは若干遠いけれども、全国各地に航路を伸ばしている福岡空港を利用する下関の人々も少なくないようである。

 

 

そのような事情もあって、令和3年に宇部空港-下関間リムジンバスは廃止され、代替として、山口県が補助を行い定時定路線型の乗合タクシーを運行している。

下関に本社を置くサンデン交通のHPには、今でも以下の文が掲示されている。

 

『いつもサンデン交通をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。弊社では、新型コロナウイルス感染症の影響によるご利用需要の減少、燃料費をはじめとする諸経費の増大、車両の老朽化や慢性的な運転手の不足など、かかる諸課題への対処に努力してまいりましたが、この度やむなく2021年(令和3年)9月30日(木)の運行をもって「下関-山口宇部空港線」を廃止することとなりました。これまでのご利用に感謝申し上げますと共に、今後ともサンデン交通のご利用をお待ち申し上げております』

 

客単価が高いはずのリムジンバスですらこの有様なのだから、路線バスを維持することが難しい今の時代を痛感する文面である。

 

 

最終便とは夢にも思っていなかったが、僕が乗車した福岡行き「ふくふく天神」号の乗客数は、数人程度だった。

冷や汗ものの旅程だったことなど露知らず、これで福岡に連れていって貰える、とすっかり安堵した僕を乗せて、「ふくふく天神」号は市街地の背後の丘陵を駆け登り、下関ICから高速道路に入った。

 

真っ暗にぬめる海面を見下ろしながら関門橋を渡り、「ようこそ九州へ」との標識が掲げられた和布刈トンネルをくぐると、バスは福岡県北部の丘陵地帯を縫うように一路福岡を目指す。

この区間を高速バスで走ったことは何度もあるけれど、北九州と福岡と、2つの100万都市に挟まれている割には、鄙びた車窓だな、といつも思う。

玄界灘に沿う街々を伝う鹿児島本線の電車を使えば、もう少し開けた印象を抱くのだろうが、九州自動車道は九州山地の北端に近い内陸部を貫いている。

 

 

かなり舗装が荒れているようで、山陽道よりも車体の跳ね方が大きく感じられる。

冬から春にかけての北国の高速道路によくある現象で、随分と暖かい地域に来たような気がしていたけれど、福岡の地も日本海側であり、北陸や山陰と変わらぬ気候なのであろう。

この年は豪雪の記録は見当たらないが、正月に西日本で大雪になったことがあり、九州北部でも何回か雪に見舞われて、路面が波打ってしまったのかもしれない。

 

午後9時を過ぎる頃合いともなれば、眠気が襲ってきたのか、それとも合計5時間以上も飛行機やバスに揺られていたためなのか、「ふくふく天神」号の車中の記憶は乏しく、ふと気づけば、バスは福岡ICを出て福岡都市高速4号線に差し掛かっていた。

 

 

そのまま都市高速1号線に移り、高架道路が折り重なっている呉服町ランプで地平に降りれば、蔵元、中洲、天神郵便局前の停留所に寄るたびに、車窓が賑々しくなってくる。

福岡を出入りする高速バスは、西鉄の駅がある天神バスセンターと、JRの博多駅交通センターの双方に立ち寄るのが通例だった。

昔は博多、天神の順に停まり、今は逆になったようだが、この日の宿は博多駅に近かったので、博多で降りようと思っていたところ、

 

『御乗車ありがとうございました。次は終点、天神バスセンターです。西鉄電車、市営地下鉄はお乗り換えです』

 

との案内放送が流れた。

博多駅に行かないとは、福岡発着の県外高速バス路線にしては珍しい。

そうか、地下鉄か路線バスに乗り換えなければならないのか、と少しばかり億劫になる。

 

 

下関駅で乗車した時から、このような遅い時間に福岡行きの便を担当したのがサンデン交通バスであることが不思議だった。

ここは、西鉄バスが担当し、そのまま帰庫すべきではないのか。

僕が、このバスが最終便と思わなかった理由も、そこにある。

それとも、運転手は福岡で1泊して翌朝の始発便のハンドルでも握るのだろうか、と首を傾げたのだが、降車場でさっさと僕らを降ろしたバスは、構内をぐるりと回って、待機場で発車を待っている岡山行き夜行高速バス「ペガサス」号の隣りに、ちょこんと駐車した。

 

下関の人々の福岡滞在時間を伸ばすためであろうか、下関行き「ふくふく天神」号の最終便は22時発と遅めに設定されているので、その便で折り返すのであろう。

 

 

ハンドルにもたれて一憩している運転手の姿に、お疲れ様、と頭を垂れながら、僕は、飲み会を開いているはずの出張仲間に電話を掛けた。

 

「もしもし、今、着きました」

『お疲れ様です。まだやってますよ。来ますか?』

 

受話器の奥から飲み屋の喧騒が漏れてきて、おお、やっと来たか、遅いよ、などと言う声が聞こえたので、首をすくめた。

 

「ホテルじゃなくて、そっちに直行してもいいのかな」

『大丈夫です。私たちはもうチェックインしてるから。今どこです?』

「天神」

『天神?あれ、何でそんなところにいるんです?地下鉄、乗り過ごしちゃったんですか?』

 

福岡市営地下鉄1号線は、福岡空港駅を出ると2駅目が博多駅、5駅目が天神駅である。

大都市の中心街のこれほど至近距離に、巨大空港が存在するとは驚きである。

 

僕の乗り物趣味は職場でも知る人は少なくないけれど、下関からの高速バスが博多に寄らなかったことや、そもそもどうしてそのようなバスに乗ったのかを、いちいち説明するのも面倒で、僕は言葉を濁した。

 

 

最後に味噌はついたものの、色々な乗り物に初乗りして、しかも順調に福岡に着いて良かったと思う。

道草は楽しいけれども、万が一、常識から外れた行程上で交通機関にトラブルが生じ、仕事に間に合わない羽目に陥ろうものならば、言い訳の仕様がない。

今回の旅はツイているぞ、と思う。

 

まさか、翌日の東京への帰路で大きなトラブルに見舞われようとは、その時、予想もしていなかった。

 

「春の嵐で空路大混乱~平成27年3月1日福岡空港滑走路閉鎖と羽田空港マイクロバースト 第1章~」

「春の嵐で空路大混乱 ~平成27年3月1日福岡空港滑走路閉鎖と羽田空港マイクロバースト 第2章~」に続きます)

 

 

 

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